官邸の人事介入はあったのか? 前代未聞の元検事長証人尋問へ向け、原告側が「安倍晋三回顧録」を証拠申請
任免につき天皇の認証を必要とする官吏のことを認証官という。任官者は皇居正殿「松の間」にて内閣総理大臣から辞令書を受け、その際、ひとりひとりに天皇から言葉が掛けられる。
全国に8つある高等検察庁のトップである検事長も認証官だ。そんな法務・検察の最高幹部の一人である辻裕教仙台高検検事長が、大阪地裁で行われている不開示決定取消訴訟で尋問されると決まったのは6月14日のこと。現役検事長が情報公開の裁判で証人として呼ばれるなど前代未聞のことであり、大きく報じられると、その翌月には役職定年まで1年以上残っているはずの辻氏の辞職が伝えられた。
8月末に辻氏から大阪地裁に陳述書が提出された。目を通して見ると、なるほどと思う部分はあるものの、はぐらかしていると感じざるを得ない部分も散見される。一方、原告弁護団は10月31日、ベストセラーとなった『安倍晋三回顧録』(中央公論新社)や、ジャーナリスト・村山治氏の『安倍・菅政権VS.検察庁 暗闘のクロニクル』(文藝春秋)などを証拠申請した。
一体、この裁判ではなにが問われているか。尋問で語られなくてはならないのはなんなのだろうか。(肩書きは当時のものを使用)
従来の法解釈では黒川氏の勤務延長はできなかった
事の発端は2020年1月31日、安倍政権が突然、黒川弘務・東京高等検察庁検事長の勤務延長を閣議決定したことである。
当時の検察庁法は検事総長以外の検察官の定年を63歳としており、黒川氏は2020年2月7日の誕生日をもって退官する予定だった。しかし国家公務員法という別の法律を使って半年間の勤務延長をするというのである。
マスコミ報道などによると、従来の法務・検察の人事プランは名古屋高検・検事長だった林眞琴氏を黒川氏の後任に充て、その後、次の検事総長に昇格させるというものだったという。
黒川氏を検察トップに据えたい安倍官邸の横やりで異例の人事が強行されたのではないか?
そう考えた野党は猛反発する。
2月10日、衆議院の予算委員会にて山尾志桜里(現・菅野志桜里)議員が1981年の国会で人事院事務局の政府委員によって「検察官には国家公務員法は適用されない」と答弁されていると指摘。森雅子法相に対し、黒川検事長勤務延長の法的根拠を追及する。森法相は「議事録の詳細は知らない」としどろもどろの答弁に終始する。
さらに2月12日の衆院予算委にて人事院・松尾恵美子総務局給与局長が「人事院としましては、国家公務員法に定年制を導入した際は、議員御指摘の昭和56年4月28日の答弁のとおり、検察官については国家公務員法の勤務延長を含む定年制は、検察庁法により適用除外されていると理解していたものと認識しております」「現在までも、特にそれについて議論はございませんでしたので、同じ解釈を引き継いでいるところでございます」と、政府の閣議決定と相容れない答弁をしたため、予算審議中の国会が紛糾する。
安倍政権は後付けで法律の解釈変更したことにした?!
2月13日の衆議院本会議にて安倍晋三首相は、「検察官については、国家公務員法の定年制は検察庁法により適用除外されていると理解していたものと承知しております」と述べたうえ、「検察官の勤務延長については、国家公務員法の規定が適用されると解釈することとしたところです」と語った。
黒川氏の勤務延長決定の前に法律の解釈変更をしたと突如、軌道を修正したかのようなのである。
2月19日の衆院予算委にて人事院・松尾給与局長は国家公務員法の延長規定が検察官には「適用されない」とする政府解釈を「現在まで続けている」とした1週間前の答弁を撤回。「1月22日に法務省から相談があるまでは」と修正する。追及に対し、「つい言い間違えた」「隠すつもりはなかったが、聞かれなかったので答えなかった」と苦渋に満ちた顔で語った。
同日行われた全国の高検や地検のトップが一堂に会する「検察長官合同」という会議にて、静岡地検の神村昌通検事正が「検察は不偏不党でやってきた。政権との関係性に疑念の目が向けられている」「このままでは検察への信頼が疑われる。国民にもっと丁寧に説明した方がいい」と発言したと報じられた。鉄の結束を誇る検察庁内部でこのような不満の声が公然と語られるのは極めて異例のことだ。
政府は3月13日、検察庁法改正案を閣議決定した。そこには「内閣や法相が必要と認めた検察幹部について最長で3年間の勤務延長を可能にする」という特例規定も盛り込まれていたため、黒川氏の勤務延長を後出し法案で正当化させるものだと報道各社も問題視。しかし与党は内閣委員会の審議を強行したため、野党は激しく反発する。
4月6日、日弁連会長が閣議決定の撤回を求める声明を発表。5月8日にはTwitterデモが始まり、世論の厳しい反応や支持率急落から政府は検察庁法改正案の上程をあきらめた。5月20日、週刊文春が黒川氏が賭け麻雀を行っていたと報道。5月22日、黒川氏が辞任したため騒動は収束するに至る。
あるはずの書類がないのはなぜなのか?
公文書管理法は行政機関の職員に対し、意思形成過程や事務及び事業の実績を合理的に跡付け、検証することができるよう、文書の作成を義務づけている。
検察庁法の解釈を変更したのであれば、その過程を記した文書が残っていなくてはならない。
そう考えた神戸学院大学の上脇博之教授は法務省に対し、行政文書の開示を請求した。しかし「開示請求に係る行政文書は作成または取得しておらず、保有していないため」という理由で不開示決定がなされてしまう。
その結果を不服として2022年1月31日、不開示決定処分取消請求訴訟を提起。裁判のなかで、当時、事務次官として法務省の実務を取り仕切っていた辻裕教氏の尋問が認められたのだった。
審理において、国は「黒川氏を勤務延長するために検察庁法の解釈変更を行ったという事実はない」と言っている。
ではなんのために行ったというのか?
「2019年12月ころから、一般職の公務員の定年の引き上げに関する検討の一環として、あらためて検察官にも検討を進めたなかで、解釈変更した」と説明する。
たまたま検察庁法改正のために解釈変更したあと、たまたま定年直前だった黒川氏に適用したというのである。
原告は、
「じゃあ、検察庁法を改正してから、そうすりゃ良かったんじゃないのか。にもかかわらず、黒川氏の定年直前の2020年1月17日から24日という極めて短期間に、従来の法解釈とは180度異なる変更を、法務省と人事院との事務方トップの間で直接文書をやり取りするという異例の手段を取ってやっているんだから、やっぱり黒川氏のための解釈変更だったに違いない」
と反論する。
公務員と政治の関係を根本的に変えた安倍政権
検察幹部の任命は内閣の専権事項となっていて、形の上では政府に人事権がある。ただし検察は政治家を逮捕する場合もある。検察権の行使や人事で政治から独立していなくてはならないという建前のもと、これまでの政権は法務・検察の人事にはあまり口をはさんでこなかった。
しかし内閣人事局を設置し、省庁の局長級幹部の人事を思うがままに進めていた安倍政権は違った。最高裁判事、内閣法制局長官、日銀理事など独立性が担保されるべき組織の人事まで壟断した。
法務・検察においても、黒川検事長の勤務延長問題が起こる前から法務省の官房長や事務次官の人事に容喙していた。法務省の幹部は検察庁からの出向者が就くことが通例だ。これは検察人事を差配しはじめたことに等しい。
そして安倍官邸はついに法務・検察の最高幹部の人事をひっくり返そうとした。
当時、安倍首相は森友学園事件、加計学園事件に続く桜を見る会疑惑で激しい追及を受けており、刑事告発の動きもあった。
マスコミや野党は安倍氏に捜査の手が及ばないよう、使い勝手のいい黒川氏をトップに据えようとしたのだと勘ぐり、強く反発する。
結局、賭博報道による黒川検事長の辞任で政治のゴリ押しによるトップ人事が行われることはなかったものの、勤務延長をめぐるプロセスはキッチリと検証されなくてはならない。
検察庁は政治権力から独立できているのか?
弁論期日において、裁判長は被告・国に対し、「(現役の検事長である)辻さんを呼ぶというのも大ごとですので、誰かほかに適任な方はいらっしゃいませんか?」と代替証人を立てるよう何度も打診したのだが、国側の訟務検事が「尋問は必要ない」と拒み続けたため、現役の認証官への証人尋問(その後、辞職)という前代未聞の事態となった。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/38447c4ad81b2a08cd455677d4d343e902e17bf3
あまりに無理筋な国家公務員法を用いての黒川検事長の勤務延長の舞台裏はどのようなものだったのか?
弁護団の阪口徳雄弁護士は、
「閣議請議のための決裁文書では、黒川検事長の勤務延長の理由として、『東京高検管内において遂行している重大かつ複雑困難事件の捜査公判に対応するため』と記載されています。これは黒川さんでなければならない理由にはなりません。そのほかにも国の言い分には矛盾が沢山あるので、キッチリと聞いていきたいと思っています」
と話す。
訴訟を提起した神戸学院大学の上脇博之教授は、
「国家公務員法は適用範囲の広い一般法です。一方、検察庁法は特別法。後者を優先させるのが普通の法律解釈であり、検察官に国家公務員法を適用できないというのは常識でした。しかし適用できないものを、勝手に解釈して適用してしまった。法の支配、法治主義に反する行為であり、わたしは違法だと思っています。
辻裕教元検事長に法律家としての良心があるのなら、こういった筋の悪い手法を取らざるを得なかった背景にはなにがあったのか、正直に話してもらいたいです」
と語る。
辻証人は陳述書のなかで、
「人事に関しましては、法令上明らかにされている一般事項及び国会に対して明らかにされた事項等の公表された事項を除き、職務上の秘密に当たりますので、お話しすることができません」
と綴り、黒川検事長の勤務延長決定に至る首相官邸との折衝については話さない意向であるようにも見て取れる。
先にも述べたよう、2020年2月19日の「検察長官合同」にて、現在は札幌高検検事長の重責を担う神村昌通氏が「検察は不偏不党でやってきた。政権との関係性に疑念の目が向けられている」「このままでは検察への信頼が疑われる。国民にもっと丁寧に説明した方がいい」と発言している。
検察庁がはたして政治から独立できているかどうかが問われているのである。
辻裕教元仙台高検検事長は国民に対する説明責任を果たすつもりがあるのだろうか。
注目の証人尋問は12月1日午後1時半から大阪地裁にて行われる予定である。