【昭和100年】7回忌を終えてもなお、ファンの心に生き続ける「西城秀樹」 ストイックな素顔
昭和が蘇るメロディー
明るくポップに「ヤングマン!」と、ハスキーボイスで歌い始める。
アメリカの国旗をモチーフにした派手な衣装を身にまとい、シャツの第四ボタンまで開 けて胸をさらし、胸元は汗と金のネックレスできらっと光る。細身のパンツから伸びた足 はすらりと長く、両腕でYMCAと踊る姿はダイナミックでエネルギッシュ。バックダン サーの若い女性たちも花を添える。
西城秀樹は目も眩む輝かしいステージを作りあげていた。
いまの五十代以降の方々ならば、誰もが秀樹がYMCAを踊る姿が脳裏に焼き付いてい るだろう。 かくいう私も小学生の頃、友達と秀樹を真似ねて、四六時中お祭りのような楽しい気持ち になった。それはいまも同じで、メロディーを口ずさめば元気が出るし、いつも上へと向 かっていく、勢いがあったあの昭和が蘇る。
猪苗代駅(福島県)から車で一〇分程。のどかな田園風景の先に、エレガントなライン をした大型ホテル「ホテルリステル猪苗代」が見えてくる。
山を背負っているかのような見事な景観と洒落れたデザインのホテルに、「わ~」と期待 の声が漏れてしまう。
私が訪ねた日は好天に恵まれ、標高六〇〇メートルに位置するホテル周辺を歩けば、淡 い緑とそよぐ風が心地よかった。
平成二十(二〇〇 八)年七月十二日─ ─。 西城秀樹ファンミー ティングの参加者一九 二名が乗った大型バス が、ここ「ホテルリステ ル猪苗代」に到着した。
風光明媚なこの山岳 リゾートでファンミー ティングが開催されたのだ。
秀樹は前夜にホテル に入った。開催当日昼過ぎには、通常はビュッフェ会場となる広いスペースがファンミーティング用に設営さ れた。秀樹は午後に音合わせ。準備は順調に進められた。 開場は十八時、開宴は十八時半。
「ヒデキ~」とファンの熱いコールに応え、シックなグレーのスーツ姿で秀樹が登場。フ ァンが着席する各テーブルを回り記念撮影。皆で懐かしむ往年の写真のスライドショー、 ゲーム大会、ファンからの質問コーナー、プレゼント抽選会と続き、最後は秀樹がバラー ド「青春」を歌った。
終了後は、会場の出口に秀樹が立ち、ファンと握手をして送り出し、 二十一時にはすべてを終えた。 参加したファンにとっては感極まる、夢のようなひと時だったろう。
印象に残る「反省会」の様子
当時、「ホテルリステル猪苗代」で、ファンミーティングの受け入れ準備や、当日の秀 樹のアテンドを担当した関口聡司さん(現・ホテルリステル新宿)が思い起こす。 「西城さんを会場に案内するために、私たちスタッフが利用する裏動線を使いました。女 性スタッフなどは『あ、ヒデキ!』と、あまりの驚きで表情が固まった人、群がろうとす る人もいました。でも西城さんはまったく気にされず、真っすぐ向かい、集中されている 様子でした」
この日、関口さんの最も記憶に残っているエピソードは、意外にもファンミーティング が終わってからのことだ。
「私も会場にいましたが、お客様はとても喜んでいましたし、大成功に見えましたが… …」 と、明言したうえで、 「その晩、西城さんがスタッフ一〇人ほどを集めて、ずっと反省会をされていたんです。 西城さんが『あの時はこうすればよかった。ああすればよかった』と振り返っていました。
私は、翌朝の準備がありまして、西城さんの朝食は和食か洋食かを確認したかったので すが、あまりに真剣な話し合いで、とても割って入れる雰囲気ではありませんでした。結 局、朝食のご希望を聞けたのは二十三時過ぎで、知らせを待っていた料理長に『遅すぎ る!』と怒られたことを覚えています」 ちなみに、その朝食メニューを料理長に尋ねたところ、先づけから生物、煮物、焼き物、 鍋物、生野菜、食事、デザートと続く和食のフルコース。福島名物の烏 い 賊か 人にん 参じん やにしん山さん 椒しょう 漬け、初夏に美味しくいただける喜き 多た 方かた 産のアスパラガスや、会津地鶏の水炊き名産品の数々を秀樹は客室で摂った。
※この記事は2024年6月5日発売された自著『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』から抜粋し転載しています。