JASRAC対ファンキー末吉氏の地裁判決文が公開されました
元爆風スランプのドラマーであるファンキー末吉氏が経営するライブハウスの音楽著作権利用料の支払いにつきJASRACが裁判で争っていたのは周知だと思います。先日、その第一審の判決文が裁判所のサイトで公開されました。
結論としては、特定楽曲(どの曲かは不明)の利用の差止めと利用料相当額(300万円弱)の支払いについて、JASRACの請求が一部認められています。
判決文はやや長いですが、現在の音楽著作権管理における問題点がいろいろと議論されていますので、ご興味ある方は是非読んでみて下さい。争点と裁判所の判断は大きく以下のとおりです。
1.演奏主体の問題
被告側は末吉氏のライブハウスは場を提供しているだけなので、演奏の主体ではないと主張していますが、(たまに音楽イベントを行なうレストランではなく)ライブハウスとして定常的に営業している以上、いわゆるカラオケ法理の適用により演奏の主体とされる(=著作権利用料支払いの責を負う)と判断されています。カラオケ法理非適用を主張するのはかなり無理筋と思いますし、そもそも仮に非適用とされると矛先が演奏者自身に向かうわけなので訴訟戦術としてはあまり筋が良くないと思います。
2.自分の作品の演奏は著作権侵害ではない
自分が作った曲を演奏しても支払いが必要(支払わないと著作権侵害になる)というのは一般にJASRAC批判としてよく聞かれる話です。しかし、これは、信託の仕組みとしてしょうがない話です(JASRACに楽曲を信託すれば著作権者は作曲家・作詞家・音楽出版社ではなくJASRACになります)。被告側のこの主張は裁判所に一蹴されています。
3.無過失である
被告側は著作権侵害の認識がなかった(JASRAC管理曲が演奏されるかどうか、また演奏者がJASRACから直接許諾を取っているかどうかを知り得なかった)と主張しました(もし無過失であれば差止めは受け得ますが損害賠償は発生しません)。これもちょっと無理な主張で、いろいろな状況証拠より故意が認定されています。
4.JASRACとの調停による許諾
この裁判に先立って行なわれていた調停において1曲ごとに140円を支払うことで許諾を得ていたのとの主張ですが、それは被告側の一方的な主張であって、JASRACが合意していたわけではないと認定されています。本件で、なぜJASRACが1曲ごとの支払いを拒んでいたのかが不思議だったのですが、「原告管理著作物が演奏されている のに”全曲オリジナル(編曲)”と記載されているものがある」等、被告側提供の楽曲リストに不備があったこと等が理由のようです(一般にこの手の訴訟ではJASRAC調査員が客として現場で実態調査することはよくありますので、どうせわからないだろうと正直に報告しないと厳しいことになります)。
5.権利濫用
この争点に対する裁判所の見解は興味深いので判決文を引用します(強調は栗原による)。
また、末吉氏をはじめとする多くの人がJASRAC批判としてよく挙げているポイントである作曲家・作詞家への利用料金配方式の不透明性については以下のように判断されています。
要は、それは作曲家・作詞家としての末吉氏とJASRACとの間の問題であって、今回の裁判におけるライブハウス経営者としての(楽曲利用者としての)末吉氏とJASRACの間の問題ではないと裁判所は言っているわけです。
JASRAC管理楽曲を無許諾で演奏したという事実が認定された上での話なので、著作権利用料の支払いが命じられるのはいたしかたないと思います(逆に払わなくてよいという判決だったらびっくりです)。末吉氏とその支援者にとっては残念な結果になってしまいましたが、支払額はJASRACの元々の請求額の半分以下に減らされていますので「水増し」は許さないという裁判所の考えは窺えます。また、上記判決文引用の太字部分からもわかるように、裁判官もJASRACの交渉が高圧的ではないかと心情的には感じていることがわかります。
個人的感想としては過去の演奏行為による支払い義務についてこれ以上争いを続けるよりも、今後の1曲1回報告方式を確実に行なう方向、および、利用料分配方式の透明化に話を持っていった方がよいのではないかと思います(こちらについてはまた後日)。