【大河ドラマ鎌倉殿の13人】北条泰時が意識朦朧とした武士を救った意外な方法
承久3年(1221)6月14日、官軍を撃破せんと宇治川を渡河する鎌倉幕府軍の武士たち。その中の1人、春日貞幸は、官軍の弓矢攻撃により、馬に矢が当たり、馬が川に流されてしまいます。貞幸自身も、川底に沈み「最早、これまで」と思われましたが、鎧の小具足などを腰刀で切り、浅瀬に辿り付くことができました。
その後、貞幸は、総大将の北条泰時のもとに、運ばれたようです。川の水を呑んだためか、貞幸は未だ意識が朦朧とした状態であったようですね。それを見た泰時は自ら貞幸にお灸を数箇所、据えたとのこと。それによって、貞幸はやっと正気に戻ることができたのです。貞幸は幸いながら、浅瀬に浮かび、助かることができましたが、彼の子供や郎従17人は、川に流されてしまいました。
幕軍の軍兵の多くが、宇治川を渡ろうとしましたが、激流であったため、敵方と戦う前に、10人のうち2・3人は流されて、死んでしまったと言います。関政綱・幸島行時・伊佐太郎・三善康知・長江明義・安保実光ら96人、彼らに従う兵士800騎が犠牲となりました。