【卓球】”みうみま”ライバル物語 あまりにもドラマチックな進化の軌跡
それは出来過ぎたドラマのようだった。パリ五輪で惜しくもメンバー入りを逃した伊藤美誠と、念願のシングルス初出場を獲得した平野美宇。かつてこれほど長きにわたって抜きつ抜かれつのライバル関係にあったアスリートがいただろうか。その進化の歴史を振り返ってみた。
生まれたのはともに2000年、シドニー五輪の年だ(西暦年から年齢がわかりやすい)。卓球を始めたのは伊藤が2歳11ヶ月に対して平野が3歳5ヶ月と、わずかに伊藤の方が早かった。
先に頭角を現したのは平野だった。4歳のときに全日本選手権バンビの部(小学2年生以下)に史上最年少で県予選を勝ち抜いて出場し、7歳のときには福原愛以来の小学1年生での同大会の優勝を果たした。
翌年のその大会で、今度は伊藤が優勝したが、平野は上のカブの部(小学4年生以下)に出場していた。小学3年生のときにはカブの部で平野が準決勝で伊藤を破って優勝した。翌年はまたしても追いかけるように伊藤が優勝するが、やはり平野は上のホープスの部(小6以下)に出場。総じて、小学生時代はわずかに平野がリードした形だった。
小学4年生で迎えた全日本選手権一般の部では、平野が福原の記録を抜く10歳9ヶ月の史上最年少勝利を収めると、その8分後に伊藤が10歳2ヶ月で記録を更新した。伊藤は平野より7ヶ月遅く生まれたためだ。凄まじいデッドヒートだ。
ライバルでもあり親しかったということもあり、幼いころからダブルスを組むことがあった2人だが、中学生になると日本代表として国際大会でもペアを組むようになる。
2014年のドイツオープンでワールドツアー初優勝し、伊藤は13歳5ヶ月の史上最年少記録となった(平野は3位)。インタビューで賞金額が約50万円と聞いて目を丸くする2人のなんとも微笑ましい写真がマスコミに取り上げられ、このころから「みうみま」として一般にも知られるようになった。
翌2015年世界選手権蘇州大会には、2人揃って出場したが、伊藤が女子シングルスで世界チャンピオン李暁霞(中国)から2ゲームを先取する驚愕の活躍でベスト8入りした。一方の平野はベスト32と振るわず(これもとんでもないことだが、あくまでも比較の問題である)、ここまで対等だった2人に差がつき始めた。
そして迎えた2016年リオ五輪。福原、石川佳純とともに戦う団体戦3人目として選ばれたのは、世界ランキング2位の丁寧(中国)を撃破するなど快進撃を続け、同9位まで上げていた伊藤だった。平野はリザーブとして同行し、スポットライトの中で団体銅メダルを獲る伊藤の眩しすぎる姿を暗い観客席から見つめた。
2人の差は決定的になったと思われた。普通はここでライバル関係は終わりだろう。幼少期から親しんでいた2人がこんなレベルまで、こんなところまで競り合ってきたこと自体が奇跡なのだ。平野はここまでだ。卓球界の誰もがそう思った。しかし我々は信じられないものを目にすることになる。
リオ五輪からわずか2ヶ月後の女子ワールドカップで、平野は史上最年少の16歳で優勝を果たす。しかしこの大会は中国が不出場だったため「中国選手以外には勝った」という評価に留まった。
だが平野の躍進は止まらなかった。翌2017年1月の全日本選手権で、3連覇中の女王、石川を決勝で破り、史上最年少の16歳9ヶ月で優勝を飾った。
しかしこれすらも序の口だった。その3ヶ月後のアジア選手権で、あろうことか中国選手3人(世界ランキング1位の丁寧、2位の朱雨玲、5位の陳夢)を立て続けに破り、日本人として21年ぶりの優勝を果たしてしまう。21年前に優勝した小山ちれは中国から帰化した元世界チャンピオンだったため、日本育ちの選手としては実に43年ぶりのことだった。勝っただけではない。そのあまりにも速い卓球は”ハリケーン”と呼ばれて世界を驚倒させた。今もってこのときの平野ほど中国選手を木っ端みじんに打ち砕いた選手は世界のどこにもいない。
続く世界選手権デュッセルドルフ大会では日本選手として48年ぶりの女子シングルスのメダルを手にした。まさに鬼神、化け物のごとき活躍だった。
もう平野に残されたのは世界チャンピオンしかない。またしても誰もがそう思ったが、今度は伊藤が再び覚醒する。
いったい彼女らに何が起こっているのか見当もつかない。ただただ茫然と見つめるのみだ。
翌2018年の全日本選手権決勝で伊藤は平野を怒涛のプレーで破って初優勝し、そこから2連覇を含めて3回優勝、早田ひなと組んだ女子ダブルスでは5連覇してしまう。
2018年世界選手権ハルムスタッド大会では、女子団体決勝で劉詩雯から歴史的勝利を挙げた。女子団体で日本女子が中国選手から勝ち星を挙げたのは、2004年ドーハ大会での梅村礼、藤沼亜衣以来のことだった。続く10月のスウェーデンオープンでは、世界ランキング3位の劉詩雯、2位の丁寧、そして1位の朱雨玲(いずれも中国)を立て続けに破って優勝した。それは平野とはまた違った、伊藤にしかできない変幻自在と速さを兼ね備えた唯一無二のプレーだった。中国メディアからは「大魔王」と恐れられ、自らは「無敗の女を目指す」と語った。
まさに飛ぶ鳥を落とす勢い。卓球界は伊藤を中心に回っているかのようだった。東京五輪の代表選考レースでは、平野がギリギリでシングルスを逃したのに対して伊藤は早々とシングルス出場を決め、水谷隼との混合ダブルスでは日本卓球界に初の五輪金メダルをもたらした。加えて団体で銀、シングルスで銅と3種類のメダルを手にした。伊藤はまだ20歳だった。信じられるだろうか。
そして、東京五輪の半年後から始まったパリ五輪選考レース。それは2年弱もかけて長い長い一試合を戦うがごとき過酷なものだった。そのレースで早田という急成長の新星を前に、伊藤と平野はシングルスの2枠目を最後の最後まで争い、今度は僅差で平野が勝利した。パリは平野に託された。
なんというライバル。なんというドラマ。1人の極端に偉大な選手の出現もそうそうあることではないが、20年近くもともにトップレベルでしのぎを削り合う2人というのは、それ以上に稀有な、奇跡としか言いようのない偶然であろう。いや、お互いがいたからこそここまで来ることができたと考えれば、むしろ必然だったのかもしれない。
この2人に加えて、平野早矢香、福原愛、石川佳純、早田ひなといった、煌めくレジェンドたちが覇権を争った日本女子卓球界のこの10年。振り返って見ればなんという凄い時代だったのだろう。幸福の最中にそれとは気がつかない迂闊さよ。今さらながら、リアルタイムでそれを目撃することができた幸運を嚙みしめるとともに、この幸運がいつまでも続くことを願ってやまない。