西野ジャパンの躍進に日本中が熱狂したロシアW杯が終わった。国内では7月18日にJリーグが再開し、アンドレス・イニエスタ(神戸)やフェルナンド・トーレス(鳥栖)といった大物選手の加入もあって注目が集まる。Jリーグの「顔」の一人、ジュビロ磐田の中村俊輔はこの6月に40歳を迎えた。2度のW杯を経験した日本のファンタジスタ。見た目もオッサン化していない。真摯にサッカーに取り組む姿勢も変わらない。俊輔流アンチエイジングの極意に迫った――。(スポーツライター・二宮寿朗 撮影・高須力/Yahoo!ニュース 特集編集部)
手術に踏み切った日本のファンタジスタ
10年間も日本代表の10番を背負い、Jリーグでは史上初となる2度のリーグMVPを獲得。セルティックでもスコットランドリーグMVPに選ばれ、欧州チャンピオンズリーグで日本人初ゴールをマークするなど数々の伝説を残してきた。
J1ジュビロ磐田に移籍して2年目。同世代のサッカー選手が次々と引退していくなかで、彼は日本代表の先輩である名波浩監督(45)のもとチームの中心を担っている。
今年2月に上梓した『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋刊)で、彼はエピローグにこう綴っている。
「自分で納得できるプレーができなくなったら、きっとそのときはスパイクを脱ぐタイミングではないかと感じている。だが僕自身、向上心に衰えはない。むしろやることが多すぎるし、成長できると信じて取り組むことができている」
昨季、中村が加入したジュビロは6位に躍進。今季もワールドカップで中断するまで、8位とまずまずの位置につけている。彼自身は3月に左大腿二頭筋肉離れ、4月に左ヒラメ筋肉離れと2度けがで離脱。リーグ戦は15試合中9試合の出場にとどまっている。6月には以前からけがを抱えていた右足首の手術に踏み切った。
練習を終えたばかりの中村に話を聞いた。
「ここ1、2年ずっと右足にテーピングを巻いてきて、ごまかしながらやってきた。(状態が)悪くなって中断期間を使って治したので、足首にもグッと力が入ると思う。右足首をかばって自主練習をセーブしていたけど、これでしっかりやれると思う。だからこれからがすごい楽しみになっている」
監督・名波浩「40になってもあいつはピュア」
“反撃の夏”に向け、その強い意欲は伝わってくる。
「やることが多すぎる」はけがが重なって「やることはそれ以上」になった。しかしネガティブに受け止めないのが彼らしい。
「どうしても身体的には若いころより落ちる。これまでふくらはぎ(ヒラメ筋)が肉離れしたことなんてなかった。痛いところをテーピングしてやっていても、治すまでにどこかのバランスが悪くなってしまう。こうなると体のほうにばかり意識が向いてサッカーそのものに向いていかなくなるし、プレーも良くなくなってくるんだなって思った。でもそこは、腕の見せどころでもある。だから充実しているよ、毎日」
名波監督いわく「40歳になっても、サッカーに対する姿勢はピュア」。あるとき、監督には内緒で坂道ダッシュを繰り返していたこともある。結局、指揮官に見つかってストップがかかったが、「もう2本やってやめますから」と言ってあきれさせたとか。
中村は笑って言う。
「走りの練習でもコーチは良かれと思って『もうすぐ40歳になるんだから、そのへんでやめておいたら』と言ってくれる。もちろん分かってはいるけど、みんなと同じ練習量をやらないと(自分の体力が)落ちてしまうんじゃないかって不安になる。そこはすごくジレンマだけど、今は自分をちょっとずつ許している」
彼の言う“許す”とは、こうだ。全体練習では指示どおり無理のない範囲でやる。その代わり、一度休んで体力を回復させてからできなかった分をエアロバイクなどで代用する。時間をかけながらでも結局、チームメートと同じ量をこなしているという実感を得たいのだ。加えて練習前のウォーミングアップ、練習後のクールダウン、体のケアにも時間を費やす。
「たとえ筋トレをやっていても、今は(筋肉が)大きくはならなくて維持。でも落ちないように粘ることが大切だと思っている。ここが維持できていれば、あとはサッカーで伸ばしていけばいい。技術や判断力もやり続けなければ落ちるけど、ここは今でも伸ばせるところでもあるから」
充実そうに向ける表情が、何とも年齢を感じさせない。
衰えを受け入れることから始まる
体に目いっぱいの意識を向けつつ、同じボリュームでサッカーそのものにも意識を傾ける。「自分のキャパシティーを広げればいいだけのこと」と意に介さない。
戦術トレーニングでは、チームメートにも目を配る。プロ生活20年以上、日本代表も海外も、あらゆる経験を持っている。サッカーは団体スポーツ。考えを共有することでチームが前向きになる術が体に染みついている。
名波監督からも「経験をみんなに伝えてやってくれ」と言われており、周りと細かくコミュニケーションを取っている姿をよく目にする。
「たとえば『今は我慢のとき』とか言うでしょ。攻められていても“相手にボールを回されてしまっている”じゃなくて“相手にボールを持たせてやっている”と全員が思えば、それが攻めるための守備になる。練習でも同じようなシチュエーションになってちょくちょく伝えておけば、その我慢がポジティブなものになる。それって連鎖反応していくものだから。そうしておくことで自分も楽になる。サボるということではなく、それによって自分が本来やるべき役割に集中できる」
練習が終わっても、クラブハウスや自宅でYouTubeとDAZN (ダゾーン)でサッカーを「見まくる」。特に、世界のトッププレーヤーのプレー集は見る頻度が高い。シーズン前はバルセロナのリオネル・メッシをチェックしていたが、シーズンが始まると違う選手のプレー集に切り替えるという。
「メッシはすごすぎて、参考にならない(笑)。シーズン前は自分のプレーのイメージをすっからかんにしている状態だから、まずは一番すごいと思っている選手を見ておく。そしてシーズンが始まって、どうプレーしたいかを具体的にイメージするためにバルセロナ時代のシャビの最後のシーズンとか、ビジャレアル時代のリケルメの最後のシーズンとかを今は見る。たとえスピードが落ちても相手をどうやって外しているか、自分のプレーと照らし合わせながら見ている」
一つひとつの選択に、深い理由がある。年齢や身体的な衰えを受け入れつつも、成長の種を探そうとしている。ここに一切の妥協はない。
花が咲かないときは、根を伸ばせ
サッカー漬けの生活にストレスはないのだろうか。その疑問をぶつけると、中村は「ない」と断言したうえで言葉を続ける。
「だってサッカーが何にも増して好きなものだから。職業になって、お金をもらっているんだし、最高でしょ。昔も今も“一番うまい選手になりたい”という気持ちはまったく変わってない」
栄光があった半面、苦難も多かった。2010年の南アフリカワールドカップでは大会直前に先発を外され、横浜F・マリノスの急進的なチーム変革に納得できずに「ここで引退する」と決めていたクラブから飛び出すことになった。深く悩んで、サッカーに集中できない日々もあった。しかしサッカーを考えること自体、放棄することはなかった。
大切にしている言葉がある。
「花が咲かないときは、根を伸ばせ」
耐えなければならない時期はやって来る。耐えて、もがいて、粘る。そのうえで自分の結論を下す。ジュビロ移籍の決断もそうだった。年齢との戦いも、また然り。耐えて、もがいて、粘って根を伸ばしていれば、たとえ小さくともきれいな花が咲くのだ、と。
「有名企業で重職を務める人と知り合いになって、その人も言っていた。上司にずっと認められなくて大変だったけど、我慢してやっていくことで実を結んだ、と。サッカーだけじゃなく、どの仕事でも言えることかもしれない。根っこを伸ばしていくことは、決して無駄にはならないんだなって」
不惑のファンタジスタに引退の設定はない。
1年1年が勝負、いや、彼は1日1日を勝負している。
不惑の中村俊輔はきょうも「やることが多すぎる」日常を生きている。