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ビル・クリントンの手は冷たかった  ビールが一緒に飲める大統領とは

津山恵子ジャーナリスト、フォトグラファー
ビル・クリントン。ニューヨークの歩道で、車を降りて、歩行者とセルフィー。

4、5人いたシークレットサービスは、踵を返し、私に背を向けて数歩前に進んでいた。しかし、彼らの間を縫ってビル・クリントンは、私の方に寄ってきて、右手を差し出した。カメラを右手で握っていた私は、とっさに左手を出し、ビルの手に触れたが、その手はすでに数十人の支援者と握手してきたとは思えないくらい、冷たかった。真冬に手袋をしていなくて氷のように冷たくなったような手ではなく、ひやりとした冷たさだった。

友人によると、「感情豊かな人というのは、交感作用が働きやすくアドレナリンが出やすい人」だいう。アドレナリンが出ると心拍数が増え、血管も拡がり、血流も増えるが、このとき、皮膚の表面や手は温かくはならない。汗で気化熱が奪われるからだ。ビルもそうなのかもしれない。

2月から大統領選挙の予備選挙が始まり、過熱気味のメディアの報道にどっぷりつかってきたが、ニューヨークには現場がなかった。しかし、とうとう4月19日の予備選挙投開票日を控えて、候補者がニューヨーク入りし始めた。ビルは、ヒラリー・クリントンの「先陣」だ。ビルと娘のチェルシーは、ヒラリーとは別に、各地に飛んで選挙運動をしている。家族ぐるみの選挙で、これだけとっても、ほかの候補者よりはずっと有利だ。

3月31 日、ビルは、妻ヒラリーのためにニューヨーク入りし、4つの組合団体を回った。サービス従業員国際組合(SEIU、サービス業従業員・公務員)、ニューヨークエリア・ビル・建設協議会(建設業従業員の組合)、米 州・郡・市職員同盟(AFSCME)、ニューヨーク市教員連盟の4つだ。ビルとヒラリーにとってはおなじみの団体だが、「ファイア・アップ(ハッパをかける)」が目的だ。

ビルの手に触れたのは、最初のSEIUの集会だ。選挙集会の演説の終わりには、必ず候補者や目玉の講演者が、ステージから降りてきて、最前列にいた支援者と握手をし、セルフィー(自撮り)に応じる。ビルが、ステージの上手から降りてきて熱狂する組合員と握手を始めたので、私は向かって左の方に移動し撮影しようとしていたら、ステージ下に殺到した人々に押されて一番左端に立っていた。

サービス精神が旺盛なビルは、最後の一人まで握手をしようと、手を差し出したにちがいない。シークレットサービスは、それより前に私のプレスバッジを見ていて、ビルが接近するとは思わず、踵を返していた。

SEIUから建設協議会の建物へと歩いて移動していると、再び、ビルのサービス精神を目撃した。歩道で人だかりが見えたので近づくと、案の定、ビルが会場出入り口までの半ブロックほどを、車から降りて歩き、歩行者と握手・セルフィーに応じていた。歩行者は大喜びだ。

「あ、ビル・クリントンだ!」

と次から次へと集まってくる。

“Thank you, thank you for supporting Hillary”

とビル。会場の入り口に着いても、若い女性などが「きゃあ、写真いいですか?」と近寄ってくる。ビルは、

“Folks, I have to go now. I have to go”

と口では言うものの、足は一歩前に出て、自撮りに応じる。観光客らしき外国人に「どこから来たの?」と聞き、自分で右手を差し出す。彼の顔、手足、肩は、歩道の人だかりから離れたがっていなかった。まるで、公園の出口で「ママが呼んでいるから帰らないと」と言いながら、友達から離れたくない子供のようだった。人々は、彼を「チャーミング(魅力的)」という。こういうことかと思った。

とうとう、ビルはシークレットサービスのジェスチャーに応じて、建物の中に消えていった。

次は、いわゆる「土建屋」の組合であるビル・建設協議会の集会。地区ごとの組合長である、体格ががっしりとして、アイルランド系とイタリア系と思われる顔つきの白人男性が、ぴっちりとスーツを着て会場を埋めていた。手には高そうな腕時計と指輪が光る。アフリカ系やヒスパニック系の若者が多かったSEIUの集会とはかなり異なる。

ビルの紹介に立ったゲイリー・ラバルベラ会長は、参加者たちよりさらに一回り大きい体格の人物で、太い声でこう言った。

「覚えているかい。911のテロが起きたときだ。辛いことが続いた。しかし、ヒラリー上院議員(当時)は、常に我々の隣に立っていてくれた。いいか。彼女は我々を支えてくれた。だから、今度は我々が彼女を支えるんだ」

ビルはこれに答えて、こう言った。

「私は自分の人生で、ヒラリーほど人を気遣い、人との関係を大切にする人物を見たことがない。彼女はしかも、その関係を長く維持する。それは君らも見てきただろう」

ヒラリーといえば、大統領になるのに文句ない経歴と能力の候補者だ。しかし、米国人がよく口にする「一緒にビールを飲みたい大統領か」となると、「ノー」という人物像が問題になっている。ビル、ブッシュ前大統領、オバマ大統領と最近の大統領は「イエス」「イエス」「イエス」だ。

その人物像を否定するために、ビルやチェルシーは、ヒラリーとは別行動で「ファイア・アップ」を繰り広げている。

ヒラリーの集会は、スーパーチューズデー(3月1日)の前日2月29日に、激選区マサチューセッツ州のボストンで取材した。演説は、分かりやすく、自信に満ち、言語は明快で、有無を言わせないものだった。しかし、抑揚は機械的で、ビルやオバマの演説のように胸の奥をくすぐるような感動や魅力はなかった。

私は投票権は持たない。しかし、もしビルとヒラリーとどちらにリーダーになってもらいたいかといえば、ビルだろう。手は冷たかったが、体中から「チャーム」を発し、有権者に近寄ってくるビル。もしかしたら、それも身についたプロ根性かもしれないが、リーダーも有権者も生身の人間だ。米国人が「ビールを飲みたい」首脳を選びたいという意味がよく分かった気がする。

ジャーナリスト、フォトグラファー

ニューヨーク在住ジャーナリスト。「アエラ」「ビジネスインサイダー・ジャパン」などに、米社会、経済について幅広く執筆。近著は「現代アメリカ政治とメディア」(共著、東洋経済新報 https://amzn.to/2ZtmSe0)、「教育超格差大国アメリカ」(扶桑社 amzn.to/1qpCAWj )、など。2014年より、海外に住んで長崎からの平和のメッセージを伝える長崎平和特派員。元共同通信社記者。

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