戦略がアートになる。パリの穴場スポット「立体地図博物館」
Googleアースを初めて見たときの驚きを覚えていますか?
コンピュータの画面上で世界のあらゆる場所を旅することができる。
家の形や色、はたまたベランダに干してある洗濯物までわかったりするというあの技術に、私は新しい時代の到来を感じたものです。
今回ご紹介するパリの「立体地図博物館」で私はそんなことを思い出しました。
展示されている立体地図を目にしたとき、昔の人たちはおそらく私がGoogleアースを初めて見た時と同じような感動を覚えたのではないか、と。
「Musée des Plans-Reliefs(立体地図博物館)」はパリの真ん中、Les Invalides(レザンヴァリッド)の中にあります。レザンヴァリッドは日本語では「廃兵院」と表されることから分かる通り、軍の病院として設立されましたが、現在では軍事博物館とナポレオンの霊廟があることで有名です。
けれども、その建物の中に立体地図博物館があることを知っている人はきっと少ないはず。何を隠そう私自身もつい最近になってその存在を知った次第。つまり、穴場中の穴場といえる博物館なのです。
どうして私がここを訪れようと思ったかというと、それはとあるフランス人女性アーティストがパリで一番好きな博物館のひとつとして立体博物館をあげたからです。
実際この博物館がどのようなものかは、こちらの動画でもご覧いただけます。
そこにあるのはフランス各地の巨大な立体地図で、17世紀から19世紀にかけて作られたもの。日本で言えば江戸時代です。ことの始まりはフランスの絶対王政最盛期の王様ルイ14世(太陽王)の時代、国土防衛と拡張という戦略的な目的を帯びたプロジェクトでした。
ルイ14世、そしてナポレオンの時代、フランスの拡大志向は顕著で、隣国にまで勢力を伸ばしていました。当時の戦法は要塞で囲まれた街を攻め落とす、あるいは守る戦いでした。そのため戦略的な拠点になる土地の地勢を克明に知ることがとても重要だったのです。
それには、平面の地図よりも立体地図の方がはるかに有用です。制作はまず1668年、北フランスの国境の街ダンケルクの地図からから始まり、以来1900年にかけて全部で260の立体地図が作られたそうですが、150は国境線の要塞。100余りが現存していて、そのうちの主要なものがこの博物館に展示されています。
200年という長い期間にわたって作られた立体地図ですから、初期と後期とでは正確さという点において特に違いが見られます。とはいえ、日本の江戸時代にフランスではこんなものが次々につくられていたわけで、伊能忠敬の『大日本沿海輿地全図』が1800年から1820年にかけての偉業であることを思えば、はるかに先んじていた立体地図の発想と実践は驚きに値します。
ただし、私は当時の日本とフランスの技術格差にことさら焦点をあてたいわけではありません。伊能忠敬の地図も、ロシアの侵攻を危惧した幕府が制作を奨励した経緯があります。つまり、地図というのは国防や軍事的要請によって発展してきたという動機はいずれの国でも同じ。
隣国との戦争を繰り返し、国土を拡大、あるいは奪われてきたフランスに対して、極東の海に位置し、鎖国をしていた日本とでは、状況がまったく違います。当時の日本が地図の発展という点でフランスに遅れをとっていたということは、裏を返せば江戸時代がいかに太平の世であったかということを物語るようでもあります。
盛んに作られた立体地図も戦争の方法が変わってくると軍事的な重要性は薄くなり、後世の人にとっては芸術的価値を持つ歴史遺産となりました。これらのコレクションはルーヴル、そしてレザンヴァリッドと場所を移し、1997年からは二つのギャラリーが一般に公開されるようになり、現在に至ります。
私がこの博物館を発見するきっかけになったフランス人女性アーティストは、純粋に創作物としての立体地図に強く惹かれると言います。それらは、絹糸や砂利などをごくごく細かくして、樹木の一本一本や大地を表現したもの。精密でありつつ豊かな創造性が現代のアーティストを魅了し、彼らの審美眼によって私たちを未知の世界へと誘ってくれます。実際に地図の前に立てば、制作に費やした熱量の総体に静かに圧倒されるような感覚を持つのはきっと私だけではないでしょう。
立体地図博物館は軍事博物館とナポレオンの霊廟との共通券で入ることができます。芸術、そして戦略の国フランス。パリには数多の美術館、博物館がありますが、少し別の角度から歴史とアートを感じる場所として、この博物館の存在もぜひ心に留めておいていただければ幸いです。