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【河内長野市】千早赤阪村との境にかつて存在した旧道トンネル「千早洞」は、プチ秘境となっていた。

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

山に覆われ、奥河内と言われている河内長野よりもさらに山奥、大阪府唯一の村なのが千早赤阪村です。河内長野市の小深地区から金剛山登山口でもある千早赤阪村の千早地区までの道には、現在、新千早トンネルがあります。

しかし、かつては千早洞という旧道のトンネルがふたつの自治体を結んでいました。今の旧道や千早洞はどうなっているのか見に行くと、プチ秘境のような場所となっていました。

地図で表すと次の通りです。現在は路線バスも含めてすべて新千早トンネルを通りますが、かつては千早洞の道がありました。しかし現在千早洞は全面通行止め。現状どうなっているのか千早赤阪村側の①と河内長野側の②を見てみることにしました。

なお公共交通で行く場合は、どちらも千早赤阪村にある千早大橋バス停が近いです。河内長野側の小深バス停から向かうと登り道になっており、歩道のない道で片道30分近くかかります。

こちらは千早大橋ですが、橋の手前に千早大橋バス停があります。訪問時は土日祝だったので、金剛山ロープウェイ行きの南海バスの本数が日中、30分に1本のペースでありました。

それとは別に、金剛バスが富田林方向から来て、こちらも休日は本数が増えるので、ひんぱんにバスが通っていました。

まずは、千早大橋からすぐのところ、①の千早赤阪村側の千早洞に入ってみましょう。いきなり全面通行止めの看板が見えます。

入り口からすでに山道のようになっています。通行止めはトンネル(千早洞)のことで、徒歩でその手前まで行けます。

通行止めの看板の横に、観心寺の楠公首塚までの距離が書かれている石碑がありました。

見た目は山道ですが、元々旧道が通じていたのがわかるほど、幅が広い道が続いています。

ただし、事実上放置されている道なので、このような倒木もありました。もし行く際には十分注意していただくことはもちろん、自己責任でお願いします。

道を歩いて行くと、やがて草むらのようなところに出て、シダ類が生えているのがわかります。

この辺りにも倒木がありますね。十分注意しながら歩かなくてはなりませんが、プチ秘境を楽しめる雰囲気ではあります。

やがてトンネルが見えてきました。これが、現在、全面通行止めになっている千早洞です。

千早洞(千早隧道)を調べると、1917(大正6)年に竣工したトンネルで、トンネルの長さは88メートル、幅が2.4メートルです。

見事にトンネル部分が閉鎖されており、ここからは徒歩でも入れません。イギリス積みの煉瓦(レンガ)造りのトンネルは、レトロな雰囲気に満ちていますね。

千早洞は、さらに調べると、素掘トンネル(周囲の土の崩壊を防ぐ工事を行わないで、そのまま掘り進める)で、江戸切りの楯状迫石(せりいし:アーチを形成する石)胸壁の煉瓦のポータル(トンネルの入り口)という構造になっているそうです。

煉瓦造りの車道トンネルは、大阪府では非常に珍しいのだとか。そのため日本の近代土木遺産でCランクに認定されています。

正面上には「千早洞」の文字がハッキリ見えました。さらに左に小さい縦書き文字が見えますが、これは大久保利通の三男で大正時代に大阪府知事を勤めていた大久保利武が書いた「千早洞」の文字を基にしたもののようです。

トンネルの先は暗闇になっています。どこか未知の世界、異空間が広がっていそうな不思議な光景でした。

千早赤阪村の千早洞を確認したので、今度は②の河内長野側を見てみましょう。途中に石に方向が書かれている道標を発見。

何と書いているのか読めませんでしたが、調べると「左赤たき(赤滝)、右東さか(東阪)」ではという説がありました。赤滝とは千早川マス釣り場の近くにある滝で、東阪は、千早赤阪村の地名ですね。また「右はちはや口では?」という情報もありました。

さて、現在の河内長野と千早赤阪を結ぶ新千早トンネルに入ります。

新千早トンネルは、1972(昭和47)年3月に出来た全長268メートル、幅6.5メートルのトンネルです。このトンネルができる前まで旧道の千早洞を使っていたということですね。

ちなみに新千早トンネルには歩道があります。歩く者にとってこれは非常にありがたいところ。

まあこのトンネルを歩く人は、あまりいないとは思いますが、歩道がないとちょっと怖いですね。トンネル内に入ったのが小さなバイクだとしてもトンネル内で反響して、大音響になっていました。

トンネル内によく見かけるポスターは、落書き防止のためのもの。

間もなく出口です。河内長野側ですね。

トンネルを出たところにある道標です。河内長野側の千早洞に行くには、トンネルを出て少し歩いたところに分岐している道があります。

こちらが分岐している道。上り坂になっていますが、この道は新千早トンネルの上に続いています。

先ほどくぐった新千早トンネルです。

ちょうどトンネルの上から撮影しました。先ほど歩いた道路が見えます。

河内長野側は、山道ではありません。実は千早洞の近くに会社があるんです。

やがて会社の建物が見えてきました。貴島産業(外部リンク)さんの千早工場です。余談ですが千早工場とありますが、住所は河内長野市です。

工場の横の道を歩いて行きます。

工場の前の広場のようなところに来ました。この広場から千早洞に通ずる道があるはずです。

ここからは、通常人が入らないためか草で覆われていましたが、わずかに道を発見しました。

境界線にゲートのようなものがありました。これは非常に低くて普通にまたいで奥に入れます。

少し山道になりましたが、千早赤阪村側と違い、すぐに千早洞が姿を見せました。

こちらが河内長野側の千早洞入口。千早赤阪村側と違い、トンネルそのものが壁で閉鎖されていました。

上の部分には「千早洞」の文字が見えます。

ということで、現在は全面通行止めになっている千早洞の千早赤阪村側と河内長野側を見てきました。バス停から徒歩15分程度のところなのに、十分な秘境感が味わえます。道もひとつしかないので迷うことはないでしょう。

ただ全く整備されていない廃墟のようなところなので、繰り返しになりますが、行かれるときには十分注意し、自己責任でお願いします。

千早洞
住所:大阪府河内長野市小深
アクセス:南海近鉄河内長野駅からバス 千早大橋バス停から徒歩15分程度

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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