[訃報]半世紀以上も南米の風を世界に広め続けたサックスの巨星|ガトー・バルビエリさん逝去
サックス奏者のガトー・バルビエリさんが4月2日に亡くなった。享年83歳。
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ガトー・バルビエリと言えば、トレードマークにもなっていた黒い中折れ帽姿でひょうひょうと演奏するイメージが残っている。
と言ってもボクは、残念ながら彼の生ステージを体験したことはないのだけれど、幸いにして2000年に制作されたフェルナンド・トルエバ監督のドキュメンタリー映画「CALLE(カジェ)54」で“動くガトー・バルビエリ”を目にして、そのたたずまいがアルバムの印象とあまりにも近かったことにビックリしたことを記憶している。
この「CALLE 54」という映画は、“ラテン・ジャズ”というジャズのカウンター・ストリームを築き上げたニューヨーク在住のレジェンドたちを追って、その演奏を収めた貴重な作品なんだけれど、このなかでガトー・バルビエリはクインテットを率いて登場。民族的な優位性を存分に発揮して健在ぶりをアピールしていた。また、最近までニューヨークのブルーノートでの月例ライヴを続けていたようだ。
彼がアルゼンチン・サンタフェ州の最大の街ロザリオに生まれたのは1932年。
家庭は音楽的な環境にあったのに、彼は楽器に興味を示そうとしなかったようだが、12歳のときに耳にしたチャーリー・パーカーの「ナウズ・ザ・タイム」で突如として目覚め、クラリネットを練習し始めた。
1947年にブエノスアイレスに引っ越すと、アルト・サックスに転向。このころから“黒い猫”を意味する“エル・ガトー”というニックネームで呼ばれるようになったという。サックスを抱えて繁華街のジャズクラブ出演のために飛び回っていた姿が揶揄されたことが由来らしい。
同じくアルゼンチン出身の作曲家、ラロ・シフリンのオーケストラに加入すると、その名は一気に広まることになる。余談だけど、ラロ・シフリンはこのあとの1960年代にアメリカへ移住して、ディジー・ガレスピーやクインシー・ジョーンズの楽団でピアニスト&アレンジャーとして腕を振るい、TVドラマ「スパイ大作戦」や映画「燃えよドラゴン」「ダーティー・ハリー」などの音楽を担当することになる。
閑話休題、一方の1960年代のガトー・バルビエリは、フリー・ジャズの影響を受けてその温かみのあるザラッとしたサックスのサウンドによる自己の音楽的世界を発展させていったが、ほどなくアイデンティティである南アメリカ=第三世界を意識したアプローチを取り入れ、作品に反映させるようになっていった。
そんななかで彼に与えられたのが、ベルナルド・ベルトリッチ監督の映画「ラストタンゴ・イン・パリ」の音楽を担当するというチャンスだった。
この仕事でグラミー賞を受賞し、ガトー・バルビエリの名は世界に知れ渡ることになった。
1997年には心臓のバイパス手術を受けたが、直後にアルバムを発表するなど制作意欲は衰えることなく、それまでのスピリチュアルなラテン風味にスムースなテイストを加えていくなど、表現の幅をさらに広げる活動を続けていった。
ご冥福をお祈りします。