卓球王国・中国には絶対にない早田ひなだけにある「無色透明」の強みとは
先月行われた全日本卓球で、混合ダブルス、女子ダブルスの2冠に輝き、女子シングルスでも準優勝となった早田ひな(日本生命)。昨年11月に行われた世界卓球では、女子ダブルス準決勝で銭天一/陳夢(中国)を破って銀メダルを獲得(決勝では中国ペアに惜敗)し、今や中国もマークせざるを得ない存在となっている。卓球王国が警戒する早田の強さとは一体どこにあるのだろうか。
卓球も性格も癖がない早田
早田の卓球は現代卓球の王道とも言えるスタイルだ。伊藤美誠(スターツ)のような変幻自在のバックハンドや、平野美宇(日本生命)のような異常にタイミングの速いカウンターバックハンドといった際立った特徴を持たず、フォアハンドもバックハンドも標準的な位置で標準的なフォームで振り抜く。
それは中国と同じ卓球である。早田は、中国と同じ土俵で真っ向勝負するという、困難ではあるが成功すれば持続性の高い卓球に挑戦している。奇しくも同じ左腕選手である石川佳純(木下グループ)と同じ路線だ。
そして、この点も石川と共通してくるが、早田には性格的にも癖がない。性格といっても、試合の様子やメディアでの発言から窺われる範囲での話であり、プライベートではどうかわからない。ただ、トップ選手、それも中国に迫るほどの選手ともなれば、外面的にも一癖も二癖もあるのが普通だ。
ことあるごとに打倒中国を口にし、「誰にも負けたくない」と強気の姿勢を崩さない伊藤、2017年の世界選手権で48年ぶりの女子シングルス銅メダルを獲った直後に「アイドルが大好きなので48(フォーティーエイト)で嬉しいです」とコメントし、独自の世界を持つ平野。
こうしたライバルたちの強烈な個性に対して、早田にはプレーにもコメントにも癖らしい癖がない。あえて言えば、ダブルスのときにパートナーとサインのやりとりをする間、対戦相手に「待った」をかけるために右手を上げる癖ぐらいだ。そんなことをせずとも急かす相手などいないのだが、早田は長い右腕を高々と上げたままサインのやりとりをする。相手を待たせることが申し訳ないという気遣いともとれるし、時間を確保するための毅然とした権利主張ともとれる。
こんなどうでもよいことを書いたのも、これぐらいしか早田には癖らしい癖が見当たらないからだ。
黄金世代の中では遅咲きだった早田
早田は、2000年に福岡県北九州市に生まれた。両親とも卓球は未経験者だったが、4歳のときに姉の影響で地元の名門クラブ「石田卓球クラブ」で卓球を始めた。後に黄金世代と言われるようになる同学年の平野、伊藤と卓球を始めた時期は大差ない。しかし、彼女らがそれぞれ小学1年、2年のときに小学生の全国大会(2年生以下、4年生以下、6年生以下の3種目に分かれている)で全国優勝したのに対して、早田が頭角を現すのは若干遅く、小学4年で3位、6年で2位となり、初めて優勝したのは中学1年のときの全国中学校大会だった。
早田が頭角を現すのが少し遅かったのは、「ドライブ」という打法を中心とするプレースタイルが関係している。ドライブは、比較的スイングが大きく、スピードより回転を重視する打法であるため、体格も筋力も十分ではない小学生では、十分な体勢で打つ機会が少なく、打ったとしても得点になりにくい。そのため、動きが小さくスピード重視であるスマッシュを多用したり、巧妙なサービスに力を入れたりする選手の方が勝ちやすい傾向がある。
しかし、大きな身体や筋力がある選手にとっては、ドライブこそは、速いボールを安全に入れることができる理想的な打法であり、それ故に、男子選手全般および中国の女子選手のほとんどがドライブ主戦なのである。
こうした一般的な傾向がある中で、早田は体格に恵まれていたため、小学生のときに勝ちにくくても、将来、身長が伸びたときに大成するスタイルを選択したものと考えられる。そして何よりも、そうした正統派とも言える卓球は、早田の「思い込んだら一直線」的な真っ直ぐな性格に合っていたのだろう。
東京五輪で観客席から声援を送り続けた早田
昨年の東京五輪で、早田は早々に代表レースから脱落し、リザーブ選手(代表が欠場した場合の予備の選手)として、選手である石川、伊藤、平野をサポートする側に回った。同じチームジャパンとはいえ、卓球は基本的には個人競技である。同じチームに所属していてさえ、いや、それだからこそ自分が出られなかった試合のチームメイトの活躍は素直に応援できないのが普通である。チームにとって、あるいはチームを愛する第3者から見れば良いことではないかもしれないが、そう感じることは抑えられない。
そうした心理はときには発奮の材料にもなる。2016年のリオ五輪でリザーブ選手となった平野が、観客席の暗がりの中で、スポットライトを浴びる伊藤の活躍を見て悔しさを噛みしめたからこそ、その後の大躍進があったのだ。他のどんなことでも競争があるところには同じような心理があるだろう。卓球のトップ選手とて例外ではない。
ところが早田には、そうした心理がまったく見られない。あるのかもしれないが表に出てこない。東京五輪の混合ダブルス決勝で、観客席にいた早田は、そこまでする必要はないのに両手を口にあてて「美誠、入る入る!」「強気強気!」などと誰よりも大きな声を張り上げて声援を送り続けた。無観客だったこともあり、その声はテレビ放送でもはっきり聞き取れるほどだった。見事、金メダルを獲ったときには、人目も憚らずに涙を流した。
「無色透明」の自我
今大会で、伊藤にシングルス決勝で敗れた後の会見で早田は「伊藤選手に負けてこんなに悔しい気持ちを持てるようになったということは自分に自信がでてきたからこそだと思う」と語った。裏を返せば、これまでは伊藤に負けてもさほど悔しく思わなかった、思えなかったということだ。長く伊藤に後塵を拝していたとはいえ、2年前の全日本で早田は準決勝で伊藤を破って優勝している。強烈な自我を持つ人間なら「伊藤と肩を並べた」と思うのが普通だろう。しかし早田はそういうモードには入らない。会見で2年前のその勝利について聞かれた早田は「あのときはとにかく思い切ってやるだけだった」と、まるで、あの試合は参考にならないとでも言わんばかりだった。
かといって、早田は謙遜しているわけでもない。自らのフォアハンドドライブについては「世界でも通用すると思います」「フルスイングしたときには相手の選手が取れないぐらいの威力があります」と表情も変えずに語る。自慢も謙遜もなく、ただただ思った通りのことを語るだけだ。
物事の判断基準が常に自分の内部にあり、他人との比較や、他人からどう思われるかといったことが眼中にないのだ。その意味ではモンスター級の強烈な自我の持ち主とも言えるが、普通の人間があれこれ思いわずらうような心理領域には自我がないために、それがまるで「無色透明の自我」とでも形容したくなる印象を与えるのだ。
卓球の試合に必要なのはリラックス
このような早田の資質は、卓球の試合ではプラスに働く。試合で必要な精神状態とは、一般に言われるような「勝ちたい気持ち」ではない。それと対極にあるリラックスだ。勝ちたい気持ちが強いほど緊張し、その緊張が敗戦を招く。緊張が判断を狂わし、何十万回も繰り返してきたはずの動作を狂わし、強張った筋肉が反応とスイングを遅くする。勝ちたいときほど勝てないのが卓球なのだ。
そのためにかつての選手たちは心の置きどころを工夫してきた。元世界チャンピオンの長谷川信彦は「相手を尊敬して戦う」「人事を尽くして天命を待つ(人間がやれることはすべてやり結果は天に任せる)」を旨としていた。いずれも、前向きな気持ちとリラックスすることを両立するための工夫だ。「無心で戦う」「試合を楽しむ」なども同じ目的だろうし、「集中する」も結果ではなく眼前のプレーそのものに集中するということだ。しかし、そう思おうとしても実行することは難しい。
早田は試合では闘志を剥き出しにして他の選手以上に声を出す。誰よりも勝敗にこだわっているようにさえ見える。しかし早田の集中力は、試合の結果にとらわれ過ぎずにプレーそのものに向けられる。それは、早田が今大会期間中の会見で5回に渡って口にした「自分の卓球」というフレーズにも表れている。早田にとっては自分が考える理想のプレーをすることが何より重要なのだ。勝敗は結果に過ぎない。そうした割り切りがリラックスを生み、早田の伸び伸びとした力強いプレーを可能にしていると考えられる。
実際、早田ほど試合中に笑顔を見せる選手はいない。伊藤も不敵な笑みを浮かべることはあるが、それはリラックスするために意識して口角を上げているのであり、笑いたくて笑っているのではない。しかし、早田がダブルスの試合中に見せる笑顔はどう見ても本心からのものであり、リラックスしていなければ出るものではない。
早田の卓球の隠れた強み「無心のプレー」
かつて数えきれないほどの選手たちが、勝って当たり前の相手に緊張のために負けてきた。数えきれないほどの選手たちが、マッチポイントを握った途端に勝ちを意識して硬くなって、あるいは守りに入って逆転負けしてきた。そのような、結果にまつわる雑念から早田はもっとも遠いところにいる。芯には勝ちたいという強烈な意志がありながらも、プレーに関しては無心に近い。
それは、早田の卓球の隠れた強みであり、いわば無我の強さ、無色透明の強さだ。そしてそれは、どんなことがあっても絶対に勝たなくてはならないという凄まじいプレッシャーの中で戦う中国選手たちが決して持ち得ない強みでもある。その強みを背景に、中国選手並みの王道の卓球を身につけたとき、早田ひなは彼女らにとって最大の脅威となるだろう。
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