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ノーベル平和賞受賞コロンビア大統領のこれまで -和平交渉への影響は?

小林恭子ジャーナリスト
サントス大統領(左)とFARCのロンドニョ最高司令官ー和平協定の署名式で(写真:ロイター/アフロ)

7日、コロンビアのサントス大統領がノーベル平和賞を受賞した。

ノルウェー・オスロの選考委員会は授賞理由を「50年以上にわたる内戦の終結に向けた毅然とした努力」としている。

コロンビアでは半世紀以上、政府と左翼ゲリラ「コロンビア革命軍(FARC=ファルク)」との戦いが続いてきた。内戦によって26万人が亡くなったと言われる。戦禍で居住地から追われた人は数百万人規模とされている。

今年8月、ようやく和平協定がまとまり、内戦の終結が宣言された。しかし、10月2日、停戦合意にかかわる国民投票が行われたが、結果は僅差で否決。和平の行方に影が差してきたところだった。

大統領そしてFARC代表はともに停戦合意に向けて努力する姿勢を明らかにしている。

平和賞を受賞した、サントス大統領とはいったいどんな人物か。

有力者の家庭に生まれた元新聞記者

コロンビアの現大統領ファン・マヌエル・サントス氏は、1951年、コロンビアの首都ボゴタで生まれた。現在65歳。

父親は地元有力紙「エル・ティエンポ」の元編集長で、エドアルド・サントス大統領(就任1938-1942年)は血縁に当たる。

米カンザス大学で経済学とビジネスを専攻して卒業した後、英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学院、ハーバード大学大学院などで勉学。帰国後はエル・ティエンポ紙の記者となった。

政治家になってからは前大統領アルヴァロ・ウリベ氏の支援者となり、急スピードで昇進の道を駆け上ってゆく。

2002年から06年までは財務大臣を務め、ウリベ政権の第2期目(2006―10年)では国防大臣に抜擢された。ゲリラに悩まされてきたコロンビアで最も重要な閣僚職の1つだ。

サントス氏は数々のFARC掃討作戦を実行してゆく。

2008年2月、ゲリラ軍に誘拐され、6年半監禁されていた政治家イングリッド・ベタンクール氏と同じく囚われの身となっていた米国市民3人を国軍によって解放した。

同年3月には隣国エクアドルにいたFARC指導者ラウル・レジェスの活動拠点を爆撃し、レジェスを殺害した。これがコロンビアとエクアドルの間の外交問題化する。エクアドル側は領空侵犯であるとコロンビアを非難し、国内のコロンビア大使館を閉鎖するとともに国境に兵士を配置。ベネズエラも同様の措置を取った。

同じころ、コロンビア国軍がFARC兵の殺害率を上げるために多くの市民を殺害し、「ゲリラ軍兵士を殺害した」と報告していた証拠が明るみに出た。この事件はウリベ政権の暗部を示すものと言われている。

しかし、サントス氏の支持率は高いままだった。2009年には国防大臣を辞し、2010年の大統領選挙への出馬意向を示した。

2010年3月、サントス氏は圧倒的な支持を受けて大統領選に当選。選挙中に掲げたのはテロ組織の解体や不法な麻薬取引の禁止などウリベ大統領の政策をほぼなぞったものだった。

しかし、いったん大統領に就任すると、サントス氏は前大統領の政策とは一線を画す姿勢を見せた。ウリベ前大統領の治世では関係が悪化していたベネズエラと国交正常化を果たし、前政権の閣僚数人を権力の乱用で追及した。

2012年、大統領は政府とキューバ政権が後押しをするFARCと和平に向けた交渉を行っていることを認めた。

反ウリベを打ち出したサントス氏とウリベ前大統領の関係はぎくしゃくしたものとなり、2014年、サントス氏が2期目の大統領選に立候補すると、ウリベ氏はサントス氏の対立候補への支持を表明した。

FARCと和平合意を取り付けること、コロンビアに平和をもたらすことを公約としたサントス氏は、僅差ながら大統領選で再選を果たした。

今年夏、キューバやノルウェーなどの仲介の下で公式に交渉が開始されてから4年後、サントス大統領はFARCとの和平交渉に成功したと宣言した。9月末、和平合意の署名式はコロンビアのカタルヘナで行われた。「平和」を示す白いシャツ姿が印象的だった、この時、サントス大統領は和平合意は国民投票によって了承されるべき、と述べた。

国民投票はまさかの否決

こうして10月2日に国民投票が行われたのだが、50.2%が反対に票を投じ、否決されてしまった。多くの人が和平合意はFARC側に譲歩しすぎていると感じていた。

暗雲が立ち込めたかのように思えたが、サントス大統領は停戦合意に向けて努力を続けると表明。FARC側も同様の宣言をした矢先のノーベル平和賞受賞のニュースだった。

ノーベル平和賞の選考委員会は「投票した人の過半数が和平合意に反対したが、それが必ずしも和平交渉の終わりを意味しない」と述べ、国民が受け入れられる和平を目指して努力するよう促している。

コロンビア革命軍とは

NHKによると、

「FARC(ファルク)=コロンビア革命軍」は、1960年代半ばに貧富の格差是正などを求めた地方の農民によって結成されましたが、その後、資金獲得のため麻薬組織とつながりを持って活動を先鋭化させ、最盛期には2万人を超えるまでに勢力を拡大したとされ、南米最大の反政府左翼ゲリラと呼ばれていました。FARCは、国内や外国の企業幹部を誘拐して「戦争税」と称して身代金を要求する事件を繰り返し、2001年には、現地に進出していた日本の自動車部品メーカー「矢崎総業」の現地法人、「ヤザキシーメル」の村松治夫副社長(当時53)が首都ボゴタで犯罪グループに誘拐されたあと、FARCに引き渡され、ジャングルの中で2年9か月にわたって拘束された末、殺害されました。

2002年に就任したウリベ前大統領は軍の部隊を積極的に投入してFARCの掃討作戦を展開し、現在のサントス大統領もその強硬路線を継続した結果、FARCの勢力は7000人近くまで減少したとされています。

コロンビア政府の治安部隊は2011年、FARCのアルフォンソ・カーノ最高司令官を殺害し、あとを継いだロンドニョ氏は、翌年に政府との和平交渉を始めました。交渉では、FARCの政治参加や賠償問題、武器の放棄などの議題について協議が重ねられ、ことし8月に内戦を終結させる和平合意がまとまり、先月26日、双方が合意文書に署名しました。

出典:NHKの記事コロンビア 和平合意の賛否問う国民投票進む」(10月2日)

ノーベル平和賞はコロンビアの和平を促進するか?

10月上旬、停戦合意に向けての国民投票が否決されたコロンビア。

サントス大統領のノーベル平和賞受賞は和平交渉を前進させるのだろうか?

コロンビアのロスアンデス大学の教授アンドレイ・ゴメズ・スアレズ氏はBBCの取材に対し、「サントス大統領の和平交渉への支持を間違いなく増大させる」という(7日付、ニュースサイト)。

一方、国民投票で否決運動を支持したウリベ前大統領はサントス氏のノーベル平和賞受賞を祝福したものの、「民主主義に害を及ぼす和平協定を変えるべき」と主張する。

これまで、和平交渉の進展に様々な国際組織や著名人が賛同の意を表明してきた。ローマ教皇、米国、欧州連合、国連、ほかの南米諸国政府だ。

それでも、コロンビアの国民は国民投票で否決を選択した。

「国際社会はここに住んでいない。コロンビアの国民が余儀なくされた苦しみを経験していない」というのはコロンビアの政治家パロマ・バレンシア氏だ(同BBC記事)。

国民投票で否決した人を中心に、先の和平協定はFARCに寛大すぎるという声が大きい例えば、協定によるとFARCは解散し、政党として再出発する。政治家として活動する前に刑務所で罪を補うべきと見る人も多く、52年間の内戦の苦境を国民は忘れていない。

2002年にゲリラ軍に誘拐され、08年に解放された政治家べタンクール氏は国民投票では「賛成」票に身を投じたという(英テレビ局チャンネル4の番組で、10月3日放送)。

司会者に「監禁中に拷問をしたゲリラ軍を許せるか」と聞かれたベタンクール氏は、沈黙の後「難しい質問だ。私の中では許すとはまだ言えない」としながらも、「自分の子供たちや孫のため、コロンビアの将来を考えて賛成票を投じた」と答えた。

ノーベル平和賞受賞でも根っからの否決支持者は意見を変えないかもしれない。

コロンビア政府と革命軍は7日、和平合意の見直しについて協議することで一致したとする声明文を出している。

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊『なぜBBCだけが伝えられるのか 民意、戦争、王室からジャニーズまで』(光文社新書)、既刊中公新書ラクレ『英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱』。本連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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