それでも世界には物語が必要だ! 宝塚歌劇雪組『ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル』
東京宝塚劇場で上演中の雪組公演『ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル』が面白い。名探偵シャーロック・ホームズの作者であるアーサー・コナン・ドイルが主人公だ。シャーロック・ホームズシリーズが誕生し人気作家となった、さらにその後までが描かれる。
ホームズシリーズが誕生し、ドイルがいちやく売れっ子作家となっていく前半もワクワクするけれど、何といっても後半が味わい深い。欲に溺れ、自らが生み出したキャラクターであるはずのホームズの存在に振り回され…そして初心に返って気付くのは「人は心からやりたいことをやればいい」ということだ。
作・演出の生田大和がプログラムにこんな言葉を寄せている。「(嫌いなことや苦手なことからは逃げやすいけれど)『好きなこと』はそれが『好きなこと』であるが故に、逃げ場を奪っていく…それは時に、途方もない困難として僕らの前に立ちはだかる」。「好きを仕事に」は幸せなことだと思われがちだが、「好きなことで生きていく」つまり「好きなことをずっと続けていく」のは実はとても難しいことなのだ。作者はドイルの生き方を通じて、この問題を深く掘り下げている。
「世界にはそれでも物語が必要だ」というドイルの言葉も、このご時世だからこそ余計に心に響く。巨大な本をドイルが背負い、本の中からホームズが顔をのぞかせているというポスターが斬新だが、あのポスターデザインの意味するところも見終わって改めて理解できたような気がする。
彩風咲奈のドイルは、子どものような純粋さや好奇心と、物書きとして生きていきたい、夢を叶えたいというあくなき欲望の両方を兼ね備えた、一見すると朴訥なようでいて実は創造の権化のようなパワフルな人物だ。
そんなドイルを生み出した生い立ちにもスポットが当てられる。ドイル自身は決して幸せな家庭に育っておらず、故にドイルは「家族」への執着を強く抱くようになる。アルコール中毒に苦しみながらも息子への想いを垣間見せる父親チャールズ(奏乃はると)の存在が胸に迫る。
意外と一筋縄ではいかない生い立ちであるドイルの周りを、ホームズの創造を支える役回りの人たちががっちり固めている。
ドイルの妻、ルイーザ(夢白あや)は、明るく天真爛漫で一点の曇りもなくドイルの才能を信じている、売れていない時代からの一番の味方だ。だが、現実を見据えて行動するしっかり者なところもある。まさに理想の伴走者である。
朝美絢演じるホームズ000は、まさに物語の世界から抜け出してきたような異世界感を感じさせる。ドイルの創造の産物であったはずが、創造のパートナーとして対等な立場となり、やがて悪魔のようにホームズを苦しめ、そして和解する。その関係性の変化を的確に表現してみせる。さまざまな姿のホームズの分身は010までいるが、それぞれ実際の作品に登場するホームズに対応しているようなので、シャーロキアン(シャーロック・ホームズの熱狂的ファン)の方も楽しめるだろう。
ホームズシリーズを掲載することで経営危機を脱するストランド・マガジンの編集長ハーバート(和希そら)は「読者が求める作品を探し続ける」ことにかけてはドイルに負けない貪欲さを持つ。方向性は異なるもののドイルと同等のエネルギーの持ち主であり、二人のパワーがかけ合わさった時に大ヒット作が生まれたということだろう。
怪しげな心霊術で人を惑わす、心霊現象研究協会のメイヤー教授(縣千)は、ホンモノを創り出すドイルに対するニセモノという面白いポジション。そのニセモノからもらった魔法のペンでホンモノが生み出されるのも皮肉が効いている。結局何がホンモノで何がニセモノかわからない、ということか。
ロンドンの大衆を演じるアンサンブルの人たちも、この作品の中で重要な役割を担っている。ある場面では、19世紀末ロンドンの治安の悪さや不穏な空気を表現してみせる。また、その彼らがホームズに熱狂するあまり暴徒とも化していく。こうした姿はSNSで炎上する現在とも重なって見え、いつの時代も人は変わらないと思わされる。
盛りだくさんな作品だが、うまく整理されテンポよく話が進むため、わかりにくさはなく見応えがある。人海戦術の大劇場に相応しい作品ともいえそうだ。
2024年も、こうしたオリジナル作品の佳作が次々と生み出されるタカラヅカであり続けて欲しい。