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髷を落としたら「誰にも声をかけられず寂しさも」元大関・琴奨菊に聞く 2年待った断髪式と力士人生

飯塚さきスポーツライター
断髪式を終えた元大関・琴奨菊の秀ノ山親方に話を聞いた(写真:日本相撲協会提供)

10月1日に引退相撲を終え、髷に別れを告げた元大関・琴奨菊の秀ノ山親方。断髪式では、おなじみの取組前のルーティン「琴バウアー」も親子で披露し、会場を沸かせた。新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、断髪式ができないまま「親方」として精力的な活動を続けてきたが、引退から約2年、ついに「力士」に区切りをつけることができた。

「琴バウアー」を披露する琴奨菊
「琴バウアー」を披露する琴奨菊写真:アフロスポーツ

断髪式後の親方は、天然パーマを生かした短髪がさわやかで、表情も清々しい。今回は福岡県出身の親方に、地元である九州場所での断髪式の感想と現在の心境、現役時代の思い出、今後の展望などについて伺った。

恩返しの断髪式 新しい髪型に「若返った」の声も

――先月行われた断髪式は、本当に多くのお客さんが足を運び、大盛況でしたね。終えてみていかがですか。

「とにかくお客さんに喜んでもらえるような断髪式にしたいと考え、NFTやVR体験などの新たな試みを取り入れてみました。デジタルなど新しいものと伝統との掛け合わせ。やってよかったなという気持ちしかないです。協会や部屋の方々、皆さんの協力があってこそだったので、本当に感謝しています」

断髪式で、師匠の佐渡ヶ嶽親方が止めばさみを入れる(写真:筆者撮影)
断髪式で、師匠の佐渡ヶ嶽親方が止めばさみを入れる(写真:筆者撮影)

――会場にはウクライナの避難民の方々や、テレビ番組の企画で来日したアメリカのファンも招待しました。

「ウクライナ(の人たちの招待)は、妻が飛び込みで大使館に連絡してくれたおかげで実現しました。番組(のアメリカのファン)のほうは、彼らに会うのは今回が2回目。ぜひお会いしたい、とこちらからお願いしました。やっぱり海外では、日本=相撲と思ってくれている方も多いので、ぜひこの機会に見ていただきたかった。特に避難民の方たちには、相撲を見ることで、少しでも前向きな気持ちになってもらえたら、と思ってのご提案でした」

――素晴らしい取り組みですね。

「大変喜んでいただけましたね。自分も現役時代の苦しいときは、たくさんの方々に支えてもらったことで踏ん張れました。相撲を通して出会った多くの方々に恩返しできるようにと思いながらの企画だったのですが、逆にお力を借りながら進められたというところです」

「最後の相撲」では、二人の息子さんと取組を披露した(写真:筆者撮影)
「最後の相撲」では、二人の息子さんと取組を披露した(写真:筆者撮影)

――髷を落としたいま、寂しさなどはありますか。

「ちょうど2年前、東京開催だった11月場所の中日で引退を決めました。髷があることで、引退しても体を鍛えなきゃといった感覚でしたが、髷を落としたことで初めて、次のステップに行かないと、という思いを強くしました。いま、この姿で外を歩いても誰にも声をかけられなくなったので、少しの寂しさと、力士ってやっぱりすごいなと、あらためて感じていますね」

――毎日髪を洗うなど、生活習慣もいろいろ変わったと思いますが、いかがですか。

「そう!おそらく小学生以来、初めて床屋さんに行ったんです。それで知ったんですけど、床屋さんって顔剃りもあるんですね。それで、あんなに自分のトレードマークだった眉毛が整えられてしまって。これ大丈夫かなって、すぐ妻に電話しました(笑)」

──奥様の反応、新しい髪型への周りからの反応はいかがでしたか?

「妻は、大丈夫だと思うよと(笑)。周りからは、親方若返ったねって言われます」

現役時代一番の思い出は「稽古」

――19年間の力士人生を振り返り、一番覚えているのはどんなことですか。

「若いときの稽古ですね。18歳で入門してから、部屋の上の人たちに引っ張り上げてもらい、体も心も精神力も強くさせてもらっていたあの時期が、苦しかったけど一番の思い出です。取組で勝って喜ぶとかはおまけみたいなもので、大事なのはどれだけ精神力を強くもって臨めるか。そこは負けなかったという自負があります」

――平成28年1月場所では優勝も経験されました。日本出身力士の幕内優勝は10年ぶりでした。

「はい。場所後に結婚式が控えていたので、絶対に自分でいい結婚式にしようと思い、元日の夜からトレーニングするなど、どんなことでもいいから自信をつけようと思って取り組みました。それがいい相撲につながった。前を向いていると、付け人や周りもそれに合わせてくれる。本当にありがたかったですね」

初優勝し賜杯を手に笑顔の琴奨菊(写真:読売新聞/アフロ)
初優勝し賜杯を手に笑顔の琴奨菊(写真:読売新聞/アフロ)

――親方は長く現役を務められました。年齢を重ねても現役であり続けられた秘訣はなんだったと思われますか。

「若いときは勢いだけでいけたけど、特にケガをして以降はケアやストレッチを含め、稽古量以外にもいろいろ追求するようになりました。自分の可能性を信じていたから、できたんだと思います。ケガしたとき、ある人に『赤じゃなくて青い炎で燃えておけ』と言われたことがありました。赤い炎は早く消えるけど、青い炎はメラメラと燃え続ける。体に限界はあっても、気持ちは強くもち続けられるという意味ですね。また、自分は現役中『こうあるべきだ』という考え方に縛られた部分が強かったので、もっと肩の力を抜いて自分の感性を信じてやっていたら、もっと相撲が面白かったのかもなという気づきも引退後にありました」

――ご自身でのそういった気づきも、今後の指導に生きてきそうですね。親方としてどんな弟子を育てていきたいですか。

「無我夢中の力士を育てたいです。“我”が出ると型にはまってしまうけど、集中できているときはどんな型にも変化していけるし、一番伸びる時期。夢中になれれば限界を超えられるし、その子に合った相撲が自然と身につくと思うので、親方としてはそういう環境づくりをしたいなと思っています」

「無我夢中の力士を育てたい」と秀ノ山親方(写真:日刊スポーツ/アフロ)
「無我夢中の力士を育てたい」と秀ノ山親方(写真:日刊スポーツ/アフロ)

九州場所での注目は高安

――地元、九州場所の真っ最中です。福岡県出身の親方から、力士たちへのエールをお願いします。

「地元の九州出身力士が活躍することによって場所が盛り上がります。全力士に対しては、年納めの場所なので、しっかり自分の相撲を取り切って、1年の総括として成長を知れる場所にしてもらいたいと伝えたいですね」

九州場所をPRする親方(写真:日本相撲協会提供)
九州場所をPRする親方(写真:日本相撲協会提供)

――注目している力士はいますか。

「高安。ずっとうちの部屋に出稽古に来てくれていました。彼はほかの部屋の若い衆にも自分の知識を全部教えてあげるんですね。自分が強くなる稽古も大事ですが、そういう気づかいも本当に大事だと思うので。ケガの経験もあって自分のことをよく知っているし、そういう力士は大崩れしないだろうと思います」

――最後に、あらためて親方が思う相撲の魅力はなんですか。

「自分は立ち合いですべて決まると思っていたので、立ち合いかな。土俵の仕切り線って70センチしかないんですが、立ち合いは意地の張り合いだと思うんです。かます、差す、変化する。そこを考えながら、相手をつぶすような当たりをしようと、自分は意地をかけてやっていました。そんな意地の張り合いを、見ている人にも感じていただけたらいいなと思いますね」

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

スポーツライター

1989(平成元)年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーのスポーツライターとして『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(アプリスタイル)などで執筆中。2019年ラグビーワールドカップでは、アメリカ代表チーム通訳として1カ月間帯同した。著書『日本で力士になるということ 外国出身力士の魂』、構成・インタビューを担当した横綱・照ノ富士の著書『奈落の底から見上げた明日』が発売中。

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