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中国ラーメン「揚州商人」、本気の「社員ファースト」を実践する社長の経営哲学とは

千葉哲幸フードサービスジャーナリスト
30種類以上の「中国ラーメン」のサンプルが店頭で陳列されている(筆者撮影)

3年間続いたコロナ禍が落ち着いてきて、外食企業の各社には新たな決意がみなぎっている。中国ラーメン「揚州商人」(以下、揚州商人)を37店舗展開するホイッスル三好(本社/東京都杉並区、代表/三好一太朗)はそれを象徴する企業の一つである。

さる6月28日、同社ではコロナ禍で行ってこなかったこの間の入社式を合同で行った(東京・有楽町)。対象者は2019年6月入社から2023年5月入社の社員まで総勢43人。4年間の月日は長く、4年前に入社した人はベテランの領域に達し、入社歴の若い社員と同じ職場で先輩・後輩として勤務している事例もある。

同じ会社の中で働いていることの喜び

ここでは、三好社長の「お祝いの言葉」に始まり、社員証の授与を社長から新入社員の一人一人に直接行った。社長は授与するたびに固く握手をして、満面の真摯な笑顔で接していた。

43人の新入社員一人一人に社員証を直接渡して、歓迎と期待を込めた真摯な表情とともに硬く握手をする三好社長(右)(筆者撮影)
43人の新入社員一人一人に社員証を直接渡して、歓迎と期待を込めた真摯な表情とともに硬く握手をする三好社長(右)(筆者撮影)

これらの新入社員の出自はさまざま。同社の時給社員(パートタイマーをこう呼ぶ)が月給社員(正社員をこう呼ぶ)に転じた人、ほかの飲食店で働いていた人、支配人、幹部を務めていた人、飲食業以外から入社した人もいる。

ちなみに同社では第27期(現在は第34期/2023年3月1日~2024年2月29日)より「事業発展計画書」をまとめ、全社員に所持させて何度も熟読することを励行させている。この中には、各部門の目標が、文言と緻密な数字でまとめられていて、会長・社長以下、社員全員一人一人の「個人目標」が顔写真入りで掲載されている。100ページに及ぶ充実した内容だ。まさに一致団結した企業文化である。

そして、今回の合同入社式での三好社長の「お祝いの言葉」では、今期新たなビジョンを制定したことを力強く表明した。

「それは『アドマイヤードカンパニー』になるということ。これは、お客様、働く仲間、その家族、関わる全ての人々に強く強く必要とされる存在になるということです」

「強い目的を持ったのであれば、我を忘れて突き進んでいく。仕事の主役はお客様です。われわれの企業の価値とは、お客様が『ありがとう』と言ってくださることがすべてです。そんなあなたのことを回りの人たちが見ていて、その姿を称賛しています。そして、挑戦者のあなたが、人生の成功者になって行く。このような人をたくさんつくるところがアドマイヤ―ドカンパニーなのです」

入社式を終えてから、幹部社員と共に記念の撮影(筆者撮影)
入社式を終えてから、幹部社員と共に記念の撮影(筆者撮影)

そして、約1時間の入社式を終えてから、新入社員は銀座のイタリアンレストランに移動して着席での食事会を行った。会が始まるまでは、スクリーンに先輩たちの歓迎の挨拶が放映された。時折和やかに笑い声が立ち上がる。そして、シャンパンでの乾杯。三好社長は、社員全員の席を回り、グラスを重ねて歓迎の気持ちを伝えていた。

新入社員はみな楽しそうだ。女性、男性、外国籍の人、若い人、中年の域に達した人、すべての人が打ち解けている。ホイッスル三好という会社の、飲食店の現場も、セントラルキッチンも、本部務めの人も、みな同じ理念の元で働いていることを喜びとしている。

入社式を終えて食事会での乾杯。この後、三好社長は新入社員の一人一人とグラスを重ねた(筆者撮影)
入社式を終えて食事会での乾杯。この後、三好社長は新入社員の一人一人とグラスを重ねた(筆者撮影)

現会長が家族から離れ事業を起こす

ホイッスル三好の三好一太朗社長は1987年6月生まれの36歳。創業したのは父であり現会長の三好比呂己氏(68)で、社長は二代目である。しかしながら、いわゆる「二代目経営者」というイメージを全く感じさせない。創業者精神にあふれている。言葉づかいは語彙が豊富でよどみなく話す。そこに現状分析と展望を述べる。「社長についていきます」という気分になる。

同社では社長が語り部となったYouTubeチャンネルを運営していて、その語り口調がとてもユニークだ。そして、本編で話題となる社員のことを、エピソードを添えながら楽しく紹介する。「会社全体の仲がいい」といった社風が伝わってくる。

「揚州商人」は「中国ラーメン」を冠にしている通り、ラーメンを「中国料理」として位置付けて提供している。店内には三好ファミリー4世代の写真と、現社長の三好一太朗氏の目線で「ひいじいちゃんの家族」「おじいちゃんの家族」「父の家族」「私の家族」を紹介している。

初代である「ひいじいちゃん」は、中国の揚州から大正9年(1934年)に日本に渡ってきた。北千住で中華そば店「正華」をオープンして大層繁盛。事業家として頭角を現していく。その才能は「おじいちゃん」に受け継がれ、パチンコホールや鬼怒川でのホテル事業も推進するようになった。

さて、ホイッスル三好は現会長である「おとうさん」がつくった事業である。現会長は「おじいちゃん」から飲食事業の会社の後継者として期待されるが、家族・兄弟から離反して一人で事業を起こした。

最初の事業は自己啓発プログラムである「SMI」の販売代理店で1985年のこと。この会社は急速に伸びて創業2年目にして社員50人、年商14億円に育った。次に手掛けたのが、学生時代に飲食店でアルバイトをしていたときに夢に描いたラーメン店の経営であった。

この店「活力ラーメン 元氣一杯」(以下、元氣一杯)は1988年2月、千葉県の稲毛海岸にオープン。鶏ガラのスープにかえしが醤油か塩、トッピングがチャーシューかワンタン、これらで10品目程度のメニュー構成。9坪で月商1650万円という記録をたたき出した。現会長の弟が営んでいた目黒のラーメン店「揚州商人」を1990年2月に譲渡され、同店を「中国風のラーメン店」に育てていく。ホイッスル三好は1990年4月に設立。

ラーメンブームから抜け出す作戦

「元氣一杯」は店舗展開を進めていくが1990年代になり「ラーメンブーム」が巻き起こる。現会長は「全国のとてつもないおいしいラーメンが、身近で食べられる時代になる」と考えて、自社のラーメン店の路線変更を考えるようになった。

同社では当時、稲盛和夫氏の盛和塾に所属していて、現会長は稲盛氏に「うちの店に食べに来てください」とお願いした。すると稲盛氏は「食べに行く」という。

稲盛氏が「元氣一杯」のラーメンを食べた印象はこういうものだった。

「お前の店はきれいだし、店員のサービスもいい。しかし肝心のラーメンがまずい。もっとうまいラーメンをつくれ」

このとき、現会長には家業である中国料理店のアイデアを活かすことを考えた。

「中国料理にはさまざまなおいしいラーメンがあり、このような中国のラーメンがたくさんあるラーメン店をやれば成功するはず。まず、ほかの店が真似のできない店にする。次に、流行に乗らない。そして、社員がキャリアを積んで、高いモチベーションを維持する」

そこで、既存店の改革を行いながら、中国に新しい「揚州商人」のアイデアを求めに行った。このときにひらめいたことは、現地で日本の味噌汁のように親しまれている酸辣湯(サンラータン)に麺を入れること。これを筆頭として、ラーメンを中国料理として位置付けてラーメンのメニューを開発していく。ラーメンは実に三十数種類。店頭にはこれらのサンプルがすべて掲出されている。「揚州商人」の店の前に立つと「ワンダーランド」を感じる。

中国の昔ながらの雰囲気の中で、「中国のラーメン」を1000円ちょっとという日常的な価格で楽しむことが出来る。そして、スタッフの接客がとても心地よい。メニュー、しつらい、接客という「揚州商人」特有のあらゆることによってテーマパークを感じる。

6月1日から発売している「冷しトマト麺」(1040円、税込)。ラーメンよりもパスタを感じさせる冷製ヌードル。トッピングのトマト、肉、野菜と麺のバランスが絶妙でスープがキンキンに冷えている(筆者撮影)
6月1日から発売している「冷しトマト麺」(1040円、税込)。ラーメンよりもパスタを感じさせる冷製ヌードル。トッピングのトマト、肉、野菜と麺のバランスが絶妙でスープがキンキンに冷えている(筆者撮影)

15歳で父の事業を継ぐ決意を表明

三好社長は、現会長(当時社長)から後継者となるべく期待を寄せられて育った。三好社長も、自分は父の会社を当然継ぐものと認識していた。それは、幼少時から父の店で食事をして、家では父が会社のメンバーと会議をしたり、楽しく酒を酌み交わす光景を日常的に見ていた。そこで「かっこいいなあ」と父の事業に憧れを抱いていた。

念願の合格を果たした高校の入学式に向かう朝、現会長から「入学式が終わったら学生服を着たままここに来なさい」と言われた。それは赤坂の高級日本料理店。現会長の母、つまり社長の祖母も同席していた。

ここで現会長から開口一番こう言われた。

「江戸時代の15歳は『元服』と言って成人を意味する。今日からお前を大人として認める。今日は大人の第一歩として、この先、私の事業を継ぐのか、自分の夢を追うのか、どちらなのか判断してほしい」

そこで社長は「是非継がせてください」と即答。

現会長はこう続けた。

「お前と俺との関係は二つ存在する。一つは『これまで通りの親子』、だからおやじには何を言っても構わない。もう一つは『先代と後継者』、この関係において一切の反論は許さない。これが修業だ」

そして「高校、大学の期間中にアルバイトを5カ所で経験しなさい」と指示された。さらに「アルバイト先を辞めるときは、惜しまれて辞めるような存在になっているように」と。

「社員ファースト」で企業文化を育てる

高校1年生で最初にアルバイトをしたのは、下北沢の「マクドナルド」。全国3000店の中で売上が15位という忙しい店だった。キッチン、接客、フォーメーションとあらゆるものが完璧に出来上がっていた。ここで売上を上げるためのチームづくりを学んだ。

それ以降、主にチェーンレストランの繁盛店でアルバイトをした。「飲食企業の後継者になる」という目標が明確だったことから、仕事の習熟はどのアルバイト先でも最も早かった。高校生でありながら、大学生のアルバイトを指導する役割も担った。こうして「飲食業はピープルビジネス、人が一番大事なんだ」ということを体に叩き込んだ。

大学を卒業後、ホイッスル三好を支援する経営コンサルティング会社に9カ月間お世話になった。そして、ホイッスル三好に入社、「社長室」という肩書で本部業務に携わった。現会長(当時社長)から言われたことは「毎週、全店を回れ」。そこで、その通りに遂行する。

客席にいて店内を見渡す。休憩室に入り「いまどんなことを考えていますか。どんなことが問題だと思っていますか」――こんな具合に、現場で働く人たちとのコミュニケーションを重ねた。こうすることで「改善のために、いま何に取り組まなければならないか」ということがたくさん見えてきたという。

ときには「本部の人が来たよ」「なんだこいつ」と明らかに敵意を持って接してくる人もいた。しかしながら「私は意思を持って、膝を突き合わせて2時間3時間『こうしたいんだ』と語り『そこまで言うなら協力しよう』と応えてくれた」(三好社長)という。改善のための活動を進めて行く中で、親身に協力してくれる存在となった。社長は、現場をはじめ会社の環境を良きものとするために「社員ファースト」で取り組んできた。

社長に就任したのは2018年7月のこと。31歳であった。筆者が三好社長にいわゆる「二代目経営者」の雰囲気を感じなかったのは、事業を継承しつつ、社員の声を大切にしてきて会社を育ててきた過程が存在しているからであろう。こうして36歳の三好社長の元でホイッスル三好は「アドマイヤ―ドカンパニー」に一丸となって邁進していく。

フードサービスジャーナリスト

柴田書店『月刊食堂』、商業界『飲食店経営』とライバル誌それぞれの編集長を歴任。外食記者歴三十数年。フードサービス業の取材・執筆、講演、書籍編集などを行う。

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