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コロナ検査1日1000万件の衝撃 ジョンソン英首相の「ムーンショット作戦」は荒唐無稽か

木村正人在英国際ジャーナリスト
記者会見で「ムーンショット作戦」をぶち上げたボリス・ジョンソン英首相(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

14兆円の予算で検査能力を30倍に

[ロンドン発]英医学誌ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル(BMJ)は、新型コロナウイルスの第2波を封じ込めるため検査能力を来年初めまでに1日1000万件に拡大するボリス・ジョンソン首相の「ムーンショット作戦」をスクープしました。

ジョンソン首相が「ムーンショット作戦」をぶち上げたのはコロナの新規感染者数が指数関数的に増え始めたことに加え、欧州連合(EU)離脱後の新協定交渉が決裂寸前になり「合意なき離脱」を改めて主張し出したこととも決して無関係ではないでしょう。

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ムーンショットは、ジョン・F・ケネディ米大統領がアポロ計画について「1960年代が終わる前に月面に人類を着陸させ、無事に地球に帰還させる」と述べたことが語源とされています。それが転じて、未来を見据えて莫大な費用がかかる困難で壮大な挑戦を意味するようになりました。

英政府からスコットランド自治政府のニコラ・スタージョン首相に送られた内部文書や国際コンサルティング会社のプレゼン資料によると、予算は推定で1000億ポンド(約13兆8000億円)以上。検査能力を現在の1日35万件から来年初頭までに30倍の最大1000万件に拡大する計画です。

NHS(国民医療サービス)イングランドの年間予算が1300億ポンド(約17兆9000億円)だけに、成功すれば、まさに「ムーンショット」と言える壮大な計画です。

カギは新技術の唾液検査の拡大

PCR検査だけでなく、最短で20分で結果が出る新しい唾液検査がいかに拡充できるかがカギを握ります。現在は1日25万件のPCR検査と10万件の抗体検査を合わせて35万件の検査を実施する能力があります。実際の実施件数は1日15万~20万件です。

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「ムーンショット作戦」では、陽性が確認された人の濃厚接触者のほか、病院や介護施設、マイノリティー、教師、バス運転手、店員らハイリスク環境で働く人々の定期検査が優先され、感染が拡大する地域の住民全体の繰り返し検査も可能になります。

英製薬会社グラクソ・スミスクラインが検査キットを、同アストラゼネカが検査施設をそれぞれ提供し、英政府から公共サービスを請け負うセルコや英警備保障会社G4Sがロジスティクスや貯蔵を担当。今年12月までに1日300万件の検査を実施することで念書に署名しています。

英政府は職場や娯楽施設、サッカースタジアム、かかりつけ医(GP)、薬局、学校、地域のサイトで検査を実施し、検査を受けやすくする計画です。「デジタル免疫パスポート」を導入し、陰性判定された人が職場に復帰したり、旅行や他の活動に参加したりできるようにします。

BMJが入手したメモによると、ジョンソン首相は大量検査の実施を「最優先事項」と位置づけています。「新型コロナウイルス・ワクチンの大量接種が可能になる前に2度目の全国一斉の都市封鎖(ロックダウン)を回避する唯一の希望」とも述べているそうです。

「近い将来、普通に暮らせるよう陰性者を特定する検査を開始」

ジョンソン首相は9月9日、イングランドでは屋内外問わず集会(会合)を6人までに制限する第2波対策を発表。この中で「10月末までに検査能力を1日50万件に増やすよう努力している」「近い将来、普通に暮らせるように陰性者を特定するための検査を開始したい」と宣言しました。

「どの国でもまだ達成されていない、文字通り毎日何百万件も実施するというはるかに大規模な検査を展開できるようになれば、人々は社会的距離をとる必要がなくなり、より普通の生活を送ることができるようになります」と「ムーンショット作戦」のさわりを説明しました。

ジョンソン首相の計画について、英エジンバラ大学のホセ・バスケス=ボーランド教授(感染症)は次のような課題を指摘します。

「現在の検査&追跡システムは厳格に組織化されたNHSに依存し過ぎており、検査も大規模な集中型ラボで行われています。このため検査のロジスティクスに支障を来たし、地域のニーズや需要に柔軟に対応できていません」

「より的確に大量検査を実施するには、強力な地域の検査能力を伴う広範な公衆衛生的アプローチが求められています。現在の検査で焦点が当てられているのは疑われる症例、症状のある人の確認であり、ほとんどの地域感染は無症状者から起きている点を見落としています」

「ジョンソン首相によって発表された(ワクチンの)代替計画のような無症状者を見つけるための定期的な全員検査を含む大量スクリーニング計画だけが新型コロナウイルスを制御下に保ち、最終的にその根絶につなげることができます」

「この計画は調整されたネットワークにより全国で利用可能なすべての研究室を効果的に動員することによって達成できます」

「検査によるスクリーニングは不可能」

一方、サセックス大学ビジネススクール科学研究政策ユニットのジョシュア・ムーン研究員は次のように述べています。

「ジョンソン首相が指摘した重要なポイントは“将来的には、近い将来、陰性者を特定するための検査を開始したい”ということですが、これは単純に言って不可能です。検査は陽性で自己隔離すべき個人を特定する一方で、陰性の判定はより多くの可能性を意味しています」

「陰性の判定は(1)個人が真に陰性であり感染性がない場合(2)感染していても潜伏期間初期であるためまだ陽性ではない場合(3)綿棒または唾液検査で陽性となる十分なウイルスをとらえ切れていなかった場合が含まれます。最初の場合だけ人は通常通り動き回るようにすべきです」

「大量検査でより多くの人が自己隔離するようになり、現在のようにサポートされないまま放置されるとメンタルヘルスに影響を与えます」

「検査能力に対する英政府の評価が必ずしもそれほど正確ではありません。それを考えると、ムーンショットが単なる理論上の数値ではなく、実現可能であるとどのようにして信頼できるのでしょうか」

「ジョンソン首相はまた“劇場やスポーツ会場は当日すべての観客を検査し、陰性者全員を入場させることができる”と述べました。これもまた誤りであり、陰性の判定は感染性がないことを意味するものではありません。これは学校や職場にも当てはまります」

「このムーンショットはクリスマス前に私たちをある種の通常の状態に戻すと思うかと言えば、そうなることを願っていますが、まだそのようには思いません」

「ムーンショット作戦」は窮余の一策か

ジョンソン首相は9日、イングランドでは屋内外問わず集会(会合)を6人までに制限する第2波対策を発表しています。罰金は最大3200ポンド(約44万円)です。

・集会は9月14日から屋内外問わず6人までに制限。世帯人数が6人を超える場合や職場、学校、チームスポーツは例外。結婚式、葬儀は上限30人

・違反者の罰金は初回100ポンド(約1万3800円)。2回目以降は毎回倍増され、最大3200ポンド

・市民が安全な社会的距離を守っているかどうかを確認するため監視要員を派遣

・大規模イベントやスポーツ観戦の10月1日からの解禁計画は見直し

・地域的な都市封鎖(ローカル・ロックダウン)を実施している地域で店舗の営業時間規制を導入

イングランド北西部ボルトンやスコットランドのグラスゴー、ウェールズのケルフィリーなどでローカル・ロックダウンが導入されています。

新型コロナウイルスの感染爆発が起き、2度目の全国一斉都市封鎖をせざるを得ない状況に追い込まれた場合、イギリス経済は「合意なき離脱」とのダブルパンチで致命傷を負い、ジョンソン政権の信用は地に墜ちてしまうでしょう。

「合意なき離脱」が現実味を増す中で、コロナ検査1日1000万件というジョンソン首相の「ムーンショット作戦」は荒唐無稽というよりダブルパンチを避けるための窮余の一策なのかもしれません。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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