大阪二児置き去り死事件と、もうひとつの語られない虐待事件から見えてくるもの
今年に入り、「虐待」事件を追った2人の著者に取材した。大阪二児置き去り死事件を取材し、『ルポ虐待――大阪二児置き去り死事件』(ちくま新書/2013・9)にまとめた杉山春さんと、虐待を受けた子どもたちのその後を取材した『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(集英社/2013・11)を書いた黒川祥子さんだ。
お二方のインタビューは、それぞれ下記の記事で発表している。
■女の生きる価値とは? 大阪二児置き去り死事件を追ったルポライターが語るシングルマザーの貧困と孤立(ウートピ/2014・3・7)
■お母さんが子どもを育てなくてもいい…… 『ルポ虐待』著者が語る、虐待の連鎖を止める方法(ウートピ/2014・3・8)
■虐待受けた子どもたちを取材した著者が語る「明日ママ」――「誕生日を知らない女の子」黒川祥子さん(THE PAGE/2014・2・15)
杉山さんも黒川さんも虐待死事件に心を痛め、再発を防ぐためにはどうすればよいのかを考え、取材に走った。杉山さんは虐待をしてしまった母親の側から、黒川さんは虐待を受けた子どもの側から虐待事件を取材している。杉山さんが取材した大阪二児置き去り死事件と、黒川さんが子どもを取材するきっかけとなった京都で起こった三児死亡事件は、その後の裁判結果において真逆だった。それぞれ事件の概要と、その後の裁判結果を下記にまとめる。
■大阪二児置き去り死事件
・2010年7月30日に発覚。
・23歳の母親が、3歳の女児と1歳9か月の男児を大阪市西区の自宅に約50日間にわたって放置し餓死させた。発見時は死後1ヶ月ほど経っていたとされる。
・母親が風俗嬢だったこと、子どもを放置していた期間に遊びまわっている様子をSNSへ投稿していたことがセンセーショナルに報道された。
・弁護側は母親には「解離性障害」があったことや、母親自身が子どものころに虐待を受けていたことなどを主張し、殺人罪ではなく「保護責任者遺棄致死罪」を主張した。
・検察側の無期懲役の求刑に対し、大阪地裁は懲役30年の判決。弁護側の主張は「虐待体験の影響から脱却する契機が相当程度与えられていた」と却下された。その後、最高裁まで争われ、2013年3月に懲役30年が確定した。
(以上、『ルポ虐待』などを参考としてまとめた)
■京都で起こった三児死亡事件
・2008年12月に、1歳10か月だった五女の点滴に腐敗水を混入したとして35歳の母親が逮捕された。
・逮捕後、二女が3歳9か月、三女が2歳2か月、四女が8か月で病死していたことが判明し捜査対象となったが、病理解剖の記録が残る四女のみが審理対象に。
・裁判で母親は「先生(医師)が気になる子、目をかけなければいけない特別な子の母親に見られたかった」などと発言。母親は我が子を看病する様子を育児ブログにつけていた。
・裁判では日本で初めて「代理ミュンヒハウゼン症候群」が問題とされた。
・裁判所は母親を犯行を認定したが、「代理ミュンヒハウゼン症候群であったことは、量刑上有利な事情として斟酌し得る」とし、検察側の求刑15年に対して懲役10年の判決。母親は控訴せずに結審。2010年5月。
(以上、『誕生日を知らない女の子』などを参考としてまとめた)
大阪二児置き去り死事件では、被告となった母親の「解離性障害」は減刑理由にならないとされた。京都で起こった三児死亡事件では、母親の「代理ミュンヒハウゼン症候群」は、「量刑上有利な事情として斟酌し得る」とされた。
大阪二児置き去り死事件を取材した杉山さんは、「解離性障害」を主張した心理鑑定士を支持しており、これは前出のインタビュー記事で詳しく紹介している。
黒川さんは、京都の事件の裁判で「代理ミュンヒハウゼン症候群」が認められたことに対し、下記のように『誕生日を知らない女の子』に書いている。
虐待を行った2人の母親に下された懲役30年と懲役10年の判決。これが「長い」のか「短い」のか、についてはわからない。ただ、母親の心理鑑定、精神分析の結果が一方では採用、一方では不採用であり、これがどう採用されるかが、これほど量刑の差に違いをもたらすものなのかということに、ただただ驚く。また、その鑑定がどう採用されたかについて考えるとき、大阪二児虐待死事件では、センセーショナルな報道から受けた先入観が先回りしたのではないかとも感じてしまう。杉山さんはインタビュー中で次のように話している。
親が子どもを虐待するという事件、取り分けこの2つのように凄惨な事件の場合、私たちは「理解できない」「どういった心理状況なら、こんなにひどいことができるのか」「私たちとは違う人だ」と考えてしまう。「理解できない」からこそ、「代理ミュンヒハウゼン症候群」という病名をつけることで整理したのが京都の事件で、「理解できない」から、「母親としての努力が足りなかった女性」が起こした事件として片付けたのが大阪の事件なのではないか。再発防止を見据え、事件から学ぼうとするのであれば、「理解できない」で終わってはいけないのではないか。2つの事件の量刑の差は、そのまま私たちの「無知」による戸惑いのようにも感じられる。
黒川さんは取材時にこんなことを仰っていた。書名のタイトルをつける際、「虐待」という文字があると「売れない」「手に取ってもらえない」と、忠告を受けたと。私自身、虐待関連の取材していることを人に話すと、「虐待の話は聞きたくない」「ひどい事件だったから、改めて記事を読むのも怖い」と言われたことがある。確かにひどい事件から目をそらしたくなる気持ちは理解できる。しかし、虐待事件が明るみとなることが増え、いつ自分の周囲でこういったことが起こるか分からない。自分が虐待事件の裁判員裁判となるかもしれない。虐待事件を起こす人やその被害者は、自分と関わりのない人ではないかもしれない。現在も日本で起きている虐待を知るために、この2冊をひとりでも多くの人に手に取ってもらいたいと思う。