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人身取引被害のサバイバーが語る、日本での売春強要

小川たまかライター
『サバイバー』著者のマルセーラさんが講演する様子

昨年8月に刊行された1冊の本がある。『サバイバー 池袋の路上から生還した人身取引被害者』(ころから出版)。著者はコロンビア生まれの女性、マルセーラ・ロアイサさん。1999年に来日した彼女を待っていたのはセックスワークの強要だった。『サバイバー』の中では、彼女の日本での体験が余すことなく綴られている。

コロンビアで4刷、約4500部販売された本書が日本でも出版されたきっかけは、翻訳を手掛けた1人、常盤未央子さんが偶然コロンビアの書店でこの本を手に取ったことだったという。常盤さんに、出版までの経緯と、本書に込めた思いを聞いた。

『サバイバー 池袋の路上から生還した人身取引被害者』
『サバイバー 池袋の路上から生還した人身取引被害者』

『サバイバー』のあらすじ

21歳のシングルマザー・マルセーラは、娘や母、兄弟の面倒を見ながらコロンビアで暮らしていた。貧困に苦しむ毎日の中、あるきっかけから日本で働くことを決める。仲介者を通じて日本へ入国するが、東京で待っていたのは「500万円の借金を返すまでは帰国させない」「売春婦として働き、1日2万円を支払うことができなければ借金の利子がつく」という言葉だった。マルセーラは日本に着いた日からすぐに、池袋の路上で売春婦として仕事を余儀なくされる。1999年に来日した彼女が2001年に大使館のサポートを受けて帰国するまでの2年間が語られる。

常盤未央子(ときわ・みおこ)さん

長野県出身。幼い頃から「言葉の橋渡しができる仕事をしたい」と通訳を志す。大学ではスペイン語を専攻し、卒業後にチリへ留学。日智商工会議所の事務局で勤務後、ペルーで働く。帰国後、通訳ボランティアを経て、ピースボートの企画・運営を行う旅行会社社員に。現地視察で立ち寄ったコロンビアで『サバイバー』の原書を見つけた。

■原題は「ヤクザに囚われた女」だった

――コロンビアで『サバイバー』を見つけたときのことを教えてください。

常盤:『サバイバー』がコロンビアで発売されたのは2009年。私が本屋で手に取ったのは2010年です。カルタヘナという港町で偶然入った大型書店で見つけました。コロンビアでは『ヤクザに囚われた女(ATRAPADA POR LA MAFIA YAKUZA)』というタイトルだったんですね。「YAKUZA」という単語を目にして気になって手に取ったのが最初でした。

――読んだ感想は?

常盤:自分の知らなかった出来事だと思いました。こういう女性(日本で売春をする外国人女性)がいることは知っていたけれど、彼女たちにどんなバックグラウンドがあって、どういう方法で日本に来て、どういう生活や仕事のスタイルをして、何を思っていたのか、全然知らなかった。ここまでひどかったんだということ、そしてそれを知らなかったことにショックを受けました。

原著『ヤクザに囚われた女』/表紙の女性は著者ではない
原著『ヤクザに囚われた女』/表紙の女性は著者ではない

――私も本書を読んで、国内での外国人の被害についてはマスコミの視点が薄いのかもしれないなと感じました。

常盤:売春させられていることよりも「不法滞在をしている」ことで処理されてしまう。翻訳の際に過去の資料にもあたりましたが、そういった資料でも数のデータぐらいしか出てきません。彼女たちが何を考えていたかはほとんど表に出てこなかったので、「これは貴重な証言ですね」と人身取引被害者のサポートに携わってきた方から言われました。

――本を読んですぐマルセーラさんにコンタクトを取ったのですか?

常盤:読んだ後、何とか日本でも出版したいと思ってまずは翻訳を始めたんですね。翻訳しながら、マルセーラにもコンタクトを取りました。意外と簡単につながることができて、メールで返事をくれたので会いに行こうかなと。彼女は今アメリカに住んでいて、ちょうど仕事で私もアメリカに行く用事があったので。日本で出版したいと言ったら、「それは私の夢です」と言ってくれました。「売れなさそう」とか「最近の話ではないから」という理由で出版社がなかなか決まらなかったのですが、何とかツテをたどって。今はコロンビアと日本の2カ国のみで売られていますが、英語で出版する話もあるようです。

――マルセーラさんの印象を教えてください。

常盤:気さくな人です。明るくてエネルギッシュ。聞かなければ大変な過去があったことはわからないぐらい。街を見せてあげるって車で連れて行ってくれたりしましたね。

『サバイバー』著者/Marcela Loaiza(マルセーラ・ロアイサ)さん

1978年コロンビア生まれ。1999年に来日し、セックスワークを強要される。2001年に帰国し、2009年に日本滞在中の出来事をまとめた手記が大ヒットし、2011年に続編を刊行。その後、米国に移住し、人心取引撲滅のためのNPO Fundacion Marcela Loaizaの代表として活動する。

■被害経験を綴るセラピーが執筆のきっかけ

――南米でのご経験が長い常盤さんにとって、コロンビアにはどんな印象がありますか?

常盤:2016年9月に政府と左翼ゲリラとの和平交渉が合意に至ったことが大きなニュースになりました。内戦が長く続いてきた国です。1990年代にはコロンビアは世界で最も殺人発生率や犯罪が多い国と報道されていて、「マフィア」や「麻薬」「殺人」というイメージが強かったですね。私が仕事で最初にコロンビアへ行ったのは2006年ですが、当時もまだ内戦が続いていました。でも、観光客として行く分には問題ないとも感じていました。

――マルセーラさんの本は、コロンビアでどのような反応があったのでしょうか。

常盤:彼女は自分の意志で日本へ行ったし、売春する可能性も知っていたじゃないかという批判はあったようです。でも彼女は自分と同じような被害者を出さないためという一心で、出版の後にテレビやラジオのインタビューもたくさん出て、被害を訴えることを頑張った。彼女の訴えが浸透して、最近ではそういう批判がなくなってきました。人身取引自体の定義がちゃんと伝わってきたと思います。

マルセーラさんの講演風景
マルセーラさんの講演風景

――マルセーラさんが日本でコロンビア大使館に駆け込んだとき、領事から「たとえ完全に騙されたのではなく、犯罪のために連れて来られることを同意していたとしても人身取引の被害者なのです」と説明されるくだりがありますね。「あなたが知っておくべきこと」として。

常盤:そうですね。それまで彼女は自分の状態がわかっていなくて、「私が悪い」と自分を責めていた。でも領事と話して、自分が被害者と初めて気づいた。それはすごく大きな出来事だったのでしょうね。

――全て彼女の主観で書かれているので、「本当なのかな?」と思う人もいるかもしれません。

常盤:マルセーラが自分の経験を書いたきっかけを説明すると、彼女はコロンビアに帰国した後も生活が貧しく、娼婦の世界に戻ってしまうんですね。そこから抜け出したきっかけは2冊目の著書に書いているのですが、帰国してからも自分の経験を誰にも話せず、相談する相手がいなくて体を売る仕事に戻ってしまったというのもあって。

でも本当に娼婦の仕事を辞めると決めたときにセラピーを受けた。つらい経験を文字にして向き合うというセラピーがあって、そのときにセラピストの先生が彼女の文章がうまいことに気付いたと。これを本にしたらどうかというアドバイスを受けたのがきっかけだったそうです。編集者の手が入っているところもあるかもしれないけれど、基本的に彼女の記憶をそのままに書いている。

■「日本に行く」=「売春しに行く」

――日本人が普段コロンビアを意識することはあまり多くないと思います。でも、コロンビアでは当時、女性が「日本に行く」のは「売春しに行く」と同意と考えられていたという記述があり、日本がそう捉えられていたことに驚きました。

常盤:コロンビアの日本大使館などではポスターが貼ってあったことがあるようですね。「本当にあなたは日本へ行くのですか?」と。日本に行ったら、こういう被害にあうかもしれないという注意喚起のポスターです。国をあげて被害防止に動いていた時期もあって、ある程度その成果は出たようです。ただ、最近マルセーラさんと話をしたら、今でも日本へ行こうとする人もいると。何をするかもわかっていて、その上で。

――その背景には、かつてのマルセーラさんと同じように貧困があるのでしょうか?

常盤:そうだと思います。自分は大丈夫って思うのかもしれないですけれど……。マルセーラの経験を全部聞いた上で、それでも行くっていうのは、そこまで追い詰められているからかもしれない。

――貧困の中にある人を騙すようにして働かせている。そういうことをしている国が、彼女たちの状況に無自覚過ぎるように思います。日本の報道ではコロンビア人女性が、というものは見ないです。

常盤:2004年以降、警察の発表では摘発されたコロンビア人女性はゼロです。日本もコロンビアも、もうこの話は過去のことだと。私が数年前にコロンビア大使館の人にこの本の話をしに行ったとき、「数字上はもう一人もいない」「国のイメージがあるから」と言われました。この本を出版すること自体、好意的に思われていない。でも例えば、本の中にも出てくる、マルセーラを管理して支配していたマネージャー役だった女性はまだ日本にいます。彼女は特に摘発をされたりはしていませんね。

■「人身取引被害」知るきっかけに

常盤未央子さん
常盤未央子さん

――マルセーラさんがいつかもう一度日本に来て、当時のことを話してくださるといいなと思います。

常盤:彼女も行きたい気持ちはあると言っていました。でも行くならボディガードを付けたいって。この本を日本で出版することについても、家族全員から反対されたそうです。報復されたらどうするの?と。トラウマもあるだろうし、未だに怖いのだろうと思います(※注:本書内では、マルセーラと同じように日本で働いていた女性が帰国後すぐに殺害された事件があったことが報告されている)。

――本書の前書きでもあとがきでも書かれていますが、日本が人身取引についてきちんと対応していない。マスコミもそれほど報じないから、知らない人が多い(※)。マルセーラさんのような女性がいるというその事実だけでも、もう少し知られていいのではないかなと思いました。

常盤:そうですね。人身取引がどういう構造なのかや、その定義がしっかり浸透すればいいなと思います。そういう意味で、この本が入り口になったらいいですね。

【3月3日0:30追記修正】(※)米国国務省が発表する人身取引年次報告書の2004年版で、日本は「人身取引犯罪をなくすための最低限の取り組みが見られない」と指摘され、4ランク中の下から2番目の「第2ランク監視対象国」と評価された。2016年版では「第2ランク(人身取引撲滅のための最低基準を十分には満たしていない)」と上から2番目の評価。報告書の中では「日本は、強制労働および性的搾取の人身取引の被害者である男女、および性的搾取の人身取引の被害者である児童が送られる国であり、被害者の供給・通過国である」(米国大使館による翻訳から引用)とあり、技能実習制度(TITP)を通じた強制労働や、強制売春、偽装結婚、アジアへの児童買春旅行などについての厳しい指摘がある。

(※)米国国務省が発表する人身取引年次報告書(2016年)において、日本は4ランク中の下から2番目「第2ランク監視対象国(人身取引撲滅のための最低基準を十分には満たしていない)」と評価された。報告書の中では「日本は、強制労働および性的搾取の人身取引の被害者である男女、および性的搾取の人身取引の被害者である児童が送られる国であり、被害者の供給・通過国である」(米国大使館による翻訳から引用)とあり、技能実習制度(TITP)を通じた強制労働や、強制売春、偽装結婚、アジアへの児童買春旅行などについての厳しい指摘がある。

ライター

ライター/主に性暴力の取材・執筆をしているフェミニストです/1980年東京都品川区生まれ/Yahoo!ニュース個人10周年オーサースピリット大賞をいただきました⭐︎ 著書『たまたま生まれてフィメール』(平凡社)、『告発と呼ばれるものの周辺で』(亜紀書房)『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を』(タバブックス)/共著『災害と性暴力』(日本看護協会出版会)『わたしは黙らない 性暴力をなくす30の視点』(合同出版)/2024年5月発売の『エトセトラ VOL.11 特集:ジェンダーと刑法のささやかな七年』(エトセトラブックス)で特集編集を務める

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これまで、性犯罪の無罪判決、伊藤詩織さんの民事裁判、その他の性暴力事件、ジェンダー問題での炎上案件などを取材してきました。性暴力の被害者視点での問題提起や、最新の裁判傍聴情報など、無料公開では発信しづらい内容も更新していきます。

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