「大学入試改革」を「ゆとり教育」の二の舞にしないために、保護者に知っておいてほしいこと
本当に価値ある教育の成果は、すぐには表れない
「ゆとり教育」が「脱ゆとり路線」に変更されたきっかけは、国際的な学力調査の結果、日本の子供たちの学力が下がっていることが指摘されたからである。しかしそもそも「ゆとり教育」の目的は目先のテスト点数を上げることではなかったはずだ。目先のテストの点数よりも将来実社会で活躍するための実践的な学力を鍛えようという話だった。成果が表れるには数十年という時間が必要である。
そもそも本当に価値のある教育の価値は、その教育を受けた者の中にその成果が表れて、時間的にも空間的にも広い視野をもてるようになるまで本人には理解できないという逆説がある。
親の価値など、その最たるもの。親にいちばん世話になっているときの子供には、親の偉大さはわからない。子供が成長し、それなりの見識を得て、それなりの人生経験を積んでこそ初めて、親の偉大さに気づくことができるようになる。
学校も同じだ。名門校と呼ばれるような学校の先生は異口同音に言う。「今すぐには価値がわからなくていい。今はたくさんの種を蒔くことが大事。それが 5年後、10年後、場合によってはもっとたってから、いつか芽を出すかもしれないし、出さないかもしれない。そういう気持ちで教育している」。
卒業生も口をそろえる。「歳を重ねるごとに、先生や母校の偉大さがわかるようになってきた」と。年収や社会的地位などではなく、人生の豊かさそのものの意味がわかるようになってきてやっと、母校で学んだことの価値に気づくのだ。
教育の本当の成果は、すぐには表れない。高校卒業後、すぐにわかってしまう大学進学という成果は、教育の成果のごく一部でしかない。そこだけを見て、学校を選ぶのはとてももったいないことだとわかるだろう。
最近私は、進学校として知られる学校で行われている、一見受験勉強には直接的に関係がないように見えるユニークな授業を実況中継する本『名門校の「人生を学ぶ」授業』(SB新書)を書いた。灘、筑駒、麻布、豊島岡、聖光学院など16校の白熱授業を実況中継している。
そのような授業から得られるものは、ひょっとしたら一流大学に進学し、一流企業に就職し、人生が順風満帆なときにはさほど必要がないのかもしれない。むしろ人生に逆風が吹いたとき、あるいは先行きが見えない五里霧中の状態になったときにこそ、そのありがたみがわかるはずだ。名門校の先生たちはそう信じて、今日も教壇に立っている。
大学入試改革の成否を左右する保護者の覚悟
大学入試改革が数年後に実施される。知識偏重や偏差値主義からの脱却をその目的としている。それにともない高校や中学校の授業も大きく変わるといわれており、先行きの不透明さに不安を感じる保護者も多いだろう。
しかし、拙著に掲載されているユニークな授業の数々を見てもらえればわかる通り、これまでの教育だって必ずしも知識偏重や偏差値主義だったわけではない。何十年も前から本質的な教育を実践してきた学校はたくさんある。
大学入試改革が理想通りに進めば、一般的な中学校や高校でも、拙著で紹介したような授業が増えていくことが予測できる。
そこで試されるのは、今度は保護者の覚悟である。せっかく学校や教員が、目先のテストの点数ではなく、本質的な生きる力の土台に重点を置く教育を実践しようとしているのに、保護者が模試での偏差値に一喜一憂したり、学校の大学進学実績に固執したりしていたら、改革は腰折れになるだろう。結局、知識偏重・偏差値主義に逆戻りしてしまうだろう。「ゆとり教育」のときのように。
すぐには効果が表れない教育の価値を、まずは大人が理解できるようになっておかなければならない。
世知辛い毎日の中でつい、長期的視野や円環的因果関係を忘れがちになっていないだろうか。表面的なエビデンスにふりまわされて本質を見失ってはいないだろうか。部分的な問題にとらわれて、もっと大きな問題を見落としてはいないだろうか。
実は目先のテストの点数や偏差値よりも数十年後の人生の豊かさを願って行われている名門校の教育から、大人こそが忘れかけていた何かを学べるのではないだろうか。