ウクライナ電撃訪問! 岸田首相はゼレンスキー大統領との首脳会談で「プーチン国際手配犯」を非難できるか
事前に情報が漏れていた「電撃訪問」
3月21日午前、電撃的なニュースが飛び込んできた。インド訪問中の岸田首相が密かにポーランド経由でウクライナに向かったというのだ。バイデン大統領はじめ世界中の多数の国の首脳がすでに続々とウクライナ訪問を行ってきたなかで、西側主要国で唯一、日本だけが訪問していないという不名誉な状況が続いてきたが、遅ればせながらようやく実行に踏み切ったことになる。
ただし、他国の首脳が安全のためにキーウ到着後に情報を公表したのに対し、日本はやはり情報の管理ができていない。日本政府はいちおうは情報秘匿のため、同行記者団をインドに残し、政府専用機ではなく別のチャーター機でポーランドに向かったが、「日本テレビ」がポーランド東部ジェシュフの空港で到着を待ち構えており、そこから車両でウクライナ国境の町・プシェミシルに移動してから列車に乗り込む様子を撮影していた(列車に乗り込む映像はNHKも放送)。日本政府から事前に一部メディアに情報が漏れていたことになる。
そして、まずメディア先行でこの情報は大きく報道され、その後から外務省が「これからキーウに入って、ゼレンスキー大統領と会談する」と発表するかたちになった。日本政府が岸田首相のキーウ到着前に自分たちから進んで発表することを計画するとは考えらず、メディアの先行取材で発表を強いられることになったのは疑いない。情報出しのタイミング的には、メディア側と政府とで交渉はあったのではないか。
いずれにせよ、こうした一連の時系列を見ても、やはり日本政府の情報管理は甘いと指摘せざるを得ない。
なお、ポーランド国境から列車でのキーウまでの移動は、おそらく10時間程度かかると見込まれる。それからゼレンスキー大統領との会談になるので、そのニュースは日本時間の同日夜ということになる。
習近平=プーチン会談の直後のタイミング
ところで、岸田首相のウクライナ訪問が主要国でも突出して遅れたことは前述したが、ただ日程的には中国の習近平・国家主席のモスクワ訪問の直後という絶妙なタイミングになった。
岸田首相は日本国内の政治日程的にこのタイミングを選んだわけで、習近平・国家主席の日程に合わせたわけではないだろうが、習近平・国家主席とプーチン大統領が両国の連携を高らかに宣言するニュースが世界中で注目された直後に、岸田首相とゼレンスキー大統領の緊密ぶりが報道されるということは、国際政治的には岸田首相は習近平・国家主席とプーチン大統領の顔に泥を塗ったことになる。
これは、これまで国際政治上の対立構造での存在感をひたすら回避してきた日本政府としては、かなり前面で目立つタイミングとなる。そこで注目されるのが、岸田首相はゼレンスキー大統領との会談およびその後の記者会見で、何をどう話すかということだ。
岸田政権は2月にウクライナに対して55億ドル(約7300億円)の追加財政支援を決めている。当然、そうした対ウクライナ協力の話を主にするだろうことは容易に予想できる。
問題は、侵略国・ロシアに対する措置をめぐる両国首脳のやり取りだ。
たとえば、ゼレンスキー大統領が対露制裁のさらなる強化を日本に要請してくることもあり得る。2月末、日本政府はロシアのプーチン派傭兵企業「ワグネル」への輸出禁止などを骨子とする追加制裁を決めたが、経済制裁としての実効性は小さい。ゼレンスキー大統領はこうした首脳会談をうまく支援強化に結び付ける交渉術に長けているが、日本の事情も当然ある程度は把握しているはずで、どういった話になるかは予測できない。
また、ゼレンスキー大統領が強い言葉でロシアを非難することは当然だが、それに岸田首相がどう応えるかも注目だ。これまでキーウを訪問した外国首脳は皆、強いロシア非難の言葉を語ってきた。岸田首相もキーウを訪問してゼレンスキー大統領と会談する以上、そのロシア非難に同調しないわけにはいかない。しかし、日本政府はロシアを非難する姿勢では、西側主要国では突出して後ろ向きだ。
その背景には、日本政府がもともと長い期間、プーチン大統領への支持を打ち出してきたという経緯がある。とくに森喜朗・元首相と安倍晋三・元首相はプーチン大統領への個人的な親近感を公言してきた。
そうした経緯もあり、2021年12月にロシア軍がウクライナへの軍事的恫喝をいっきに高めた後も、他の主要国に比べてロシア批判を控えてきた。岸田首相は2021年10月から首相になっていたが、自民党内での忖度もあったのか、他の西側主要国の首脳と違い、ロシアを名指しての批判を控えてきた。ウクライナ=ロシアの緊張が高まるにつれ、他のG7諸国に同調するようにウクライナ支持の声明は出すようになったが、ロシア批判の言葉は封印していた。
そんな岸田首相が初めてロシア批判の言葉を語ったのは、ようやく2022年2月24日のロシア軍ウクライナ侵攻の後のことだ。
その後、日本政府はG7に追従するかたちで、ロシア批判を口にするようにはなったが、自ら率先してではなく、目立たぬようにという態度だった。つまり、ロシアと政治的に強く対立したくなかったのだろう。対露制裁も他の西側欧米諸国と比べると緩く、自ら率先して踏み切る姿勢は見られなかった。
岸田首相は「プーチン名指し非難」に踏み切れるか
そんな日本政府がようやくロシアへの"批判を越えた強い非難の言葉"を語ったのは、2023年2月23日、国連総会での「拒否権の乱用のみでは飽き足らず、核兵器保有国としての立場も悪用している」との林外相の演説が実質的に初めてだった。ウクライナ侵攻から1年を経てやっと、ロシアを名指しで強く罵倒するに至ったわけだ。
しかし、ロシア非難は口にしても、日本政府がいまだ封印していることがある。それは「プーチン大統領に対する名指しでの非難」である。
プーチン大統領がロシアの独裁者であり、ウクライナ侵攻という暴挙を決めたのがプーチン大統領だということは世界中が知っている。そのため西側主要国の首脳はすべて早い段階からプーチン大統領を名指しで非難してきたが、日本政府はロシアを非難はしても、プーチン大統領個人を名指しで強い言葉で非難したことが、現在に至るまでない。独裁者個人を名指しで罵倒した場合、敵対関係はほぼ決定的で回復不能になるが、日本政府はまだそこまで踏み切ってはいないのだ。
3月17日、国際刑事裁判所(ICC)が戦争犯罪の容疑でプーチン大統領に逮捕状を発行したことに対しても、西側主要国の首脳たちがICCを支持する声明を出しているなか、岸田首相は「重大な関心を持って注視していきたい」とだけ述べるに留まった。
しかし、キーウでのゼレンスキー大統領との会談で、プーチン大統領の戦争責任に言及しないで通すことは不自然だろう。岸田首相にはもうこの段階でプーチン大統領に忖度するような情けない態度は捨てて、力強く「プーチン国際手配犯」を罵倒していただきたいと願う。