日本代表コーチ・柿木孝之氏に聞く〜ジュニア時代は体と走りの基礎作りを。そして一度は欧州に触れてほしい
「別府史之や新城幸也のような『突然変異』を待っているだけではダメなんです。自分たちの手で日本人選手を育て、本場プロの世界へと送り出さなければ」
日本自転車連盟の男子ジュニア強化コーチ、柿木孝之氏は常々こう繰り返している。
もちろん高校生であり、大部分が高校の部活動メンバーでもある選手たちを、束ね、指導していくのは、決して簡単でなことではない。それでも長期休暇を縫って年に数回の強化合宿を行い、高校の指導員たちと対話協力を重ね、代表チームをレベルの高いネイションズカップへと送り込んできた。
「来季はもっと意欲的に強化を行いたい」
UCIジュニア・ネイションズカップの韓国大会で松田祥位がステージ優勝を飾り、U23日本代表として2年間欧州転戦を続けた雨澤毅明がジャパンカップ表彰台に立った……そんな2017年シーズンの終わりに、柿木孝之氏に話を聞いた。
「ヨーロッパで勝負したいのであればヨーロッパに行くしかない」
来シーズンはもっと意欲的に、とのことですが、具体的にはどんな計画をたてていますか?
ネイションズカップだけでなく、UCIの他のレースにも積極的に参加していきたいと考えています。たとえば例年5月にはフランスとスイスのネイションズカップを走っているんですが、その前に、別のレースを組み込みたい。というのも、いきなりネイションズカップを走らせても、たいていコテンパンにやられてしまうだけなんです。だから1戦目として、ネイションズカップの1週間前にある別のレースを走り、それからネイションズカップへ挑む。時差ボケの解消にもつながりますし。まだ計画の段階なんですが、ネイションズカップでのいい走りを引き出すためには、他レースへの参戦が必須だと思っています。
やはりネイションズカップで成績を出す、ということが重要なのですか?
他に比べてレベルが一段階高いんです。今年の世界選手権で活躍したのは、ジュニアのネイションズカップで暴れまくっていた選手ばかりです。しかも近年はジュニアのネイションズカップで暴れまくった選手が、アンダー23カテゴリーのネイションズカップでも暴れまくって、そのままプロに行く……という道筋ができあがっています。おかげでジュニアのレースレベルも非常に高くなりました。ただネイションズカップだけではなく、多くのジュニア選手に、ヨーロッパの本場のレースを体験してもらいたいですね。
するとジュニア時代からヨーロッパに行くべきと?
集団走行、さらにはコースや風を読む能力。これらを国内で学ぶことはできません。ヨーロッパに行く以外にないんです。世界で戦うためには向こうで経験を積むのが近道……というか、語弊を恐れずに言うならば、唯一の道ですね。ヨーロッパで勝負したいのであればヨーロッパに行くしかないんです。
また本場の戦いの現場で求められているものが果たして何なのか、それを知る機会にもなります。「高価なバイク」や「軽いホイール」が必ずしも最高なのではなく、「壊れない自転車」「壊れないホイール」がいいのだ、とか。日本で走っているだけでは分からない、世界の現実を知ってもらうためにも、ジュニアのうちから欧州を経験してもらいたいと思います。
ただジュニア時代に年間を通して向こうに行く必要はありません。まずは夏休みや春休みを利用して、ぜひ経験してきてほしいですね。
たえば日本連盟の「強化パートナー」として指定されている、橋川健さんが夏休みにベルギーで開いているサイクリングアカデミーとか?
そうです。非常に有効なプログラムです。選手たちにはぜひ、ああいった機会を利用して、ジュニア時代に1回でもヨーロッパを経験してほしいですね。一度経験した上で、「まずは大学に行く」「ヨーロッパ行きは辞めて僕は日本国内だけでいい」という選択肢をとってもいいと思うんですよ。非常に厳しい世界なので、全員に「すぐにヨーロッパに行け」とは言えませんから。
でも逆に、ジュニア時代にヨーロッパを体験した上で、「世界で勝負したい」と強く決意した選手だって過去にも何人も存在しています。幸いにも今年のジュニア世界選代表の3人は、日本に残るのではなく、世界に出ていって戦うことの方に価値観をおいてくれています。お前もそうしろ、とは強く言えないからこそ、そういう選手が増えてくれることを嬉しく思います。
今後は日本連盟としても、春休みに同じような欧州合宿を計画していきたいですね。ただ春休みには高校選抜というビッグレースがあって、どうしても日程がかぶってしまうんです。ただ、たとえ日程がかぶったとしても、「行きたい」と願う選手がいるのであれば、連盟としては遠征をできるだけ組みたいと考えています。
学業の合間を縫って遠征や合宿を行わなければならないというのは、ジュニアならではの悩みですね?
基本的に高校生ですからね。それでも現在は10月、11月、12月、1月、3月、5月、7月の計7回の強化合宿を組んでいます。学校の行事等、また高校主体の大会と被らないよう日程を選んでいます。最高で合宿は5日間。遠征も増えてきているので、あまり学校を休ませるわけにはいきません。現時点で最大限の状態だと思います。男子ジュニアは年間最大13人を強化指定選手に指名できますので、その中からネイションズカップや世界選に向けて選考合宿を行ったり、コースに向いた選手を連れていったりという形をとっています。
「タイムトライアル練習でひとり踏み続けるフィジカルを」
集団走行など「テクニック」に関してはヨーロッパを経験すべきなのだとしたら、たとえばフィジカルの強化はどうしていくべきでしょうか?
日本の選手たちが劣っているのは、長時間をひとりで踏み続けるフィジカルです。いわゆるタイムトライアル(以下、TT)能力ですね。国内の練習環境に問題があるからでもありますが、単にそういう練習をやっていない選手も多いんです。練習をしなければ、能力は伸びません。海外の監督たちと話して分かることは、TTの練習を、年間を通して入れている選手が多いこと。日本はTTを強化するという意識がまだまだ薄いですね。しかしTT練習こそが、ひとりで踏み続けるフィジカルを作り上げてくれるんです。
かつてはインドゥライン、最近ではデュムランといったTTに強い選手がオールラウンダーとして活躍しています。やはりTT力が大切なんですね?
選手として最低限備えていなければならない基礎能力です。この基礎を踏まえて、そこからスプリンターやクライマーといった、より特化した脚質に分化していくだけなんです。キッテルだって子供時代はTTの選手で、そこからスプリンターへと進化した。カヴェンディッシュだってオムニアムのTTタイムは悪くない。しかも長時間ひとりで踏み続ける能力があるからこそ、グランツールの登りだって最低限こなせているんです。いわゆるプロ野球選手は子供時代はみんな「4番でピッチャー」で、そこから成長するに連れて様々なポジションについていくのと同じですよ。
するとTTの練習はいつからやるべきでしょうか?
16、17歳位からですね。その下の年齢の選手は、まだそれほど専門的な練習は必要ではありません。ジュニアに上がるか上がらないかの年齢になったら始めていくべきです。あくまでも「ひとり」で回し続けること。たとえば集団で練習すると、乗っている時間自体は長くても、先頭交代等を行うため、「ひとりで踏み続ける」という時間がなかったりしますから。練習環境がないのであれば、ローラー台を回すだけでも十分です。冬場のヨーロッパではローラー台でTT練習をしている選手はたくさんいますから。また練習時間を長くする必要もありません。短くても高強度の練習を取り入れること。強くなりたい、と思っている若い選手には、ぜひTT練習を取り入れていってほしいですね。連盟の合宿でも今後は積極的にTT練習を入れていこうと考えています。
欧米の選手はジュニアからアンダーに上がる時に体躯が太くなります。一方で日本の選手は線が細い。その差はどうしたら埋まるでしょうか?
難しい問題です。僕も選手時代はガリガリでしたから。ただ言えることは、ジュニア時代は技術や数値にこだわるより、まずは「基礎作り」「体作り」を考えるべきであること。ジュニアの選手がよくパワーウエイトレシオを気にして、「太ったら登れなくなる」なんて言うんですけれど、むしろジュニアは余分なエネルギーを摂らないと体が大きくなりません。だから多少太っても構わないので食べてもらいたい。それも、しっかりと、栄養価のあるものを食べなくてはなりません。
松田(祥位)はすごくバランスの良い体を持っているんですよ。実は遠征中の夜、食事を取れるところがどこも開いていなくて、マクドナルドに行かざるを得なくなったことがあるんです。その時に松田が「マクドナルドのようなものは10年以上食べていません」と言ったんですよ。きちんとした食事がきちんとした体を作り上げるのだなぁ、と改めて実感しましたね。
とにかく体が上の方に伸びていくのはジュニア時代だけです。上方向への成長が終わってから体重を絞ることを考えても、決して遅くはありません。ジュニア時代にベストパフォーマンスを出すことではなく、その後のアンダーやエリートに行ってからベストパフォーマンスを出すことこそが、自転車選手としてははるかに大切なことなんですから。
突然変異を待ってはならない。柿木さんは常々こうおっしゃってますが、この先、連盟としてなにをしていきますか?
ジュニアからアンダー、さらにはエリートへの移行を、よりスムーズにしていけたらと思っています。もちろん今でも、カテゴリーは違っても、ジュニアの選手たちの情報は(男子エリート&アンダー23監督の)浅田顕監督に常時伝えてはいます。ただ、今後は合宿や遠征、選手選考のやり方も含めて、すべてのカテゴリーが一本のラインとして機能していけば……きっと長い目で見た選手育成が推し進められるはずです。