旧ソ連諸国で徴兵制が復活 徴兵制は「ありえない」か?
「次は徴兵?」
平和安全保障法案(いわゆる安保法案)を巡って、国論が大きく揺れている。
同法案の反対派は、集団的自衛権の行使が認められることで日本の安全保障とは直接関係のない紛争にまで巻き込まれる可能性を指摘する。これについては筆者も一定程度、そのようなリスクは認めざるを得ないと考える。
ただし、この法案を「戦争法案」と呼び、可決されるやただちに戦争が始まるとか(どことだろうか?)、徴兵制が敷かれるといったややヒステリックな反対論者の姿を見ることも少なくない。
特に徴兵制に関しては安保法案とほぼ無関係であることは明らかであるが、「次は徴兵制だ」という議論は根強い。たとえば今年6月、民主党の枝野幹事長は仙台市内の演説会で次のように述べている。
憲法解釈を都合よく変えてよいとなったら、次は「徴兵制」ですよ、みなさん。徴兵制だって、集団的自衛権と一緒で、憲法に明確に(禁止と)は書いていない。集団的自衛権は(憲法に)駄目と書いていませんが、長年の解釈で自民党自身もだめと言ってきた。いまは「徴兵制なんて考えていません。憲法違反」と、国会で答えている。だが、「(憲法は)苦役は駄目だと言っているだけで、徴兵は苦役じゃない、名誉だ」と言い出せば、憲法違反じゃなくなる
7月には、民主党広報委員会が作成した安保法案反対ビラに「いつかは徴兵制?募る不安。」との文言が掲げられた。このビラには出征する若者とそれを見送る母親のイラストが描かれている。
徴兵の軍事的合理性は「今のところ」低い
だが、高度な技能を求められる現代の軍隊では、短期間しか勤務しない徴兵にできることは極めて限られている。
実際、世界の主要国は冷戦後、徴兵を次々と廃止ないし縮小しており、2014年にはG7内で唯一徴兵制を維持していたドイツも完全志願制へと舵を切った。
ロシアは依然として徴兵制を維持しており、年間30万人もの若者が毎年軍務に就く。だが、車両の操縦手などの技能職はあらかじめDOSAAF(陸海空軍協力会)という国防省の関連組織で専門訓練を受けてから部隊に配属されているのが実情だ。最近の実績では、年間8万人ほどの若者がDOSAAFで予備訓練を受けた後、徴兵に赴いている。
要するにこのような「予備校」でも設けないことには徴兵は戦力としてアテにならないわけで、この点からも、徴兵制の軍事的合理性は基本的にあまり高くないことが窺われよう。
ちなみにロシアは、前述のような事情から徴兵を徐々に減らし、志願制を主とする体制への切り替えを図っている。
現在、ロシア軍では徴兵と契約軍人(志願兵)はほぼ同数(約30万人ずつ)が勤務しており、これに職業軍人である将校や軍の学校生徒などを加えて85万人というのがロシア軍のおおよその実数だ(定数は100万人)。しかし、将来には徴兵と契約軍人の比率を1:2とする計画であるという。
…が、将来もそうである保証はない
ただ、話はここで終わりではない。
というのも、以上のような一般的説明に反して、旧ソ連・東側諸国では相次いで徴兵制の再開またはその検討が進められているためである。
その筆頭が、昨年から内戦状態に陥っているウクライナだ。ウクライナは2013年末に一度徴兵制廃止を決めていたが、ロシアによるクリミア半島の占拠とその後の南東部(ドンバス地域)における内戦とにより、2014年5月に入ってから徴兵制を再開した。
さらにウクライナは通常の徴兵に加えて、一般市民を大規模に軍や治安部隊へと招集する動員を行っており、今月19日には第6次動員が開始される計画だ。
これに続いて、バルト三国最南端のリトアニアでも、今年、徴兵制再開が決定された。
同国は2008年に一度徴兵制を廃止したが、今年2月になってから徴兵制再開を検討し始め、今年9月から5年間限定で徴兵制を再開させることが決まったのである。徴兵対象者は19歳から27歳のリトアニア人男子で、9か月の軍務が義務付けられる。
リトアニアは旧ソ連諸国の中でも特に対露警戒感が強い国である半面、正規軍の兵力は1万3500人に過ぎず、大国(たとえばロシア)の侵攻を受けた場合にはまず単独での撃退は困難である。それゆえにリトアニアはNATOに加盟する一方、有事には国民を民兵組織などに動員してゲリラ戦略で侵略に対抗することを国防の指針としてきた。
ウクライナ危機の勃発によって安全保障上の懸念が高まった今年1月には、侵略を受けた際の避難や抵抗運動の方法を記したパンフレットの配布も開始している(詳しくはこちらの拙稿を参照)。
さらに米軍事専門誌「Defense News」によると、東欧のルーマニアとチェコでも徴兵制の再開が検討されているという。
「国民の形成装置」
このように、旧ソ連・東欧に目を転じると、徴兵制は過去の遺物に過ぎないと言い切るわけにはいかない事態が生じていることが分かる。だが、徴兵制は軍事的合理性が低い筈ではなかったか。
この場合、二つのことを考慮する必要がある。
A) 軍事的なリクルートメント制度は必ずしも軍事的合理性のみによって決定されるわけではない。
B) 戦略環境によっては軍事的合理性が変化する可能性がある。
まずA) であるが、たとえばロシアの保守的な政治家や国民の間には、軍事的合理性を別として徴兵制を支持する声が強い。若者の愛国心を高め、さらに多民族で構成されるロシアという国の一体感を醸成するために徴兵は必要だという意見である。いわば、軍隊を「愛国心」や「国民」の形成装置と捉える見方と言えよう。
ちなみにロシアの大手世論調査機関VTsIOMが行った2013年の調査によると、ロシア国民の63%は徴兵制を維持することに賛成と答えており、完全志願制に移行すべきであると人の割合(33%)に倍近い差をつけている。
戦略環境の変化
B) については、戦略環境が変化すれば徴兵制に関する軍事的合理性もまた変化する、という点が指摘できる。
たしかに大国同士がハイテク兵器を駆使して戦う戦争には、経験の浅い徴兵や、有事に動員される予備役の果たす役割はあまり大きくない。まさにこれが各国で徴兵制の廃止されていった理由である。
しかし、ウクライナ危機では、正規軍や情報機関、義勇兵、民兵その他を組み合わせることで、平時とも有事ともつかない状況下で軍事作戦を遂行し得ることが実証された(このような戦争は「ハイブリッド戦争」とも呼ばれる)。
公式の宣戦布告なしに突如として国内に戦闘地域が出現し、延々と消耗戦を強いられるこの種のハイブリッド戦争では、少数の職業軍人よりも大量の徴兵を動員せざるを得ず、結果的にウクライナが5回もの大規模動員を行ったことはすでに述べたとおりである。
その他の旧ソ連や東欧諸国が相次いで徴兵制の復活を決定・検討し始めた背景にも、状況によってはやはり徴兵制が必要となるとの認識が考えられよう。
特に軍事的に弱体な小国は、侵略を完全に撃退することは難しいにせよ、大量の国民を動員した武装抵抗によって侵略のコストを仮想敵に認識させることが安全保障上、重要となる。
ロシアの「広く薄い」徴兵制
実は「数」を依然として重視している点は、ロシアも変わらない。歴史的に近隣の大国から侵略を受けてきたロシアもまた、大量の国民を動員したゲリラ戦でこれを撃退してきた伝統がある。
さらにロシアは近年、アフガニスタン、中央アジア、中東に至る地域でイスラム過激主義の活動が活発化し、ロシア本土で大規模な対テロ作戦を実施する可能性を考慮するようになってきた。このため、国防省や内務省といった軍事・安全保障系省庁以外の省庁、地方自治体、インフラ企業、そして民間人予備役などを動員することを想定した計画が策定され、実際にこうした体制を検証する訓練も実施されている。
また、ロシアは今年から大学生に兵士としての訓練を受けさせる制度を(従来、エリート大学生を対象としてきた予備士官養成講座とは別に)スタートさせており、公式の徴兵ではないが一定の軍隊経験を若者に広く薄く積ませる制度は拡大している。
日本における議論のために
まとめると、徴兵制のような問題は必ずしも軍事的合理性によって決まるものではないし、何を以て軍事的に合理的であるとするかも戦略環境によっては変化しかねないということである。
ただし、筆者は「安保法の次は徴兵制」という論者の議論を裏書きするつもりはない。冒頭にも述べたように、安保法案と徴兵制とは全くの別問題であり、このような論法は徒らに議論を混乱させるだけである。
安保法案によって自衛隊が海外で無制限に軍事力行使を行うようになるのだとか、その際の頭数をそろえるために徴兵制が敷かれるのだといった論調が見られるが、冷戦後に米国の域外軍事介入に歩調を合わせてきたNATO諸国さえそのようなことは行っていない。
実際に徴兵制を復活させつつあるのは、域外で大規模な軍事力行使を行う余裕などなく、自国防衛にも不安を覚えているような国々である。徴兵制の復活を防ぐならば、抑止力を如何にして維持するかがまず検討されるべきである。
一方、「徴兵制などあり得ない」という割り切りにも若干の不安を感じる。これまで見たように、徴兵制は必ずしも軍事的合理性がなくとも社会的支持を受け得るし、戦略環境によっては軍事的合理性を持ちうるためである。また、ロシアの例で挙げたように、古典的な徴兵制とは異なる軍事的動員の形というのはいくつか考えられる。
筆者は、現在の日本が置かれた安全保障環境で徴兵制を導入することに軍事的合理性は認められないと考えており、社会の在り方としても徴兵制の様なものはないほうがよいと考えている。いずれにしても、安易な短絡も頭ごなしの否定も排した冷静な議論を望みたい。