【富田林市】黄金の水が復活か!富田林最後の日本酒蔵だった万里春がクラフトビールブルワリーとして甦る
かつて「地下の井戸に黄金の水が湧いている」と言われ、日本酒の蔵が多く並んだ酒どころだった富田林寺内町。時代と共に次々と廃業して行く中、ここで最後まで日本酒を作っていた万里春(バンリノハル)酒造さんが、酒造りを止めたのは昭和50年代後半のことです。
今でも寺内町の古い建物のひとつとして、富田林で日本酒が醸造されていた時代の名残を感じる建物。日本酒好きな私にとっても、ついつい気になっていた存在でした。
その万里春酒造が醸造所(クラフトビールブルワリー)として復活しようとしている情報を入手。これはぜひ行かなければと、取材させていただくことにしました。
取材に応じてくれたのは、万里春酒造代表取締役の石田元孝さん。それから、クラフトビールブルワリーの技術者として、ビール醸造を担当することになった「旅する醸造家」との肩書を持つ南彰三さんです。
最初に石田さんから万里春酒造についての歴史と、これまでの経緯をお伺いし、まとめてみました。
1、万里春酒造さんの歴史
万里春酒造さんの創業は、明治時代初期。かつて東板持にいた石田家が、江戸時代に酒造りをしていた杉山家や仲村家から酒造株を分与されたために寺内町に移り住んで、酒造りを始めたそうです。その際に杉山家から蔵を移築してもらったとか。
やがてほかの酒造会社が閉業していく中で、万里春酒造さんだけは酒を造り続けていました。
但馬地方出身の杜氏(とうじ:日本酒職人の長)や蔵人(くらびと:日本酒を作る職人)を呼び、桶売り(おけうり)と呼ばれる大手日本酒メーカーに酒を買い取ってもらっていました。またPL教団などのお得意先も多かったとか。
やがて杉山家の蔵が古くなったので、それを取り壊して、鉄筋のビルを建てます。しかし、不運にも大手メーカーでの桶売りの契約が終了することが決まりました。売上の7割をこの売り上げで占めていたこともあり、昭和50年代後半に酒造りを終える決断をしました。
廃業当初は、富田林寺内町も今のような観光地としてのものではなかった時代だったとか。もし寺内町として観光地となっていてからの話であれば、存続の道があったのかもしれません。
それでも建物には歴史があるので、地域の人たちから取り壊さないでほしいという要望があり、そのまま残すことに。万里春酒造の名前(商標)も休眠会社として残りました。
その後、寺内町が重要伝統的建造物群保存地区に指定されたこともあって、10年ほど前から建物を利用して、イベントスペースとして活用していました。ところがここで、さらなる問題が発生します。3、4年前に寺内町で火事が起きてしまったのです。
その影響で「今の状態でイベントスペースとして利用するのは難しい」となり、消防法の問題もあり活用中断となりました。
石田さんは長年「どうにか醸造所として復活させたい」と思っていたそうなのですが、今から1年ほど前に南さんと運命の出会いをします。
2、南さんがビール醸造家になるまで
次に南さんからお話をお伺いします。南さんは、堺市内で消防士を7年務めた後、退職して世界を回る旅に出ます。世界を旅しながら「今後何をしようか」と、模索を続けていました。
途中、中米を旅した時にクラフトビールが若者たちに大変人気があることを知り、「これはすごい!」と驚いたとか。それがクラフトビールとの初めての出会いでした。
南さんは、帰国後にバーなどで働きながらさらに何をするべきか悩んだそうですが、小規模醸造所で作られた地ビールがクラフトビールと名前を代えて、日本でも受け入れられつつあったこともあり、思いきってクラフトビールの世界に飛び込むことにしたのだそうです。
そうして南さんは、複数のブルワリーで修業を積みました。三重県の伊勢角屋ビールさん、岩手県の遠野醸造さん、島根県の石見麦酒さんなど、錚々たるブルワリー。
その後大阪に戻った南さんは、縁があって大阪市内にある上方ビールさんで働くようになりました。これがちょうど2年前のことです。
南さんが「旅する醸造家」と言われる所以は、このように世界各地を旅し、各地のブルワリーで醸造家として働いていたから。
そのうち南さんは「自らの醸造所(ブルワリー)を持ちたい」と願うようになりました。その時に、万里春酒造の石田さんと運命の出会いがありました。
3、オープンまでの計画と夢
「これは規模が大きすぎる!ちょっと大変かな」これが、南さんが万里春酒造さんに来て、現場を見ての第一印象。
ビールの醸造免許は年間6万リットルを醸造しないと取れず、それ以下だと発泡酒免許になります。南さんの目標として年間3万6千リットルを掲げており、発泡酒免許でのスタート。だから当初の目標として、それほど大きな醸造所にするとは思っていなかったとか。
そのため日本酒蔵として稼働していた万里春酒造さんの面積の大きさに圧倒されたのです。
それでも意気投合した南さんと石田さんは、共同経営者として万里春酒造の会社名を残すことで合意。ブルワリーレストランを作る計画がスタートしました。ちなみに、店の屋号は現在検討中だそうです。
イベントスペースとして利用していた木造の蔵の部分をブルワリーレストランに、鉄筋の建物の場所に醸造設備を置く計画。
ブルワリーレストランがオープンすれば、イベントスペースとしても再検討できればとのことで、クラフトビールを飲みながら、イベントやライブが楽しめればという計画です。
また、日本酒の蔵人が酒造りの時に滞在していた寮の部分は、ゲストハウスにする計画も。
ちなみに木造の部分は、明治の創業時から改修のみで現在まで伝わっている建物。河内の材木を使用しているそうです。
オープンの予定を聞くと最速で半年、遅くとも1年以内にはやりたいとのこと。今の状態をできるだけ変えないとのことですが、まだまだいろいろ大変だとか。
これから飲食店や醸造所としての法律上の許可、消防法の問題や防音対策などで、いろいろな工事をしなければならないそうです。
場所は寺内町なので、建物(石田家住宅)には重要伝統的建造物群保存地区としての補助が出るそうですが、それは木造蔵の外観のみだけとのこと。そのため万里春酒造さんでは出資者を募ったり、クラウドファンディングなどをしていく構想もあるそうです。
また、建物内のDIYも進めていて、そのお手伝いをしてくれる人も募集中だとか。随時、facebookページ(外部リンク)で情報更新されるので、興味のある方はぜひチェックしてみてください。
「無事に開業出来たら、僕も南さんにビールづくりを教えてもらいたいと思っています」と石田さん。
寺内町に醸造所が復活すれば、この地での黄金の水としての歴史も甦ります。私には記事を書くことしかできないけれど、ふたりの夢をぜひ叶えてほしいと強く思いました。
万里春酒造
住所:大阪府富田林市富田林町21-22
電話番号:0721-24-0001
アクセス:近鉄富田林駅から徒歩8分