生娘を誘拐して土に埋める…日本の築城史にも残る最悪の「人柱伝説」とは
鳥取県米子市にある米子城(現在は、米子城跡)は、別名「海に臨む天空の城」とも称されるほど美しい景観を持ち、人気が高まっているスポットのひとつです。
山陰地方といえば、島根県にある国宝・松江城が有名どころですが、米子城も負けてはいません。近代遊郭のひとつとして存在した米子城は、知る人ぞ知る隠れた名城でもあるのです。
今回は、そんな米子城にまつわる悲劇のエピソードを紹介します。
築城の人柱伝説
築城の最盛期である戦国時代では、何事もなく工事が終えられるようにと若い娘や僧侶を生贄として捧げる「人柱」を起用することがありました。
この生贄として用意された人の殆どが、誘拐されて連れてこられた美しい未婚の女性たちだったのです。
この信じがたい迷信は、「地盤問題で築城できなかった土地に人柱を採用したところ、無事に建築が成功した」として噂が広まったのだとか。
しばらくすると、人柱を採用した城の周辺で変死体が相次ぐなど「呪い」や「人柱の霊が出現する」といった噂までもが広まるようになります。こうして語り継がれてきた「人柱伝説」のなかでも、全国的に知られているのが「米子城の人柱伝説」です。
米子城に残る人柱伝説
米子城の築城計画が目前に迫った晩のこと。盆踊りを楽しむ輪の中で「お久米」という若い娘が踊っていました。
このお久米という娘は、占い師が予言した「人柱に相応しい人物」の服装とソックリの格好をしていたのです。
米子城の築城に関わる男たちは「見つけたぞ!見つけたぞ!人柱を見つけたぞ!」と、祭りの騒ぎに乗じてお久米を誘拐。誘拐犯の男たちがお久米を埋めているとき、街の方からは太鼓の音頭が「ドンドン」と鳴り響いていたといいます。
そのためか、翌年以降は同時期に太鼓の鈍い音がどこからともなく聞こえてくるようになったのだとか。
このエピソードが由来で、米子城は「久米城」と呼ばれることもあるようです。
当時の人たちにとって「城」とは、人柱を採用してでも完成させる価値があったのかもしれません。
現在の米子城跡は綺麗に整備されており、春になると桜の花が一面に咲き誇ります。
悲しいエピソードも残る地ではありますが、景観最強の城とも呼ばれる米子城跡から一望できる絶景は一見の価値がありますので、ぜひ見に行ってみてくださいね。
・米子城跡
住所【鳥取県米子市久米町】