【泉佐野市】映像よりリアル。激動の20世紀を生きた庶民を圧倒的熱量で再現「ジオラマ記念館」の迫力
悲しみの底から這いあがる強さ、日々の営みの大切さを圧倒的熱量で物語る
「南條 亮(なんじょう あきら)ジオラマ記念館」。
激動の20世紀を生き抜いた人々の深い歴史をジオラマ(情景模型)に投影し よみがえらせた光景は映像よりリアル。
立体的な歴史の迫力を体感した様子をお伝えします。
戦争の廃虚の中から復興を目指す庶民の姿を描く
「いこらも~る泉佐野」2階にある 約330平方メートルの展示スペースに配置された作品は、故南條 亮氏(1943~2019年)が2001年8月に「人間、この愚かですばらしきもの展」(大阪府立現代美術センター)で発表したドキュメントジオラマ。7年前に一部を移設し、常設展として再公開しています(入館無料)。
緻密に再現された建物や街並み、人々の暮らしぶりから、その時代を生きた人間のリアルが伝わります。会場右手スペースで展開される作品は、戦後すべてを失った日本の惨状と命を繋ぐべく手段を探る人たち。悲惨な光景にもかかわらず、そこで生きる人々の姿は「希望」とも読みとれる光で満ちあふれていました。
「明日への道」と題したコーナーでは、空襲で家を焼き払われた家族が、家財道具を大八車にのせて焼け野原を歩く姿が描かれています。
「お母さん、今日からみんな死ななくてもいいんやね?」と書かれた説明文に「死ななくていい希望」の切なさを強烈に感じ、胸が締めつけられる思いに。
母親の表情からもどこか安堵した様子がうかがえます。
焼けただれ、倒壊寸前の建物のまわりで靴磨きをする少年や親を亡くした兄と妹、進駐軍の兵隊にチョコレートをねだる子どもたち。焼け落ちた市街地で路頭に迷う人々は、広い空を見上げ明日を生きる手立てを探し求めています。
舞台背景となる20世紀は、地球上のいたるところで戦争と破壊、紛争と飢餓、難民があふれ出た時代でした。ドキュメントジオラマのテーマでもある「人間、この愚かですばらしきもの」の“愚か”とは、「戦争をしたこと」と南條氏が強く語っていた、と館長の堀内 洋一さんは話します。ただ、それだけが愚かなことだったと。
からくり時計やモニュメント制作に携わる南條氏が、20世紀から21世紀へと向かう時代の転換期に残したかったもの。それは、人間の素晴らしさでした。
もがき苦しみながらも前を向き 温かい営みを続けた庶民の生きざまを、人形の姿を通して語り伝えようと25年かけて創り築いた未来へのメッセージです。
昭和を生きた人々の「知恵」と「寛容」を表現
南條氏が愛した昭和30年代。人々の暮らしは、「知恵」と「寛容」であふれていました。
広っぱで思い思いの遊びに興じる子どもたち。子どもの世界にもメンバーに応じたルールがあり、大きい子は小さい子の面倒を見るなど、遊びの中で大人顔負けの「知恵」をつけていきます。
また、“生活のサイクル”が人々の手によって整えられていたことも、「不便ゆえ
の知恵」だった、と気づきます。
決して裕福とは言えない暮らしの中に「寛容」を感じさせるゆとりがにじみ出ています。今の時代の“忘れ物”がここにあります。
そして、何より人が人を大切にしている。
人間は「群れのどうぶつ」
あらためて昭和の時代を振り返ってみると、人間は「群れのどうぶつ」であることに気づかされます。
触れあい、共感し、理解しあう。その繰り返しで成り立つ人々の生活は、とてもパワフルでときにユーモラス。物質的な豊かさはないけれど、心は満たされている。暮らしにつきまとう「不便」はアイデアを生み、分かちあう喜びを与えてくれる。
そんな人間の温かな営みを表情豊かな人形たちが圧倒的な熱量で物語ります。
凍えるような寒い日に暖をとる仲間がいることの大切さ、不便ゆえの人間同士の絆、忘れかけていたことを魂レベルでガンガン語りかけてくるのです。
豊かさを求めてゆく中で、沈黙した自然や孤立した人々が向かう先に待っているものは、光なのでしょうか? 闇なのでしょうか?
光であることを願いたいけれど、失くしたものの大きさを感じずにはいられません。
仕掛けが楽しい
創り手の創意工夫は、人形制作だけにとどまりませんでした。
「南條 亮 ジオラマ記念館」には、子どもも大人も楽しめるさまざまな仕掛けが施されています。
各ステージの横にあるボタンを押すと、子どもが相撲をとりだしたり、セリフが流れたり。便所のドアが開いたときは、お取込み中の人の表情がユニークで、思わずぷっと吹き出してしまいました。
創り手の内面世界を読み解く
ドキュメンタリーでありながら、創り手の内面世界を深く反映しているようにも感じとれる南條氏の作品。それは「戦後の街」の中でもうかがい知ることができます。
ある男の子を館長が指さします。
そこには、亡くなった赤ん坊をおんぶしている少年の姿が。
原爆投下後に長崎で撮影された写真が話題となり、戦争の悲惨さを強く訴えかける傑作として「焼き場に立つ少年」というタイトルで、広く世に知れ渡りました。
ですが、少し時間的なズレがあり、ここに居るはずがないのに、と館長は話します。
そんなフィクションが魅せる魂の叫びは、「愚か」と表現した戦争への痛烈な批判とも受けとれます。
そして、こちらも印象深いシーンです。
兵隊にお辞儀をする大人たちの後ろで、怪訝な表情をみせる子どもに注目です。
「ぼくたち、わたしたちの家族は帰ってこなかった」と戦争の理不尽さに怒りをぶつける子どもたちの姿を描いています。
“戦争の最大の被害者は「子ども」である” という南條氏の心の内側がにじみ出たシーンです。
そんな創り手の意図を読み解きながら鑑賞を進めていくと、物語に奥行きが生まれ、より立体的な歴史に触れることができます。
無数のレベルで更新され続けている歴史という「大きな物語」は、語る人の主観によって構成される一面もあり、ここで描かれるそれは温かいまなざしであふれています。その時代を生きた人々の肉体、感情までもが息づいているジオラマは、今を生きるわたしに深い示唆を与えてくれました。
会場には、ほかにも南條氏直筆の原画や、影絵、身寄りのない子どもたちを木彫りで表現した「賽(さい)の河原」など、いたるところに創り手の魂が散りばめられています。
南條氏のジオラマ作品は、明治からはじまり昭和の高度成長期までの百年をつくる予定でしたが、2019年12月 志半ばで天に召され、作品は全体のドラマの一部のみの完成となりました。
取材日は、南條氏の奥様ともお話をさせていただきました。
そこで、どうしても聞きたかったこんな質問を投げかけてみました。
―もし、南條氏が生きていたら今の世をどう思うか。
「嘆いていたと思う」
即答でした。
20世紀を生きる人々の姿を見て、何を受けとるかは個人差があるかもしれません。けれど、南條氏が構築した「ジオラマの世界」は、明るい未来の手助けになるはず。
「今一度立ち止まり、私たちの歩んできた時代と生きてきた姿を、もう一度見つめ直すことは決して無駄ではない」(南條氏のことば)
そんな祈りのバトンを、わたしは今日受けとりました。
そして、次はみなさんに託します。
心温まる人間の生きざまを、立体的な歴史の迫力を、カラダぜんぶで感じてみてください。きらきらと光る何かを見つけたら、それが希望です。
【基本情報】
「南條 亮 ジオラマ記念館」常設展示(入館無料)
公式Facebook(外部リンク)
場所:「いこらも~る泉佐野」いこらの森ホール横(泉佐野市下瓦屋2-2-77/Googleマップ参照)
取材協力 「南條 亮 ジオラマ記念館」館長 堀内 洋一様、南條 洋子様
*記事内容は取材当時のものです。
*ジオラマは貴重な美術作品です。絶対に手を触れないようご注意ください。