【京都市上京区】京都御所の九條邸跡に咲く百日紅が色鮮やかに! 現代皇室まで続く織田信長の血統とは?
丸太町通に面した京都御所の堺町御門から入ってすぐ西側に九條邸跡があります。鎮守社の厳島神社、九條池、茶室拾翠亭が今も残されています。拾翠亭は現在修復工事中ですが、池の周りや邸宅跡周辺、間之町口などで百日紅(さるすべり)の花が鮮やかに咲き誇っていました。
花言葉は「雄弁」「愛嬌」「潔白」「あなたを信じる」なのだとか。ミソハギ科の落葉中高木で、サルも滑り落ちるほど、樹皮がツルツルしているという例えからその名が付いたと言われています。
九條池と拾翠亭は、五摂家の一つであった九條家の屋敷内に設けられた、東山を借景とする庭園の遺構です。平安時代に栄えた藤原氏の一族はその後、近衛家、一条家、二条家、九條家、鷹司家、いわゆる五摂家へと分かれていきます。摂政関白を輩出していくと同時に、娘たちの多くは皇室へ妃として嫁いでいきます。実は九條家は今上天皇の直径祖先となりますが、その血統には意外な人物がいます。
織田信長の妹とされるお市の方と戦国大名浅井長政との間に生まれた江姫は、後に秀吉の甥の秀勝に嫁ぎます。その間に生まれたのが豊臣完子(とよとみのさだこ)でした。秀勝が文禄・慶長の役で病死した後、江は徳川幕府二代将軍徳川秀忠と再婚。その際に、完子は、淀君に引き取られ、後に関白となる九條幸家の元に嫁ぐことになります。この子孫が、大正天皇皇后である貞明皇后であり、昭和天皇の母となっていくのです。
九條池の中の島に残るのが、厳島神社です。祭神は安芸の宮島にある厳島神社と同じ三女神(市杵島姫命・田心姫命・瑞津姫命)ほか、平清盛の母である祇園女御も合祀されています。花崗岩製の鳥居で、笠木と島木が唐破風形式であることから「唐破風鳥居」と称され、北野天満宮境内社の伴氏社の石造鳥居、木嶋坐天照御魂神社の三柱鳥居と合わせて「京都三珍鳥居」とされています。
厳島神社、九條池には自由に入れますので、人の少ない時間に散策がてら寄ってみてください。
九條邸跡 京都市上京区京都御苑