ヤマハ退任した清宮監督。前代未聞のフランス・スクラム遠征で感じた実行力。
スクラム練習のためだけにフランス国内を転戦する-。そんな驚くべき“スクラム武者修行”を2012年、2015年の2度にわたり敢行したチームがある。
ラグビー・トップリーグのヤマハ発動機だ。
旗振り役は、清宮克幸監督。
OBでもある早稲田大、サントリーで辣腕を振るい、2011年、前年度に入替戦を戦っていたヤマハ発動機の監督に就任。
就任4年目の2014年度シーズンには、創部33年目で初の日本選手権優勝。
就任1年目からの最終順位は8、6、5、2、3、2、3、3。リーグ4強の一角に育て上げ、8季務めた監督を2019年1月に退任した。
そんな名将が就任初年度から注力していたのが、スクラムの強化だった。
スクラムを絶対的な武器にする。その本気度を端的に表していた前代未聞の取り組みが、フランスへのスクラム強化遠征だったろう。
フランスには独自のスクラム文化があり、チームにより組み方に多様性があった。そんなフランスを転戦することで知識と経験を深化させ、オンリーワンにして最強のスクラムを作り上げたい。
ヤマハ発動機は清宮監督2年目の2012年度、FW陣が1度目のフランス遠征を行った。そして2015年夏、ふたたびFWが渡仏。
スクラムのためにそこまでするのかー。稀代の勝負師が繰り出した一手に驚いた関係者は少ないはずだ。
本稿筆者は15年の仏遠征を現地で取材した。遠征の予定を知って申し込み、許諾を得た。
当然ながらチームとは別行動。民泊サイトを通じ、現地の一般家庭に泊まりながら、レンタカーでチームを追いかけ回した。
遠征は11日間。参加メンバーは三村勇飛丸キャプテン(当時)などFW陣、長谷川慎FWコーチ(現日本代表スクラムコーチ)を始めとするスタッフなど、総勢約20人。
チームはラシン92など強豪8チームとスクラムセッションを予定し、2015年7月24日に成田を発った。
チームはまずフランス中西部のシノンで地元チームとスクラム練習を行ったのち、7月27日から2日間はパリに滞在。2チームと交わった。
フランス国内1部「TOP14」のスタッド・フランセでは、航空機の着陸停止用ロープ(アレスティングワイヤー)を使用した独自スクラム練習の指南を受けた。
そして2チーム目は、2015年度のTOP14を制した当時の国内NO1チーム、ラシン92。
スクラムセッションの相手は、なんと3人の現役フランス代表を含むAチーム。トップチームを用意してくれる点もフランスを選んだ理由のひとつだった。
「flexion (フレクション)! liez(リーエス) ! jeu(ジュー) !」
コールと共に激しくヒットし、うなり声を上げながら攻防する。相手の捉えようによっては道場破りのようなものだ。負けたくない一心で猛烈に押してくる。
レフリーもおらず両軍殺気立ち、雰囲気はスクラムという名の決闘。セッション後、ラシン92の担当コーチは「ヤマハは塊になっていて良い」と讃えていた。
7月28日から6日間は、仏ラグビーの中心地トゥールーズを拠点としてカストル、タルブ、アルビ、オーシュ、アジャンと次々に“他流試合”をした。
当時のヤマハ発動機は前年度の日本選手権で、鉄壁のDFシステム、そして強力スクラムで優勢となって日本一を獲っており、すでにスクラムでは国内最高峰。
フランスでもタルブやアルビには優勢。ただカストルには歯が立たず、世界を体感した。一方で事情により若手チームが相手となったTOP14のアジャンは、完膚なきまでに粉砕した。
取材を通して、筆者はスクラムの奥深い世界を垣間見はしたが、スクラムの細部を実感として理解することはできなかった。ただ1試合で10本程度のスクラムに全身全霊を懸ける男達がいることを肌身で体感したことは大きかった。
一方、武者修行とはいえ、セッション後には必ずラグビーらしい温かい交流もあった。
全員が握手をして練習を終え、ジャージーを交換して記念撮影。アフターマッチファンクションなどの歓待もあった。フランスの地で、スクラムに懸ける者同士の絆が生まれていた。
その後ヤマハ発動機のスクラムはさらに飛躍した。
15年度のトップリーグはプールBを首位通過した。プレーオフで敗れ総合3位に終わったが、16年度の開幕戦では、3連覇中だった王者パナソニックと対戦。
スクラムで圧倒してペナルティトライや再三の反則奪取により24-21で競り勝ち、2季前のプレーオフ決勝の借りを返した。
そして同年10月、“スクラムのヤマハ”を支えてきたFW達が日本代表に初選出されるのだった。
仲谷聖史、山本幸輝、伊藤平一郎、日野剛志、ヘル・ウヴェ、三村勇飛丸の6人だ。長谷川FWコーチもスクラムコーチとして日本代表スタッフに招集されていた。
この飛躍についてスクラム強化を指揮した本人は、退任会見で「こんなに嬉しいことはない。ヤマハのスクラムが日本のスタンダードになった」と笑顔で回顧していた。
今年1月の退任会見で、清宮監督は今後チームアドバイザーとして関わり、新監督にはヘッドコーチから昇格の堀川隆延氏が就任すると発表した。
新たな挑戦も明らかになった。
エコパスタジアム(静岡・袋井市)を拠点とする総合型スポーツクラブ「一般社団法人アザレア・スポーツクラブ」の代表理事としての活動だ。
女性と子どもに特化する同クラブでは、まず女子7人制ラグビーの女子チーム「アザレア・セブン」を創設。
監督には15人制元日本代表の小野沢宏時氏が就任した。3月3日(日曜)にはエコパスタジアムでトライアウトが開催される。
同クラブの名誉顧問は、静岡県の川勝平太知事。パートナーや理事は錚々たる顔ぶれだ。
会見を聞きながら、フランス遠征を初めて聞かされた時と似た衝撃を覚えた。類い稀な実行力への感嘆だ。しかも今回はさらに規模が大きい。
実行力は昨日今日の話ではない。
1989年の早大4年時には主将になるとOBと交渉し、グラウンド脇にスピードトレーニング用の坂道を作ってしまった。
またFWがラックに集散するのが一般的だった当時、大胆に空けたピッチ半面にバックローを走り込ませる新戦術「ショートライン」も採用した。
2001年度から優勝3回、準優勝2回を誇った早大監督時代は、データ集計による選手評価の可視化、アディダスとの提携、今日のアザレア・スポーツクラブにも通じる特定非営利活動法人「WASEDA CLUB(ワセダクラブ)」の設立・・・。オリジナリティ溢れる取り組みを次々に実現させた。
勝利や成功に必要なものを独自のセンスで感じ取り、強い個性で実現してしまう。フランス遠征もその好例だ。
清宮氏は監督退任会見後、記者の囲み取材のなかで、今後のラグビーの監督業について消極的な考えを示した。
ただ指導者ではなくとも、関わり方は多種多様にあるに違いない。日本ラグビー界に、氏の実現力、強い個性に触れる機会が、これからもあり続けることを願うばかりだ。