JR東海・葛西敬之名誉会長の「功罪」とは? 安定経営と苦戦のリニア、そして国家
ある方面からは大きくたたえられ、別の方面からは悪罵を投げつけられる――毀誉褒貶するも、悪名は無名に勝るというのを体現する経営者が、鉄道業界にはいた。葛西敬之・JR東海名誉会長である。鉄道業界だけではなく、むしろ経済界や政界にも影響を与え、存在感を感じさせ、フィクサーとしても活躍した。
葛西氏についての賛否の声はどちらも大きい。独特の国家観を絶賛する人もいれば、その保守的な思想に否定的な考えを持つ人もいる。5月25日に葛西氏が81歳で亡くなったことで、各方面から氏の仕事と言論を惜しむ声が聞かれる一方、現在もなおその仕事や言論に対し批判的な声もある。
そんなわけで、JR東海の葛西名誉会長の「功罪」について考えてみたい。
JR東海を安定企業にした葛西名誉会長の功績
葛西名誉会長の功績は、JR東海を新幹線中心の安定した企業につくりあげ、収益力の高い鉄道ビジネスにしたことである。1987年に取締役総合企画本部長に就任し、その後代表取締役副社長を経て1995年には代表取締役社長になる。この後、2018年まで代表権を保持し続けた。取締役は2020年まで続けた。
この間、葛西名誉会長は一貫して東海道新幹線を中心とした鉄道ビジネスの強化に努めてきた。1991年には新幹線鉄道保有機構から新幹線施設を買い取り、設備を完全に自社で整備できるようにした。新幹線の高速化をめざし、300系「のぞみ」を1992年に運行開始し、この列車は東海道新幹線の中心的な列車となった。2003年には品川駅を開業、この地に東京本社を設立し、東京での存在感を高めた。
その後、新車両の投入や車両性能の向上に努め、これが東海道新幹線を日本の輸送機関として極めて安定的なものとした。
新幹線にせよ在来線にせよ、鉄道事業の規格化を推し進めた。多様な車両を導入せず、同じ規格の車両をブラッシュアップしながら作り続け、新車になっても基本的なスタイルを変えず、運用面での合理化を果たした。
また、人材の育成にも力を入れた。新入社員研修にはどのJRよりも時間をかけている。そのため、取材等で接する範囲ではあるものの、JR東海にはしっかりとした従業員ばかりだ。もちろん、給与は鉄道業界トップクラスである。
葛西名誉会長はさまざまなことが言われるものの、このあたりは誰もが認めるところではないだろうか。
現実には、JR東海は葛西氏の敷いたラインの上で経営を行い、葛西氏が名誉会長になり、その後取締役を外れても、大枠は変えず葛西名誉会長に足りなかった部分を補完するような施策を行っている。
列車を安定して運行させることには、どの鉄道会社にも負けない体制を整えているというのが現在のJR東海の優れたところであり、葛西氏に欠けていた細かなところをきちんとフォローしてよりよいものに改善するということは、JR東海の人たちが得意とするものである。
だが、ここまでの企業にした以上、葛西名誉会長は独特のパーソナリティを持っていることもまたフォーカスされる。
国鉄改革、リニア中央新幹線をめぐる混乱、ナショナリズム
葛西名誉会長が一般に知られるようになったのは、JRになる前、経営が厳しい国鉄をどうするのか、という話が出ていた時である。赤字が拡大する中、労使関係が複雑化し、その状況を打開するにはどうすればいいのかは、政治の大きな課題だった。
複数の労働組合があり、民営化反対の声も多かった。その中でどう労使関係を改善していくかも必要だった。
国鉄のままか民営化か、民営化するなら一体で民営化か分割民営化か、議論は分かれていた。
そんな中、国鉄で労務関係を担当していた葛西氏などは、政治家ともコミュニケーションを取るようになっていく。これが、葛西氏が晩年まで政治に大きな影響力を持つきっかけとなった。葛西氏などは「国鉄改革3人組」と呼ばれ、分割民営化に力を注いだ。
この間、複数の組合にも動きがあった。国労は民営化賛成に傾き始めていたものの、執行部の交代で民営化断固反対路線を取り、動労は民営化に賛成するという「コペルニクス的転換」という方針を取った。国労は日本社会党と日本共産党の影響が強く、動労は革マル派の影響が強かった。いよいよ分割民営化となると、国労は脱退者続出、動労はJRになってから鉄労と統合しJR総連となり、JR最大の労働組合となった。
このとき、JRの経営側はJR総連と手を結んだ。その中で葛西氏は、のちに手を切ることを前提として協力関係をつくった。
のちにJR総連とJR連合は分裂、JRによってどちらの組合が強いかは異なることになった。革マル派の影響はJR総連に残った。JR東海の多数派組合はJR連合系で、労使協調である。こちらを中心に労使関係を安定化させるようになった。
この時代の政治的工作のやりすぎが、葛西氏を「フィクサー」として神格化させる起源となったのかもしれない。
近年の葛西氏が手掛けた大きな事業として、リニア中央新幹線が挙げられる。1990年には実験線が山梨県に着工、実用化後に使用することを前提とした。その後、リニア建設へと進んでいく。だがその過程で、「国家プロジェクト」という名目で地元との対話に力を入れてこなかったことで、静岡県の大井川水問題などが発生し、建設地住民との対立が続いている。葛西氏のネガティブな側面として、保守主義者として「国家」ということを意識しすぎるあまり、より細やかな「地域」に気を配らず、コミュニケーションに難がある状態となった。JR東海は、国土交通省が有識者会議を行う中で、地域とのコミュニケーションに関して注意を受けている。
また、リニアの使用電力に関しても、葛西氏が原発再稼働論者であることから、莫大な電力が必要であり原発再稼働が必要になるのではないかという声も聞かれていた。このことについて以前JR東海の人に質問したことがあり、確かに電力は新幹線よりも必要だが、原発を再稼働させるほどの莫大なエネルギーは必要ではないと言われたことがある。飛行機のほうがエネルギーを使用するとのことだ。これは葛西氏のパーソナリティがマイナスに働いたといえる。
ナショナリズムの強い言論人としても知られる。1989年には『Wedge』を創刊、のちに新幹線のグリーン車に常備するようになる。この雑誌は葛西氏の保守的な思想が色濃く反映されている。また保守系雑誌での発言や、中国への新幹線技術の供与への忌避なども注目された。安倍政権の時代には、新聞の首相動静に首相と葛西氏の食事がよく記されていた。このあたりで、葛西氏の「フィクサー」としての側面はいっそう強まっていった。
JR東海と「国家」のことを考えていたのが、葛西名誉会長だと言える。
ポスト葛西時代のJR東海に求められるのは?
葛西名誉会長の残したものは、「功罪」ともに大きなものといえる。JR東海は確実に安定した企業となった。国鉄改革をなしとげた一方、多大な犠牲を労働者にしいた。リニア中央新幹線建設の過程での地域とのコミュニケーションは、もっとしっかりしたものであってもよかった。
JR東海の初代社長は、須田寛氏である。須田氏は、葛西氏の前任者として社長を務め、現在はJR東海の顧問、鉄道友の会会長だ。91歳で存命である。葛西氏も認めているように、須田氏は鉄道全体にも精通し、国鉄時代にはさまざまな営業施策を手掛け、現在は鉄道趣味団体のトップとなっている。葛西氏に欠けていてかつ、今後のJR東海に必要なことは、須田氏のように鉄道業界全体のことを考えることではないか。葛西氏の場合は、自社のことを考えた先が、いきなり「国家」だった。
今後のJR東海には、高速鉄道のリーディングカンパニー、鉄道業界のトップ企業として、業界全体のことを考え、リーダーとして行動することが求められている。
また、自社事業に関しても、より鉄道サービスを洗練されたものにし、近年行っているように観光キャンペーンにもいっそう力を入れ、ビジネス一辺倒だった東海道新幹線のさまざまな利用法をより一層広め、その先にある在来線事業も発展させてほしい。
リニア中央新幹線に関しては、もはや実務こそが大事である状態になっている。国家観よりも、実際の作業のほうが重要である。葛西氏死去後の川勝平太静岡県知事の動きを見ると、落とし所をどこに持っていくかが定まりそうな状況にある。
今後のJR東海には、政治と距離を置き、日本の鉄道業界をリードする堅実な鉄道会社として発展を遂げていくことを期待したい。そのためには、葛西名誉会長の「功」と「罪」を検証することが必要だ。
※本文中「のぞみ」の運行開始年を間違えていました。修正します。