「ホームレス中学生」からのどん底、そして気づき。「麒麟」田村裕が吐露する相方・川島明への歪んだ思い
2007年に上梓した自伝的小説「ホームレス中学生」が220万部以上のベストセラーとなった漫才コンビ「麒麟」の田村裕さん(44)。7月19日には新エピソードを加えた「新装版 ホームレス中学生」(ワニブックス)が発売されました。望外な景色の次にやってきたどん底。相方・川島明さんへの歪んだ感情。そして、そこからの気づき。今噛みしめる、人生を変えた一冊の意味とは。
“一冊屋”としてのどん底
「ホームレス中学生」を出したのが2007年ですから、もう17年が経ちました。相方がムチャクチャ売れてるおかげか(笑)、今月新装版も出していただけることになり、本当にありがたいことだと思っています。
「ホームレス中学生」が自分の人生を大きく変えた。改めて、今、本当にそう思います。目指していた芸人像からも「ホームレス中学生」をきっかけにどんどん離れていきましたしね。正直な話。
この世界に入った頃はそれこそ「ダウンタウン」さんや「ナインティナイン」さんが目標でした。それがいつしか笑いよりもエエ話を求められるようになり、話術ではなく出来事で笑わせることを求められるようになっていきました。これは「ホームレス中学生」の影響以外の何物でもないと感じています。
そして「ホームレス中学生」で一発屋ならぬ“一冊屋”になりました。その時にいろいろな方から忠告していただいたんです。「一気に注目が集まった反動が絶対に来るから、気を付けないといけないよ」と。ただ、これが厄介なことというか、すぐには来なかったんです。
いわゆる一発屋の方々ともよく話すんですけど、一気に上がったものは一気に落ちる。ただ、僕の場合は一気に上げてくれたのは本だったんですけど、芸人としての仕事もそこそこあったので「ホームレス中学生」という大きなエンジンが停止しても、芸人としてのエンジンは動き続けていたんです。なので、一気に落ちることはなく、低くではあるものの飛んではいたんです。
番組にもちょこちょこ呼んでいただけるし、ロケのお仕事もある。マックスの時に比べたら仕事量はもちろん減ってるけど、これくらいならなんとかなる。そんな感覚だったんです。
でもね、結果的に反動はしっかりあって、動いているように見える芸人としてのエンジンにも、かなり「ホームレス中学生」のパワーが充填されていた。「ホームレス中学生」のイメージがあるので、先ほどお話ししたように話術ではなく面白い出来事を求められる。そんなものはポンポンあるものではない。そうなると、芸人としてのエンジンも少しずつ弱ってくるんです。
1カ月で二日ほどだった休みが、翌月には三日になる。その次の月には四日になる。そんな感じで、少しずつ落ちていきました。一発屋の方とは違う動きだったんで気づきにくかったんですけど、やっぱり来てはいたんですよね。そして、スケジュールが真っ白になっていきました。
「千鳥」大悟からの言葉
そうなると焦りも出てくるし、余裕もなくなります。今から数年前、その流れが一番ひどくて心が荒んでいた頃、今思っても恥ずかしいし、情けないことをやってしまいました。
相方の川島は絶好調で、ガンガン大きな仕事が増えている頃でした。その時期に全国ネットの番組出演の話が久しぶりに来たんです。
久々に東京のテレビ局の楽屋に入り、そこに同じ番組に出演する「千鳥」の大悟もいたんです。若手時代からずっと一緒にやってきたのが大悟でしたし、関係性もものすごく深い仲間です。
若手芸人中心の番組やったんで、僕がしゃべれるような世代の人が周りにはあまりいない。そして、僕にとっては久しぶりの全国ネット。いろいろなことを考えて大悟は話しかけてきてくれたんだと思います。
大きな番組なので出演者用のケータリングもたくさん用意していただいていて、そちらを見て大悟が僕に言ったんです。「ケータリング、食べてもいいんですよ」と。
僕は口では「ありがとう!」と言ったんですけど、心の中はものすごく複雑だったんです。「いくら久しぶりやといっても、それくらい分かってるわ」という思いもあるし、それくらい大悟に“もう別の世界の人間”と思われているのか。そのショックもありましたし、腹立たしさも正直ありました。なんとも言えない思いが胸に渦巻いていました。
それから2年ほど経って、関西の番組に「コンビ間で格差がある芸人」みたいなテーマで出演することになったんです。そこで腹立たしかった、情けなかった話として、打ち合わせでスタッフさんに大悟の話をしました。「本番でも、是非その話をお願いします!」とスタッフさんに言われたあたりで、ハッと気づいたんです。
「…あ、違うわ。あの時の大悟の言葉はボケやったんや。こっちへの純度100の愛として、イジってくれてたんや」
そら、普通に考えて大悟がそんなことを配慮もなく、悪い意味で言うわけがない。僕のキャラクターを踏まえた上での愛あるイジリでしかない。言われた瞬間、こちらもポップに返すのがセオリーだったはずなんですけど、当時の僕は一切気づきませんでした。
なんなんでしょうね…。それほど心を閉ざしていて、カチカチになっていて、ヤケにもなっていて、その上、被害妄想で歪んでいたんだと思います。2年経ってやっと気づきました。それくらい、その時の僕は本当の意味で落ちぶれていたんだとも気づきました。
ひねくれるだけじゃなく、大悟のそんなやさしさにも気づかない。なんと恥ずかしいことか。情けないことか。その頃の自分はどん底だったと思います。
川島に対するひがみもあったし、逆に「もう全国ネットなんて興味ないわ」と強がりに心が支配されていた時期でもありました。ホンマ、情けないです。
相方への歪んだ思い
川島に対する思いも本当に歪んでましたし「ラヴィット!」(TBSテレビ)が始まって1年くらいは自分の心がかなり荒んでいたと思います。
「ホームレス中学生」の時はどれだけ川島が嫌がっても、書籍関連の仕事も全部コンビで受けてました。
僕の本とはいえ「麒麟」としての業績にしたかったし「麒麟」として成績を残したかった。川島からしたら「オレは何をしゃべったらエエねん」という状況でも、僕の意志で必ずそうしていました。
そこから時が経って今度は川島の仕事が爆発的に増えたんですけど、そこで川島はバーター的に僕を呼ぶことを一切しなかったんです。
僕は全部コンビの仕事として受けたのに、なんで川島は呼んでくれへんねん。しかも、こっちは結婚して子どももいる。それやのに、何一つ仕事を振ってくれない。なんでやねん。そうやって川島への思いがどんどん歪んでいきました。テレビで川島が言っている言葉を聞いても、それでまた腹が立つんです。
川島いわく、コンビを組んだ当初は「麒麟」と言えば自分に注目が集まることが多かったのに「ホームレス中学生」で一気に流れが変わった。収録の時でも、田村にだけピンマイクがついて自分にはつかない。それを気の毒に思ったスタイリストさんが気を遣って、大きなコサージュを自分の襟のところにつけてくれていた。その時はつらかった。
その言葉を聞いても、僕からしたら「その分、ギャラは入ってたやないか!」という思いもあるし、どんどん川島への複雑な気持ちが膨らんでいくんです。劣等感で心がパンパンで、川島の話すらしたくない。そんな状況でした。そんな中での大悟の言葉やったんです。
ただ、これはね、本当に感謝するしかないんですけど、そんな状況の時に(千鳥の)ノブと(笑い飯の)哲夫さんと(とろサーモンの)久保田が、飲みに行って僕を夜通し励ましてくれたんです。
これだけ川島の状況がいいから、いろいろな番組が僕をイジりたがっているはずだと。なので、今こそ川島といい距離感で、いいスタンスでいてたら、絶対に流れがくる。愛と熱をこめて、延々僕に言ってくれたんです。
川島に対する複雑な思いはあるけど、その3人がそこまで言ってくれている。これで僕が何も変わらなかったら、3人の思いを無にすることになる。
言ってもらった日を境に、ロケでも自分から川島の話をするようにしました。「川島、忙しいやろうけど、見てるか?」「川島と違って僕は暇なんで、こんな島までロケに来ました!」みたいなことをロケの冒頭で言うようになりました。
そういうスタンスをとっていると、なんなんでしょうね、何か僕の空気が変わったのか、本当に仕事が増えていったんです。
川島の横に立つ
仕事が増えると、少し余裕も出てきて視野も広くなっていく。その中で去年から僕個人のネタライブも始めました。当然、自分自身でネタを作るんですけど、一人でネタを作っていて、そこでもハッと気づいたんです。
「ホームレス中学生」が盛り上がっている時、川島を全現場に連れて行ってたのは“甘え”やったんやと。
川島の生活を守りたいとか、コンビとして売れたいとか、もっともらしい大義名分を掲げていたけど、実は自分一人で笑いを作れない時に助けてもらうために呼んでいたんだと。
そして、川島が仕事に呼んでくれないとムカついていたことも「全然違う」と気づいたんです。
もしここで川島が仕事をくれていたら、感謝もあるけど、それ以上にみすぼらしい気持ちになるだろうし、余計に自信も失う。自分の足で立てなくなる。川島は「ホームレス中学生」の時の経験があって、安易に呼ぶことがもたらす良くない作用を感じていたんだろうなと。
しんどいけど、ナニクソ精神で自分で頑張る。そして「呼んでもらって」ではなく「自分の力で」川島の横に立つ。その思いと真正面から向き合う中で、スタジオでもロケでも自分でピンチを打破するようになっていく。そこで得た体験が自信になっていく。いかに自分が甘えた考えだったかを幾重にも感じたんです。
エラそうに言ってますけど、これに気づいたんはついこの前です(笑)。ただ、なんとか気づくことができました。
ちょっと前までは「ホームレス中学生」は自分にとって“ドーピング”やと表現してたんです。そんな筋力もないのに、特殊な要素で一時的に筋力が上がって、挙げられへん重量を挙げてしまった。ネガティブまではいかないけど、そこまで良いものとしてはとらえられていないという部分もあったんです。
そしてこの歳になって、ドーピングというよりは“ジャンプ台”やったなと感じています。高いところまでジャンプさせてもらって、普通では見られない景色をいっぱい見せてもらった。ただ、着地で失敗して足首を折って、崖の上やからお医者さんもいなくて、そこで動けなくなった。それも事実ではあるんですけど、それでも、それでも、たくさんの景色を見せてもらったなと今は思っています。
今、夢を持つことの意味とか、人に感謝する意味みたいなことを子どもたちに話す講演会を少しずつさせてもらっています。僕が何かを教えるなんておこがましい話ですけど、これは確実に「ホームレス中学生」があったからのお仕事です。
いろいろありました。いろいろありましたけど、今やっと「ホームレス中学生」を乗りこなせているというか、そういう感じかなとも思っています。
そして、そんな思いの中、新装版という形でまた「ホームレス中学生」を世に出してもらえる。そのありがたさをただただ噛みしめています。
…ただね、一つ心配なこともあるんです。ウチの娘は過去に僕が「ホームレス中学生」を出してたくさん印税をもらったことを、どこかから情報を得たのか、何となく知ってるんです。なので、新装版を出すとなると、また億単位のお金が入ってくることを期待してるみたいで…。
今回は「ホームレス中学生」を教材に、娘に「現実を見せる」という教育をしたいと思います(笑)。
(撮影・中西正男)
■田村裕(たむら・ひろし)
1979年9月3日生まれ。大阪府出身。吉本興業所属。NSC大阪校20期生。同期の川島明と99年に「麒麟」を結成。2001年、第1回「M-1グランプリ」で決勝に進出し全国的な知名度を得る。「M-1」決勝には5回出場。受賞歴は上方お笑い大賞最優秀新人賞、上方漫才大賞新人賞、MBS新世代漫才アワード優勝など。2007年、幼少期の激動の日々を記した自伝的小説「ホームレス中学生」を上梓。220万部以上のベストセラーとなり、映画、ドラマ、漫画など派生作品も作られる。11年に結婚。14年に長女、17年に二女が誕生する。ABCテレビ「探偵!ナイトスクープ」、関西テレビ「よ~いドン!」、MBSラジオ「メッセンジャーあいはらのYouはこれから!」などに出演中。新作エピソードに加え、実兄との対談を加えた「新装版 ホームレス中学生」が7月19日に発売された。