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引退報道を本人が直後に否定。今年88歳の名優、マイケル・ケインが頑張るこれだけの理由

清藤秀人映画ライター/コメンテーター
出世作『アルフィー」の頃の自分と並んだマイケル・ケイン(写真:Shutterstock/アフロ)

金曜日に乱れ飛んだ人騒がせなニュース

先週の金曜日、WEBサイト上に”マイケル・ケイン引退”というショッキングなニュースが流れたため、映画ファンの間に動揺が走った。ことの発端は、ケインがBBCのラジオ番組”Kermode and Mayo’s Film Review”に出演した際のコメントだ。『面白いことに、『Best Sellers』が私の最後の作品になりました。この2年間は仕事をしていないし、そもそも背骨の具合が悪くてまともに歩けないんだよ』。と語ったケインは今年88歳。これを聞けば、引退と取られても仕方がない。因みに、『Best Sellers』(‘21年)はケイン演じる引退した作家が、若い編集者を助けるために渋々プロモーション・ツアーに乗り出す話。まるで、ケインの近況をパロディにしたような設定である。

引退の噂をマイケル・ケイン本人が否定

しかし、引退説が飛び交った直後、本人がそれを即座に否定する。『私は引退していないし、多くの人はそのことを知らないんだ』とツイートして、得意の自虐ネタを挟んで反論してみせたのだ。ケインの代理人も、『Best Seller』の後に2本の新作が進行していることを認めている。映画サイトのIMDbに依ると、確かに2本の新作がポスト・プロダクションに入っていて、さらに『グランド・イリュージョン』(‘13年~)シリーズ第3弾への出演がアナウンスされている。ケインは同シリーズの過去2作でジェシー・アイゼンバーグ等イリュージョニスト・グループのパトロンを演じている。

実は引退宣言は過去に何度かあった

マイケル・ケインと言えば、1960年代から現代までイギリス映画の盛衰を体現してきた重鎮中の重鎮。若い映画ファンは『ダークナイト』(‘08年)や『TENET テネット』(‘20年)等、クリストファー・ノーラン作品にレギュラーで出演している渋い紳士役でお馴染みだろう。そんな彼が引退を口にしたのは今回が初めてではない。今年の8月にも業界紙、Varietyのインタビューで、これまでも度々引退を考えたことを認めた上で、こう続けている。『でも、私は引退を踏み止まった。88歳の自分にも時々いい役が巡って来るからね』と。また、今から約20前の65歳の時にも、ケインは俳優の仕事に疲れ果てたという理由で引退を考えたという。しかし、やはりその時もいい役が巡ってきて引退を踏み止まっている。

2010年10月撮影のポートレート
2010年10月撮影のポートレート写真:Shutterstock/アフロ

その中の1本がラッセ・ハルストレム監督の『サイダーハウス・ルール』(‘99年)で、ケインは孤児院の医師を演じて見事に2度目のアカデミー助演男優賞を受賞。さらに、その5年後にはクリストファー・ノーラン監督の依頼で『バットマン・ビギンズ』(’05年)に出演し、ブルース・ウェインの執事、アルフレッドを演じてDCコミックの世界観に深みを与える。それ以降、『ダークナイト』『インセプション』(‘10年)、『ダークナイト・ライジング』(’12年)、『インターステラー』(‘14年)、『TENET テネット』と続くノーラン作品に於ける独特の存在感は今更説明の必要はないだろう。

つまり、マイケル・ケインが引退を口にする時は決まって、いい役が巡ってくるサイン。88歳の今も本人がそれを信じているから、割りと気軽に引退という言葉が出てくるのではないだろうか。勿論それは、俳優としての揺るぎない自信に裏打ちされているのだが。

俳優人生65年で出た映画はなんと150本!

ケインのフィルモグラフィは豪華絢爛でジャンルは多岐に渡る。スウィンギング・ロンドンのプレイボーイに扮した『アルフィー』(‘66年・初のアカデミー主演男優賞候補)、ジェームズ・ボンドのアンチテーゼとして世に出た労働者階級出身の敏腕スパイ、ハリー・パーマーを演じた『国際諜報局』(‘65年)、後にマーク・ウォールバーグ主演でリメイクされた強盗映画『ミニミニ大作戦』(‘69年)、名優ローレンス・オリヴィエ相手に2人芝居を演じた推理ドラマ『探偵スルース』(‘72年・2度目のオスカー候補)、第二次大戦の実話をオールスターで映画化した『遠すぎた橋』(‘77年)、ニール・サイモン脚本のオムニバスコメディ『カリフォルニア・スイート』(‘78年)、ブライアン・デ・パルマのサイコパス映画『殺しのドレス』(‘80年)、無教養な美容師が酒浸りの大学教授から教えを乞う『リタと大学教授』(‘83年・3度目のオスカー候補)、ウディ・アレン監督・脚本のコメディ『ハンナとその姉妹』(‘86年・初のアカデミー助演男優賞受賞)、サム・メンデス演出の舞台劇を映画化した『リトル・ヴォイス』(‘98年)、主人公の父親を演じた『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』(‘02年)、2人のマジシャンが技術を競い合うノーラン監督作『プレステージ』(‘06年)、ヒットシリーズの第1弾『キングスマン』(’14年)、等々。

『国際諜報局』の続編『10 万ドルの頭脳』('67年)
『国際諜報局』の続編『10 万ドルの頭脳』('67年)写真:Shutterstock/アフロ

長々と申し訳ないが、何しろ俳優生活65年でケインが出演したのは100本以上。しかし、本人は即150本と訂正している。それで行くと、1年に2本以上のハイペース。疲れ果てるのも無理はないと思う。ケインはその150本の中から以下の3本をベストに選んでいる。1本は出世作の『アルフィー』、2本目は亡き盟友、ショーン・コネリーと生涯の友情を培った『王になろうとした男』(‘75年)、そして3本目は、老いた芸術家たちの憂鬱と葛藤を描いたパオロ・ソレイティーノ監督の『グランドフィナーレ』(‘15年)だ。

ケインとコネリーは同業の親友としてだけでなく、階級社会のイギリスを這い上がってきた同じ労働者階級出身者としての仲間意識があったのかも知れない。そんなコネリーも昨年10月に他界。残されたケインには88歳の今もこれからも、まだまだ活躍して欲しいと願うばかりだ。

来た仕事は断らないし、世間も評判も気にしない

過去65年に出演した150本の映画の中には、明らかな駄作も含まれている。でも、それで俳優としての評判が落ちることを心配しなかったのか?という質問に対して、『もともと自分には評判なんてないと思っているから、気にしなかった』と即答しているケイン。また、『自分の辞書には”断る”という文言はない。私は働き者だから、働いて働いて働きまくって来たよ』ともコメントしている。確かに、かつて彼は”絶対にNOと言わない男”として雑誌に特集が組まれたことがある。仕事に忙殺されていた1980年代のことだ。『ハンナとその姉妹』でオスカーを受賞した時、ケインはバミューダ諸島で『ジョーズ’87 復讐篇』(’87)を撮影していて、授賞式を堂々と欠席しているのだ。栄誉より仕事、もしくはギャラ。このイギリス人独特のクールな割り切りは見習うべきかも知れない。

彼の生き方にはヒントがある

『サイダーハウス・ルール』で2度目のオスカーに輝く
『サイダーハウス・ルール』で2度目のオスカーに輝く写真:ロイター/アフロ

かつて、舞台で培ったバルコニーまで届く響きのいい声は今も健在。ケインの台詞を聞くと、なぜか騒がしい映画にいっときの静寂が訪れるから不思議だ。それに、自分の評判なんて気にせず来た仕事は何でもやるというスタンスは、俳優業のみならず、恐らく世代にも関係なく、プロとして生きていく上で一つのヒントになるのではないだろうか。

88歳で現役バリバリのベテラン俳優が発した引退宣言の裏側には、色々と参考になることが多そうだ。

映画ライター/コメンテーター

アパレル業界から映画ライターに転身。1987年、オードリー・ヘプバーンにインタビューする機会に恵まれる。著書に「オードリーに学ぶおしゃれ練習帳」(近代映画社・刊)ほか。また、監修として「オードリー・ヘプバーンという生き方」「オードリー・ヘプバーン永遠の言葉120」(共に宝島社・刊)。映画.com、文春オンライン、CINEMORE、MOVIE WALKER PRESS、劇場用パンフレット等にレビューを執筆、Safari オンラインにファッション・コラムを執筆。

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