アサド大統領の弟マーヒル・アサド少将がイスラエルのシリア爆撃で死亡か?:ルサンチマンが増幅する偽情報
イスラエル・ハマス衝突は開始から2月19日で135日が経過したが、中東で戦火が収束する気配はない。
止まない戦火
ガザ地区では、イスラエルがラファ市への侵攻の準備を進める一方、レバノン南部・イスラエル北部ではヒズブッラーが主導するレバノン・イスラーム抵抗とイスラエル軍の戦闘が続いている。紅海南部のアデン湾では、イエメンのアンサール・アッラー(蔑称はフーシー派)が、イスラエルによるガザ地区攻撃への対抗措置として、イスラエルに物資を輸送する船舶を攻撃、米軍がアンサール・アッラー支配地への攻撃を続けている。
イラクとシリアでは、イスラエル最大の支援国である米国が(違法に)設置する基地に対して、イラク・イスラーム抵抗を名乗る武装勢力などが、無人航空機やドローンでの攻撃を繰り返している。1月28日にヨルダン北東部のルクバーン地区(あるいはシリア南東部のタンフ国境通行所)にある米軍基地を攻撃、これにより米軍兵士3人が死亡、25人が負傷し、これに対する報復が米軍とイスラエル軍によって行われている。
シリアとイスラエルの戦闘
シリアとイスラエルも戦火を交えており、イスラエルが占領するゴラン高原への攻撃も一向に止まない。イスラエルはシリア領内からの攻撃、さらには「イランの民兵」によるイスラエルと米国に対する攻撃への報復として、ダマスカス国際空港、アレッポ国際空港といった民間施設や、イラン・イスラーム革命防衛隊の幹部らを狙った爆撃を執拗に行っている。
2月9日には、イスラエル軍が占領下ゴラン高原方面からドローン2機を首都ダマスカス西方に侵入させ、シリア軍防空部隊がこれを撃破した。
2月10日未明には、ダマスカス郊外県のディーマース町一帯やクラー・アサド村、ダマスカス県マシュルーウ・ドゥンマル地区などを爆撃、ロシア国防省(ロシア当事者和解調整センター)の発表によると、ディーマース航空基地一帯の軍事インフラが物的損害を被り、英国で活動する反体制系NGOのシリア人権監視団によると、3人が死亡した。
さらに2月17日にも、複数の武装グループがダルアー県マハッジャ町一帯から占領下ゴラン高原を砲撃、イスラエル軍が対抗措置としてマハッジャ町一帯を爆撃した。
「非常に実りある」戦果
こうしたなか、SNSで、シリアに対する一連の攻撃によって「非常に実りある」戦果が達成されたとの情報が拡散された。
きっかけを作ったのは「ジャーナリスト・研究者」を自称するイスラエル人のエディ・コーエンだった。
コーエンは2月15日午後2時21分(時間はシリア時間、以下同じ)、X(旧ツイッター)で以下のような書き込みを行い、10日のイスラエル軍のディーマース町一帯などへの爆撃に関して「狩りは非常に実りあるもの」との情報を拡散したのだ。
「非常に実りある」戦果の内容は明らかではなかった。だが、コーエンは2月16日午前9時1分、再びXで「あなたが父上とガーセム・ソレイマーニー(イラン・イスラーム革命防衛隊ゴドス軍団前司令官、2020年1月に米国が暗殺)に私たちからの挨拶を伝えてください」というメッセージとともに、マーヒル・アサド少将の写真をアップし、その死を示唆した。
米国のSNSユーザーが情報を拡散
この直後の2月16日午前10時29分、米国の最新情報を提供する初のアラビア語プラットフォームを自称するアフダース・アムリーキーヤ(米国の出来事)がXを通じて、「ダマスカス郊外県でイスラエルのドローンによってマーヒル・アサドが暗殺されたとの未確認報道」とする速報を発信した。
また、「米退役士官、NATOの3つ星将官の元政治顧問、元議会職員、負傷兵、イラク戦争の退役軍人」だというUS Civil Defense Newsを名乗る人物も2月16日午後4時6分、Xで次のように情報拡散を試みた。
また、午後5時38分にも以下の通り追記した。
マーヒル・アサド少将とは?
マーヒル・アサド少将が公の場に姿を現すことは極めて稀で、最後にその姿が確認されたのは、昨年12月5日にSNSで公開された、シリア軍の士官らと対面する1分弱のビデオ映像だった。
マーヒル・アサド少将(1968年生まれ)は、ハーフィズ・アサド前大統領の四男で、バッシャール・アサド大統領の実弟である。シリア軍最強とされる第4(機甲)師団の第42戦車旅団の司令官として、同師団を実質指揮してきた。2017年1月に少将に昇進、2018年4月に第4機甲師団の司令官に就任し、現在に至っている。
2011年3月に「アラブの春」がシリアに波及したことを受けて発生したいわゆるシリア内戦においては、「自由と尊厳の実現をめざして平和的な抗議運動を行っていた無辜の市民や活動家の弾圧を指揮した」、「シリア国内での反体制派支配地への化学兵器使用を(アサド大統領とともに)指揮した」などと断じられ、革命家を自称する活動家らやその支持者の間において、アサド大統領とともにルサンチマンの権化として憎まれてきた人物である。
否定報道
マーヒル・アサド少将殺害の情報が「炎上」するなか、シリアの政府そしてメディアは、それがフェイクであるとのメッセージを暗に発信するかのように、まじめに取り合うことなく、無視を決め込んだ。
一方、ロシア・トゥデイ(RT)のアラビア語版は2月16日午前12時45分(グリニッジ標準時午前10時45分)、殺害を否定する記事を配信した。
記事の全訳は以下の通りである。
揺動する活動家
しかし、これに対して、トルコのシャンルウルファ在住でラッカ県地元評議会とタッル・アブヤド国境通行所に勤務しているというシリア人政治活動家のアフマド・ハミーラなる人物が2月16日午後7時44分、Xで次のように書き込んだ。
マーヒル・アサド少将殺害をめぐって、シリアやロシアの当局が動揺しているとの印象を与えようとする書き込みだった。だが、RTの記事が削除されたというこのポストは事実ではなかった(あるいはハミーラなる人物の名誉のために言うのであれば、現在はこの記事は閲覧可能である)。
独自筋も否定
続いて、ワーイル・ムルヒム人民議会議員は2月16日午後4時23分、フェイスブックで以下の通り綴ったのだ。
ムルヒム人民議会議員の書き込みの内容は、RTの独自筋の言葉遣いと酷似しており、ムルヒム人民議会議員が独自筋であると見て間違いないだろう。
偽情報を拡散させるのは怒りと憎しみ
イスラエルがマーヒル・アサド少将を狙ったとの偽情報が拡散されたのは今回が初めてではない。
例えば、2018年9月2日には、イスラエルの『マアレヴ』紙が、イスラエル軍によるマッザ航空基地(ダマスカス県)への爆撃でマーヒル・アサド准将が負傷したとの情報が流れていると伝えた。
また、2023年4月9日にイスラエル軍がヒムス県タイフール航空基地(T4、ティヤース航空基地)を爆撃した際も、第4師団の司令部が標的となり、マーヒル・アサド少将が死亡した可能性が高いなどとの報道が、シリアの反体制系メディア(バズニュースなど)によってなされた。このほかにも、2012年5月には、マーヒル・アサド少将(当時は准将)が護衛によって銃で撃たれて死亡したとの情報が流れたこともあった。
しかしこれらはいずれも偽情報だった。そして、今回のマーヒル・アサド少将殺害についての情報も、何の裏付けもないままに拡散された。
偽情報の拡散は、最近ではSNSやネットの発達、人工知能(AI)技術の飛躍的な向上と結び付けられてその危険性が指摘されることが多い。だが、マーヒル・アサド少将をめぐる偽情報は、こうした最新技術の力を借りたものではない。マーヒル・アサド少将、あるいはバッシャール・アサド大統領、さらには「独裁者」、「殺戮者」、「アサド体制」、「アサド・グループ」への怒りや憎しみ、これらの個人の死や組織(国家)の崩壊への期待が、好ましい偽情報(今回の場合はマーヒル・アサド少将の死という偽情報)を増幅させているに過ぎない。
イスラエルは、ガザ地区、レバノン南部に対するのと同じように、シリアに執拗な攻撃を続けている。しかし、シリアをめぐるルサンチマンは、シリアへの攻撃を不義とみなすことを回避しようとする。
「ダマスカス国際空港、アレッポ国際空港は確かに民間施設だが、そこには「イランの民兵」がいて、シリアはイランとロシアに乗っ取られている。アサド体制は無辜の市民を虐殺し続けている。アサド・グループに牛耳られているシリアは国とはみなせない。だからイスラエルのシリア攻撃は仕方ない」…。
そう主張をする人たちにとって、イスラエルがマーヒル・アサド少将を本当に殺していたら、シリアへのイスラエルの攻撃を無視し続けてきたことの理屈は立ったろう。しかし、こうした認証バイアスが、もしイスラエルによるガザ地区やレバノン南部に対する攻撃への厳しい非難の姿勢をも伴っているとすれば、それは究極の自己矛盾、二重基準に他ならない。