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なぜ赤十字はウクライナ戦争で厳しい非難を浴びたのか【後編】ロシアと赤十字が握手した波紋

今井佐緒里欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者
5月1日マリウポリで包囲され破壊された製鉄所から女性や子供たちを連れ出す様子。(提供:Azov regiment/REX/アフロ)

<この記事は、前編の続きです。欧州経済領域と英国でYahooJapanが4月6日から見られなくなったために、リンクが貼れません。すみません>

ロシアと赤十字が握手した波紋

3月下旬に、ロシアは隣国の武装解除と「非ナチ化」を目的とした「特別軍事作戦」の開始以来、ウクライナから数十万人を避難させたと発表した。

一方ウクライナは、ロシアが開戦以来、包囲された都市マリウポリからの約1万5000人の市民を含む数千人を、不法に国外移送させたとしていた。

そんな緊迫する情勢の中、3月23日、ロシアのラブロフ外相と、赤十字国際委員会(ICRC)のペーター・マウラー会長が、モスクワで会談、握手をしたのだ。

会談では、ロシアのロストフ・ナ・ドヌに事務所を開設する計画を話し合ったという。ウクライナ東部国境近くにあるロシアの大都市で、ロストフ州の州都である。ロシアは紛争地域から移送された人々の一時的な宿泊キャンプとして利用してきた。

このことに、ウクライナ当局も驚きを見せた。

ロイター通信によると、ウクライナ当局は赤十字国際委員会(ICRC)に対して、計画されているロストフの事務所を開設しないよう要請した。この動きは、モスクワの人道的回廊とウクライナ人の拉致、ロシアへの強制移送に正当性を与えると主張した。

ロシアのメディアでは、事務所開設を要請したのは、赤十字側だという報道がなされていたという。

ラブロフ外相とマウラー会長は3月24日モスクワでの会談後の記者会見で握手を交わした。
ラブロフ外相とマウラー会長は3月24日モスクワでの会談後の記者会見で握手を交わした。写真:代表撮影/ロイター/アフロ

さらに、ウクライナ議会の公衆衛生委員会の委員長であるマイカリオ・ラデュツキー氏は声明で、「委員会は、赤十字国際委員会(ICRC)に対し、ロシア連邦の領土における『人道的回廊』を合法化しないこと、また、ウクライナ人の拉致や強制移送を支持しないことを求めます」と述べた。

この会談は、ウクライナの人々にも大きな反発を引き起こした。

例えば、ウクライナ軍への支援を行う団体「Come Back Alive Foundation(生きて戻ってくる基金)」のメンバーであるマリア・クシュレンコ氏は、二人の首脳の発表が理解出来ないと、『リベラシオン』に語っている。

「マウラー会長がラブロフ外相と会談して、ロストフに事務所を開設する意向を示したことは、悪く受け止められています。この決定の背景にある議論、『既にロシア領に後退しているウクライナ人を助けるために必要なのではないか』というものに、皆何よりも驚いていました」

「ウクライナ人や他国の代表たちは、この発表を、ウクライナ人の強制移送を共謀したものであり、赤十字国際委員会(ICRC)の基本原則である中立性の侵害であると受け止めました」

一方で、ペーター・マウラー会長は、ラブロフ外相との会談後、戦乱のウクライナから民間人を適切に避難させるためには、ロシア軍とウクライナ軍の間で合意が必要であると述べた。

そして赤十字国際委員会(ICRC)はロイターに対し、ウクライナからロシアへの強制移送の報告について「直接」情報を持っていないし、そのような活動を促進もしていないと述べた。

さらに、ロシアのロストフ・ナ・ドヌに事務所を開設する可能性があるのは、人道的必要性が起こった場合に対応するため、この地域での活動を拡大する取り組みの一環であると述べている。「私たちの優先事項は、武力紛争の犠牲者がどこにいようと、彼らを支援するために、彼らのもとに到着することである」。

前編で登場したフレデリック・ジョリ氏は、『リベラシオン』に対し、以下のように説明している。

「赤十字国際委員会(ICRC)は戦争の経験があります。紛争が起きたら、我々独自のロジスティック(兵站)の手段で、その地域を囲い込むようにします。ロストフに倉庫を開くプロジェクトは、東へのアクセスを可能にするはずです。我々は、可能な限り一貫した手段で、可能な限り紛争地域に近づく必要があります」

これらの議論に、正答を与えることは難しい。少なくとも現地で何が起きたかは、紛争地のあらゆる現場に証人としてのメディアが入るのも不可能なために、赤十字側の「住民の意に反して移送は行っていない」という言葉を信じるか、信じないかになってしまう。

ただ、この「NGOの中立性の議論」そのものは、昔からあるものである。中立とは、どちらにも加担しないので「和」である、というほど、生易しいものではない。矛盾を抱えながら、全身全霊を込めて守り抜くものなのだろう。

フェイスブックで、Sadakazu Ikawaさんという方(開発・人道活動コンサルタントと自己紹介)が、とても問題を理解しやすい発言を載せていた。以下に紹介したい。

政治的、人種的、宗教的、思想的な対立において一方の当事者に加担しないという「中立性」は、人道支援団体にとっての生命線。これがあるからこそ、困難な状況において、人道活動に関わるものの命を担保し、最も必要な人々にサービスを届けることができる。

同時にジレンマもこの「中立性」にある。明らかに国際法や人権が脅かされている現状を前にして、人々に必要なサービスを提供するために中立性を保つ(不正義に目をつぶる)べきか、または、サービスが提供できなくなる可能性があったとしても、不正義に対して声を挙げるべきか(中略)。

ミャンマーでも、ウクライナでも、国際NGOの現地スタッフであった若いミャンマー人、ウクライナ人たちが、ミャンマー国軍やロシア軍と武器を持って戦うために離職した話をよく聞く。あまりに明確な国際法違反や人権侵害を前にして、「中立性」は人道組織の限界を規定するものにもなる。

ある記事で、キーフの赤十字国際委員会(ICRC)代表や国際法の専門家が語っていた言葉が印象的だ。「人道組織や国際法は、戦争を終わらせたり、爆撃による被害を止めることはできない。それは政治家や外交の仕事だ」「人道組織は、人々の苦しみを軽減するためにそこにいるのだ」

複数の異なる「赤十字」の組織と活動

赤十字の組織は、複雑でわかりにくい。

ここで、簡単に説明しておこう。

元々赤十字(ICRC)は、1863年にスイス人のアンリ・デュナンがジュネーブに創設したもの。後の1919年、イスラム教徒のシンボルである新月の赤色が加わって、連盟のほう(IFRC)がパリで創設された。
元々赤十字(ICRC)は、1863年にスイス人のアンリ・デュナンがジュネーブに創設したもの。後の1919年、イスラム教徒のシンボルである新月の赤色が加わって、連盟のほう(IFRC)がパリで創設された。

赤十字国際委員会(左・ICRC)は、ジュネーブ条約の委任を受けて活動する。そのほかにも、国際赤十字・赤新月社連盟(右・IFRC)がある。各国の赤十字社は(日本赤十字社も)、後者に属するのである。

紛争地域で活躍しているのは、赤十字国際委員会(左・ICRC)である。

「赤十字国際委員会(ICRC)は、紛争における中立的な仲介役であり、その委任は世界でも類を見ないものです。民間人や、もう戦闘をしていない人々のために介入します。各国の赤十字社は、例えば難民への援助など、主に紛争地域の外で活動しています。彼らの中立性は、赤十字国際委員会(ICRC)とは大きく異なります。なぜなら、彼らは公的機関の補助機関だからです」とフレデリック・ジョリ氏は説明する。

そして、「戦争の中の赤十字である『赤十字国際委員会(ICRC)』、そして平和の中の赤十字である『国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)』があるのです」と、わかりやすくまとめた。

3月上旬にポーランド国境にボランティア活動に行った人が、場所によってはポーランド赤十字はいたが、赤十字国際委員会(ICRC)がいなかったと語っている。それは当然のことで、後者はウクライナの中、紛争地域にいるのである。役割が異なるのだ。

また、さらに早い段階だと、場所によってはNGOも到着しておらず、何千人の避難民が、ボランティアが集まっているところに押し寄せて、カオス状態だったこともあるという。

爆撃の中の試行錯誤

それでは、赤十字国際委員会(ICRC)は、これまでウクライナでどのような活動をしてきたのだろうか。

「10カ所の異なる場所に、700人のスタッフ(4月上旬時点)がいます。いずれも武力紛争に関連した場所で、人々の避難のように、救援活動の立ち上げが見られる可能性が高い場所です。500トンの支援物資が届けられましたが、中には戦傷者用キット、食糧支援、医療・衛生キット、そして遺体袋などがありました」とフレデリック・ジョリ氏は説明する。

しかしマリウポリでは、3月下旬、敷地から退去しなければならない事態に陥った。「戦闘開始の直後から窮地に陥っており、ICRCは倉庫に保管していたすべての支援物資を配布しました。負傷者用の食料、防水シート、その他の設備ですが、これらのおかげで、被災した後にまだ機能していた小児科病院を分離することができました。これらの支援は、先日攻撃にみまわれた倉庫に保管されていたのです」

「それ以来、ICRCは戦闘のために、物資や援助を持ち込むことができないでいます。さらに、ICRCのウクライナ人の同僚の家族が、事務所に避難してきました。多くの子供を含む100人ほどが詰めかけました。そのために、戦闘が一息ついたときに、すべてのスタッフといくらか別の家族を退避させることになりました」

ICRCは4月1日に再び町に入って、民間人の避難を試みる予定だった。しかし、午後の中頃に「不可能」とわかった。車両3台とスタッフ9名からなるICRCチームはマリウポリに到着せず、民間人の安全な通行を促すことができなかったと、ICRCは声明で述べた。再び週末に新たな試みを行う予定であると付け加えていた。

このような状況で、赤十字のスタッフたちは活動を続けてきた。

確かこのころに筆者は、赤十字が批判を受けていることに気づいたのだった。当時のツイートには、赤十字のマークをナチスのマークに改造したかのようなものがあったり、陰謀論のようなものが飛び交ったり、ぐちゃぐちゃであった。書いてある言葉は理解できても、頭の中は「???!!??」となっていた。

今思えば、マリウポリの状況が最も緊迫した状況になっていて、製鉄所に避難している人たちが全員死んでしまう! という危機感のなかで起きたのだと思う。

調べてみれば、大メディアは記事にしていないわけではないが、全体として扱いが小さいように見えた。ソーシャルメディアで大きな話題になっているのに。彼らも混乱していたのか、難しい問題なので慎重だったのか。

今こうして、ある程度整然と日本の読者に何が起こったかを伝えることができるのは、優れた『リベラシオン』の記事によるところが大きい。フランスで最も有名なフェイク(偽)ニュースのチェックをする編集部があり、その着実な積み重ねで、大きな信用を得てきた。常日頃チェックの態勢をもっており、ノウハウもあるからこそ、素晴らしい解説が可能だったのだろう(購読はこちら)。このような機能は、日本のマスコミに存在しないのが残念だ。

そして4月28−29日、グテーレス国連事務総長がキーウに赴いて、やっと市民全員がアゾフスタル製鉄所から避難することができた。

赤十字国際委員会(ICRC)のウクライナ代表団のパスカル・フント代表は、アゾフスタル製鉄所からの避難を何度も指揮してきた人物だ。彼はフランスのBFMTVに対し、数週間の地下生活を経て表に出たウクライナ人の苦痛について、「心が引き裂かれる」証言について語っている。

彼らは「何週間も日の光を見ていなかったのです。光も電気もない壕の中で、光を見なかった人たちを想像してみてください。彼らの中には、埋もれて死ぬのが怖かった、爆撃が続くのが怖かったと語る人々がいました。そして、日光を見て、赤十字の旗を見て、涙を流した人々がいました」。

ピーター・マウラー会長は声明でこう述べた。「赤十字国際委員会(ICRC)は、今もそこにいる人々、敵対行為の影響を受けている他の地域の人々、そしてどこであろうと、人道支援を緊急に必要としている人々のことを忘れません」、「そのような人々のもとへ到達するための努力は惜しみません」。

5月1日マリウポリのアゾフスタル製鉄所から人々を救出する
5月1日マリウポリのアゾフスタル製鉄所から人々を救出する提供:Azov regiment/REX/アフロ

赤十字国際委員会の支援を受けたパレスチナの農民が、ガザ地区中央部のイスラエルガザ国境近くで、小麦の種を投げながら植えるパレスチナの農民たち。2020年2月3日
赤十字国際委員会の支援を受けたパレスチナの農民が、ガザ地区中央部のイスラエルガザ国境近くで、小麦の種を投げながら植えるパレスチナの農民たち。2020年2月3日写真:ロイター/アフロ

欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出会い、平等と自由。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。元大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著「ニッポンの評判 世界17カ国レポート」新潮社、欧州の章編著「世界で広がる脱原発」宝島社、他。Association de Presse France-Japon会員。仏の某省機関の仕事を行う(2015年〜)。出版社の編集者出身。 早稲田大学卒。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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