酷評から絶賛へ 米メディアの大谷翔平報道「手のひら返し」をどう解釈すべきか
大谷報道で米メディアの「手のひら返し」が話題になっているが、そのことは彼らの積極的な批評性と日本メディアの「主張のなさ」を浮き彫りにした。
オープン戦で散々だった大谷翔平が開幕するや超人的な活躍を見せると、それまで懐疑的だった米メディアの報道も一変した。この様子は日本では「手のひら返し」として、テレビやウェブ媒体でもちょっぴりシニカルに報じられている。
しかし、大谷への評価の変化で「一貫性がない」と捉えるのもちょっと違うかなとも思う。大谷のオープン戦での成績は、打者として打率.125で投手としては防御率27.00だ。これらの指標がセイバーメトリクス全盛の現在において大きな意味を持つものかどうかは別にしても、褒められたものではない。
また、数字だけでなく内容も乏しかった。投手としては、球速はそれほどではなかったし、四球を乱発し地面に叩きつけるような投球も目立つなど、使用球の変化などへの対応に手間取っている様子が感じられた。
打撃はさらに深刻だった。長打はゼロでゴロばかりで、メジャーで重視されるフライボールが打てなかった。
正直なところ、この成績では「時期尚早」との評価は極めて普通でそう評しないことの方が不自然だった。また、ぼくは(もちろん米メディアではないが)、「マイナー契約で結果が出ていない」ことから、開幕はマイナーで迎えさせるのが他の選手に対しても公平だと考えた。
しかし、とても大事なことがある。大谷が苦しんでいる間に「開幕はマイナーで」と主張した米メディアは基本的に「ゆっくりと順応させてあげるべき」と考えたからで、彼の資質自体に疑問を呈したものはほとんどなかった(と思う)ことだ。重症に思えた打撃に関しても、打撃練習等での圧倒的飛距離が示す彼の潜在的長打力(Raw powerという)を高く評価する報道は少なくなかった。ようするに「急ぐ必要はない」ということなのだ。
また、彼の適応力を見誤ったとしても、開幕後の超人的パフォーマンスを目のあたりにするとそれを褒めたたえるのは当然のことだ。当初は、ベテランスカウトの「打撃は高校生級」という辛辣な評価を引用しつつも、先日自らの見方の誤りを素直に認めウェブ上で公開謝罪した「Yahoo! SPORTS」のジェフ・パッサン記者などは「立派だな」と思う。
一方で日本メディアはどうだったか。オープン戦期間は基本的に「米メディアが酷評」と報じ、今は「米メディアが絶賛」とか「手のひら返し」と報じている。「米メディアの評価」ではなく、自分たちの大谷への評価は大谷が苦しんでいた時はどうだったのか?そして今はどうなのか?それがそもそも見当たらない(ぼくが見落としているのだろうか)。
メディアの役割は「報道」と「論評」だと思う。しかし、自らの考えは表明せず「米メディアはこう言っている」ということだけ報じている。これはとても残念なことだ。他媒体での評価を引用するのは、自らの見解の参考情報として初めて意味を成すのだと思う。「あの媒体ではこう言っている」ということ自体が記事のテーマになっているのはいかにも情けない。
米メディアの大谷評価の「手のひら返し」は、結果的に日本メディアの主張のなさも浮き彫りにしてしまった。