暴走重機に愛娘の命奪われた父 届けられた10万筆の署名とメッセージ
■大切な娘の「遺品」と共に……
「7月7日、全国の皆さまの思いがこもった10万1685筆の署名を大阪地裁に提出してきました。この日は一日中、大雨の予報だったのですが、(地裁に入る前の)デモ行進のときだけ、ピタリと雨が止んだんです。私は、『ああ、また安優香が見にきてくれているんやな……』と思って、裁判所前でメディアの取材を受けたとき、安優香の補聴器を署名用紙の上にそっと置きました」
そう語るのは、大阪府豊中市在住の井出努さん(48)です。
裁判所の前で、新聞社やテレビ局の囲み取材を受けた際の写真(下)をよく見ると、署名用紙が詰められた段ボール箱の上に、小さなものが置かれているのがわかります。
それは、安優香さんが事故当日も耳に着けていた、大切な遺品の補聴器だったのです。
「不思議ですね、安優香があの事故で亡くなってから、同じことが何度も続くんです。卒業式や修学旅行の日もそうでした。天気予報では雨なのに、そのときだけ急に雨が上がるのです」(井出さん)
■聴覚障害者の逸失利益は、一般女性の40%と主張する損保
この日、署名を呼び掛けた「公益社団法人 大阪聴力障害者協会」、支援を行った「一般財団法人 全日本ろうあ連盟」の代表と共に、井出さんは、短い距離ではありましたがデモ行進に参加しました。そして、段ボールに詰められた署名用紙は、その足で大阪地裁第15民事部へ提出されたのです。
掲げられた横断幕には、
『逸失利益40%は優生思想による明らかな差別! 全ての障害者の人権を守り、公正な判決を求める!』
そう書かれていました。
事故は、2018年2月1日、大阪府立生野聴覚支援学校の前で発生しました。
同校の生徒だった安優香さんは、小学部の先生や友達と下校途中、横断歩道の前で信号待ちをしていました。そこへ、運転手がてんかん発作を起こし、突然暴走を始めた工事用の重機(ホイールローダー)が、至近距離から突っ込んできたのです。
この事故で安優香さんが死亡、一緒にいた児童2人と教員2人も重傷を負いました。
自動車運転処罰法違反(危険運転致死傷)などの罪で起訴された加害者の男(当時36)には「難治てんかん」という脳の持病があり、医師や家族は再三「運転しないように」と注意していたそうです。にもかかわらず、男は虚偽の申請をして免許証を取得し、仕事で重機の運転を続け、結果的に重大事故を起こしていたのです。
2019年3月に下された判決は、懲役7年の実刑。加害者本人は現在、刑務所に収監されています。
今回の署名運動は、その後に遺族が起こした民事裁判における、被告の主張に抗議するものでした。
被告側の保険会社は、亡くなった安優香さんが聴覚障害者だったことから、『聴覚障害者には、9歳の壁、9歳の峠、という問題があり、聴覚障害児童の高校卒業時点での思考力や言語力・学力は、小学校中学年の水準に留まる』と主張し、将来得られたはずの収入である「逸失利益」について、一般女性の40%で計算すべきだと主張してきたのです。
この問題については、以下の記事で取り上げた通りです(安優香さんが全校生徒に声を出して呼びかける動画も紹介しています)。
聴覚・視覚障害の弁護士たちが立ち上がった! 難聴の11歳女児死亡事故裁判に異議(柳原三佳) - 個人 - Yahoo!ニュース
現在、聴覚や視覚に障害がある弁護士が原告側の支援に加わって、30名を超える弁護団が結成され、民事裁判が進行中です。
■全国の聴覚障害者から寄せられる「怒り」と「応援」のメッセージ
被告側の差別的な主張を知った大阪聴力障害者協会は、5月 26 日、「公正な判決を求める緊急署名」を開始しました。すると、わずか1カ月余りで、当初の目標である1万筆をはるかに超える10万筆もの署名が集ったのです。
全国各地から送られてくる署名用紙には、井出さん夫妻への手紙も多数添えられていました。ご自身も聴覚障害があるという方々からのメッセージを、ごく一部ですが、抜粋して紹介したいと思います。
<署名支援者からの手紙より>
●私は、聴覚に障害があっても、一般成人女性に引けを取らない人生を謳歌していると自負しています。社会活動社会貢献もしています。これだけの活動功績を残した上で、一般女性との比較をされ、今までの自分の努力が全てなかったことのようにされるのは我慢なりません。
●時代は確実に変わっています。安優香さんが社会に出る頃は、聴覚障害者にとってより生きやすい世の中になっていたはずです。今回の事例は過去への逆戻り。私自身も憤りと怒りと悔しさしかありません。私が今、国家資格を持てるのも、自動車免許を持って運転できるのも、先人たちの努力と闘いのおかげなのです。
●今回のことは、懸命に努力し、社会で活躍しているすべての聴覚障害者たちへの侮辱です。お嬢様は本当に努力されていたと思います。ニュースで(生前の)動画を拝見し、痛いほどわかります。小中学生レベルで終わるようなお子様ではありません。いろんな可能性を持ったお嬢様です。
●命の重さ、そのありがたさに差別も区別も許されないということです。今回の被告側の主張は悲しみを通り越して怒りでしかありません。
6月に開かれた「全日本ろうあ連盟」の評議員会においても、安優香さんの民事裁判の問題が取り上げられ、
『被告側の主張は、きこえない・きこえにくい人のみならず、障害をもつすべての人への尊厳を傷つけるものであり、障害のある人は人間として扱われないという明白な差別である』
として、「優生思想を根絶する運動を強化する特別決議」が満場一致で採択されたそうです。
井出さんは語ります。
「今回の署名に対しては、本当に数多くの方がそれぞれの思いを込めてご協力くださり、安優香のために涙を流してくださいました。これはもはや、私たちだけの問題ではありません。裁判所には、障害者を差別することなく、ぜひ公平な判断をしていただきたいと思っています」
次回、第8回目の民事裁判は、7月14日、大阪地裁で開かれる予定です。
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