【プレミア12】韓国のエース左腕と元近鉄のノーヒッターとの「師弟愛」
4年に一度の野球の国際大会「プレミア12」はオープニングラウンドから勝ち上がった6チームによるスーパーラウンドが、11日から東京ドームとZOZOマリンスタジアムで行われる。
大会連覇と東京オリンピックの出場権獲得を目指す韓国。その韓国代表チームを牽引するのが左腕のヤン・ヒョンジョン(KIA)だ。プロ13年目、31歳のヤン・ヒョンジョンは韓国歴代6位タイの通算136勝、現役最多で歴代5位の1524奪三振を記録している。
今季は自身8度目の2けた勝利となる16勝を挙げ、2.29という防御率で2度目のタイトルを獲得。同い年のサウスポーで通算勝ち星も同数のキム・グァンヒョン(SK)とともに韓国投手陣をリードしている。
そのヤン・ヒョンジョンの「師匠」とも言える存在が日本にいる。近鉄、ヤクルトでプレーし、1975年にはノーヒットノーランを達成。引退後は日本での指導者生活を経て、2008年から2年間、KIAで投手コーチを務めた神部年男さん(76)だ。
神部さんは同じ左腕のヤン・ヒョンジョンの能力に惚れ込み、高卒2年目だったヤン・ヒョンジョンを熱心に指導。ヤン・ヒョンジョンは翌年の2009年に12勝5敗をマークした。
ヤン・ヒョンジョンは神部さんについて「平凡な選手だった僕を、チームを引っ張っていける投手にしてくれました。僕を作ってくれた人です」と感謝を口にする。
神部さんは日本に戻ってからもヤン・ヒョンジョンを気に掛け、インターネットを通して彼の登板をチェック。時折電話でもコミュニケーションを取った。
上の写真は2013年に神部さんがハンファの投手インストラクターとして沖縄キャンプでヤン・ヒョンジョンと再会した時のもの。おじいちゃんと孫ほど年の離れた2人が強い日差しの下、通訳を介さず身振り手振りでやり取りをしていた。
2017年、ヤン・ヒョンジョンは20勝を挙げ、チームは公式戦を制覇。神部さんはヤン・ヒョンジョンに「おめでとう」と電話をすると、ヤン・ヒョンジョンはこう言った「韓国シリーズ見に来てくれますよね?」。
神部さんはKIAの本拠地・クァンジュ(光州)に向かい韓国シリーズを観戦。第2戦に先発したヤン・ヒョンジョンは6回のピンチでトゥサンの4番キム・ジェファンを見逃し三振に抑えると、スタンドの神部さんに向けて「どうだ!」とシグナルを送った。9回122球を投げ11三振。1-0での圧巻の完封勝利だった。
この韓国シリーズでヤン・ヒョンジョンは優勝に王手をかけた第5戦、9回裏にマウンドに上がりゲームを締めて胴上げ投手に。シリーズMVPに輝いた。
「エースの風格がありました」
神部さんは穏やかにそう話す。その年のオフ、ヤン・ヒョンジョンは結婚。神部さんはヤン・ヒョンジョンの結婚披露宴にも出席している。
ヤン・ヒョンジョンの特徴は140キロ台後半のストレート、それと同じ腕の振りから繰り出すチェンジアップ。そして打者から球の出所が見えにくいフォームにある。
神部さんは「下半身のバランスが安定すれば左腕が自然についてきますが、左腕の出が遅れすぎるとボールが高く浮いて、制球が不安定になります。速いボールといいチェンジアップを持っているので、コントロールが定まれば心配ない投手」と常々言っていた。
ヤン・ヒョンジョンは神部さんと過ごした日々を「いつも僕を“バカ”と叱って、泣くまで練習したこともありました」と振り返る。しかし今では立派な韓国の大黒柱だ。
ヤン・ヒョンジョンは6日、オープニングラウンドのオーストラリア戦に先発し、6回を投げて与えたヒットは内野安打1本、10個の三振を奪い無失点で勝利投手となった。
スーパーラウンドでは11日のアメリカ戦に先発予定。その後、中4日での登板となると16日の日本との対戦となる。
今年9月、侍ジャパンの稲葉篤紀監督一行は韓国を視察。ヤン・ヒョンジョンの投球も実際に目にした。稲葉監督は「基本的にコントロールがいい投手。特に右打者へのインコース、左打者へのアウトコースにしっかり投げ切れている。角度もあるし球威も感じる。素晴らしい投手という印象」と話した。
日本のトップチームが出場する大会での代表入りは今回が初となるヤン・ヒョンジョン。「師匠」が暮らす日本で、韓国の大エースが姿を見せる時がきた。
(関連項目)プレミア12 日程と結果 韓国代表選手一覧
・本記事は筆者の著書「野球愛は日韓をつなぐ」(論創社)に執筆した内容を一部加えました。