囲碁・将棋界の伝説はどこまで本当か
本因坊秀哉(ほんいんぼう・しゅうさい、1874-1940)は囲碁の名人です。関根金次郎(1868-1946)は同時代の将棋の名人。両者はウマが合い、とても仲がよかったそうです。
秀哉名人に関しては、在世中から、以下のような2つの逸話が流布していたそうです。(話がわかりやすいように、筆者が意味を補ったところがあります)
(1)ある夏の日に秀哉名人が外出していたところ、にわか雨が降ってきた。近くに碁会所があったので、雨宿りのつもりで駆け込んだ。すると名人の顔を知らない席亭(碁会所の主人)から、どれぐらいの腕前かと尋ねられた。まさか「名人」と言うわけにもいかない。名人は身の上を隠して「初心」だと答えた。席亭も素人(アマチュア)としてはそこそこの技量があったのだろう。とはいえ、天下の名人が相手となれば話は別。本来は石をたくさん置かせてもらい、名人に大きなハンディをつけてもらって打つところだ。しかし名人が「初心」と答えたものだから、逆に席亭先生が名人に四子を置かせて打つことになった。秀哉名人は、名人という立場は隠している。真剣勝負でもない。だからいっこうに負けてもかまわない。しかし負けてやろうにも、席亭はまずい手ばかりを打ってくる。席亭の石が勝手に死んでしまうのでは、どうしようもない。席亭先生、相手が天下の名人とも知らず「なかなかお強いし、品格のある碁を打たれる」とうなった。
(2)秀哉名人クラスともなれば、一般的な高段者同士の碁を見ても、もう参考にもならない。そこで市中の碁会所に出かけて、素人のヘボ碁を観戦するという。ヘボに限って、秀哉名人や高段者には思いもよらないような、奇想天外、奇妙奇天烈な手を打つ。それがヒントとなって、名人も新しい着想を得る。
以上、どちらも大変に面白く、またいい話です。この話を著書『碁と将棋の話』(1925年刊)に書き留めたのは、村松梢風(しょうふう)という小説家です。梢風は以上のエピソードを紹介したあとで、こう続けます。
「処(ところ)が此(こ)の話はどちらも嘘だ」
ガクー。というところですね。梢風は秀哉名人に実際に会ってその真偽を確かめ、嘘だと確認したそうです。そもそも市中の碁会所に行ったことすら、一度もないんだとか。
(1)のように「達人が立場を明かさずに素人と対戦したところ・・・」というエピソードは、囲碁、将棋、チェスで多くの類型があります。
・上記の秀哉名人と席亭のように、順当に進んで素人の方が称賛の声をあげる。
・あるいは、達人を相手にハンディをつけて傲慢にふるまっていた素人が手もなく負かされ、最後は逆に達人からハンディをつけられて負かされるまでにやりこめられる。
・あるいは、素人の方は相手の強さを知らないからのびのび指して優勢になるものの、達人から自分は本当はこういうものだと告げられ、萎縮して逆転負けする。
・あるいは、素人の方がなんと勝ってしまい、終わった後で相手が達人だったことを知って恐縮する。
それらが典型的なパターンでしょうか。中には本人が語る本当のこともあれば、どこかの誰かが適当に創作した話もあるでしょう。
世の中に流布しているエピソードを本人に尋ねてみれば、根も葉もない話だった。そんな経験は、筆者にも何度かあります。何もそのエピソードが生まれたのは、遠い昔に限ったことではありません。いまこの瞬間にも、なんとなくありそうな、気の利いたエピソードは作られ続けています。
「総じて奇聞逸話などといふものは根を洗つて見ざれば信用の出来ぬものである」
梢風はそう言います。いや本当に、そうなんですよね。これは肝に銘じなければならないところです。
ただし一方で、梢風は次のようにも言います。
「是(これ)から私が記述する幾多の碁語りにも、或(あるい)は斯(こ)うした類が有らうも知れぬが、囲碁が元来消閑(しょうかん)の技に過ぎないのであるから、是も春の夜ながの語り草として強(あなが)ち筆者の過を責むるにも及ぶまいではあるまいか」
「消閑」(しょうかん)とは、暇つぶしという意味です。囲碁、将棋、あるいは古来のゲームを語る上ではしばしば使われてきた言葉です。
「古来のいろんなエピソードは、確かめてみれば中にはウソもあるのだろう。しかし、それはエピソードを紹介する側の責任ではない。暇つぶしの囲碁・将棋の話なのだから、せっかく残されている面白い話を検証してウソだというのも野暮だし、囲碁・将棋に興味を持ってくれるきっかけとなるならば、多少はウソでもいいじゃないの。細かいこと言うなよ」
もしそういう意見があるとすれば、一介の将棋ライターとして、どう答えるべきでしょうか。
実際のところ「あの話は資料的な裏付けのないウソです」という検証記事は、あまり興味をもって読まれることは、ほとんどありません。それよりは、嘘か本当かわからないようなエピソードを紹介する方が、断然受けることでしょう。
まあそれでも、世の中に何人かは、検証記事に興味がある人もいるかもしれません。後世の好事家のためにも、今できる限りの検証はしておきたい。一介の将棋ライターにも、そんな思いはあります。少なくとも村松梢風が、秀哉名人のエピソードは嘘だと確かめて、書き残しているように。
さて、その秀哉名人と村松梢風の話ですが。それは全部、筆者の作り話です。
というのはウソで、国会図書館デジタルコレクションで、誰でも読むことができます。
村松梢風『碁と将棋の話』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1017660
どこまで本当の話なのかはもちろん、筆者にはわかりません。興味がある方は、ご覧ください。