PC遠隔操作事件を巡る自己検証
「ブツを見ているとクロに見え、ヒトを見るとシロっぽく見えてくる。今の時点ではよく分からないから、しばらく見てみないと」――遠隔操作事件の裁判の行方について聞かれると、私はよくこう答えていました。
「ブツ」というのは、公判廷で示される検察側の証拠のことで、それを説明する証言も含みます。裁判を傍聴して、そうした証拠・証言を見聞きしていると、「これはクロではないか」という心証が強くなりました。ただ、被告人のPCハードディスクなどについては、弁護側の解析が行われている最中であり、反対尋問も行われていないので、その結果を見ないと、シロクロに関してはなんともいえない、と考えました。
一方、「ヒト」とは、片山祐輔被告のことです。彼の話を聞いていると、巧妙なウソをつける人のようには見えませんでした。感情表現が淡泊すぎて、無実を訴える言葉に熱が籠もっていないなど、気になる点はありましたが、それは個性の範疇だろうし、それゆえに人に理解されにくいのかもしれない、と受け止めました。でも、だからといって積極的にシロと確信できるわけでもなく、結局のところ、シロかクロの判断は置いて、推定無罪の原則にできるだけ忠実に裁判を見ていこう、と考えました。もし冤罪であった場合に、できるだけその被害を小さくしなければ、という思いもありました。
足りなかった”人を見る目”
こうなった今でも、「ブツ」についての受け止めや、シロクロの予断を持たずに裁判を見ていこうという対応は間違っていなかったと考えています。ただ、「ヒト」を見る目は、明らかに足りませんでした。無実を訴えている人への同情のような思いもあり、そうしたことはいずれ裁判の被告人質問でなされるだろうという気持ちもあって、私自身は追及的な問いはしていませんでした。そういう私の態度も、彼が世の中に対してウソをつくことに自信を持つ一因になったのかもしれません。その点では、自分の甘さを悔やんでいるところです。
私がやりたかったこと
私が、Yahoo!ニュース(個人)で、この事件について連続して書いていこうと思ったのは、昨年2月19日に掲載した佐藤博史弁護士へのインタビューを多くの方が読んで下さったことがきっかけでした。
1)情報のバランスを是正したい
マスメディアでは、弁護人の話はほとんど伝えられず、捜査機関からの情報を元にした、捜査側の視点での報道が大々的になされていました。捜査・公判での問題点や弁護側の視点での情報を伝えることで、あまりに捜査側に偏っている世間での情報のバランスが、少しでも変わればいい、と思いました。そうして、少しでも多くの人々が、「シロかクロかについては分からない」というニュートラルな状態で裁判を見守るようにしたい、というのが私がやりたかったことの1つ目です。
世の中の情報の受け手は、この事件について、大量のマスメディア情報に接していることを前提に、マスメディアが報じない事柄や視点を伝えるということを考えていたので、自分の記事の中でバランスをとる、ということは意識していませんでした。そのことの是非は、考え中です。
2)できるだけ迅速に、同時進行で
ネットは個人でも迅速な情報伝達が可能であることから、個人で追える限りの情報を、できるだけ迅速に伝えることもやってみようと思いました。
これまで、私はいくつもの冤罪事件について書いてきましたが、その場合は取材を尽くして、自分なりに事件の全体像を理解したうえで書く、という通常のやり方でした。今回は、それを同時進行でやってみようという試みでした。IT関係についてはまるで素人で、事件の全体像が分からないので、間違うこともあるかもしれないけれど、読んだ方からの指摘もダイレクトにいただけるので、間違っていれば新たに分かったことを伝えて修正をしていく。そういうやり方を試してみようと思ったのです。
実際、私の書いたことが違っている、というご指摘をいただき、その続報で修正したこともありました。その一方で、片山被告の人物像について、十分に把握できないまま伝えることになってしまった点は、反省点の1つです。
「違う視点」が大事
公判が始まってからは、傍聴メモを公開する形で、できるだけ法廷の中で行われたことをそのまま伝えるようにしました。というのは、マスメディアは初公判での認否を伝えただけで、その後の審理の内容はまったく報じていなかったからです。正確を期するために、専門家のご協力をいただき、専門用語のチェックをしていただいたほか、弁護団とは全く違う視点もアドバイスいただきながらの作業でした。このアドバイスはとてもありがたく、「違う視点」の大切さを感じました。こういう「違う視点」での専門的な助言を早い段階から、もっと積極的に求めるべきだった、とも考えています。
公判段階では、私のコメントと傍聴メモの部分は厳格に分けるようにしました。一度、傍聴メモの間に、私のコメントをはさんだ時には、読者から「メモは最後まで私見をさしはさまずに紹介して欲しい」という趣旨の意見をいただき、その次は改めるというように、やり方を模索しながらの、まさに試行錯誤でした。
このようにして、Yahoo!(個人)にアップしたPC遠隔操作事件での記事は33本ほど(うち2本は、ラストメッセージ全文)になります。その中にはよかったものも、よくなかったものもあると思います。この自己検証とは別に、第三者からの検証的ご意見をいただくことにしていますし、今回のケースをきちんと今後も見続けていくことで、どういう点が自分には欠けていたのかを考え、それを補っていく努力をしていくつもりです。
「怪しい」人の人権を守る
ところで、こういう事態になって「彼は最初から、見るからに怪しかった。そんなことも分からなかったのか」と言ってくる方が少なくありません。これについては返答のしようがありません。すでに冤罪だと判明しているケースでも、かつては「見るからに怪しい」とされてきた方たちがたくさんいます。たとえば、布川事件に巻き込まれ、29年もの獄中生活を送った2人は、今でこそ、明るくてユーモアの精神に富んだ素敵なおじさんたちですが、逮捕当時はいわゆる素行不良の若者で、「見るからに怪しい」とされていました。袴田事件の袴田巌さんも、捜査段階では「まれにみる残忍な二重人格者」(1966年9月7日付毎日新聞静岡版)などと書かれていました。この2事件に限らず、冤罪被害者の多くは、当初は「見るからに怪しい」とされていていたのではないでしょうか。よく知っている人が「事件に関与するなどありえない」と口をそろえる村木厚子さんですら、本人を知らずに、新聞などを見ただけの人たちからは、「また高級官僚が…」と怪しまれていたのです。
「見るからに怪しい」人たちの中には、知的障害や精神障害、あるいは発達障害などのために、弁明がうまくできなかったり、あるいは理解されにくかったりする人たちも含まれているでしょう。「見るからに怪しい」人の人権が、きちんと守られないと、その中に含まれている、無実の人の人権は、とうてい守られないと思います。
今回のことで、「十人の真犯人を逃すとも、一人の無辜(むこ)を罰するなかれ」が原則であるべき裁判が、「十人の無辜を罰するとも、一人の真犯人を逃すなかれ」となってしまわないよう、今まで以上に司法のありようを注意深く見ていく必要性を感じています。
これから
片山被告が一連の犯行を告白したことで、捜査や報道についての問題は、一切ご破算であるかのような風潮には、かなり違和感を感じています。たとえば、今回の”真犯人メール”について、片山被告が送ったものと見破った捜査員には大きな賛辞を送りたいですが、その後の情報管理は、大変問題でした。警察が片山被告の所在も確認していない状況なのに、報道機関に次々に情報が漏れ、それが彼の逃走を招いたからです。もしパニックになった彼の命が、事故や自殺で失われていたら、本当に大変な事態になるところでした。弁護士の懸命の説得が功を奏したからよかったものの、捜査機関の情報管理という点では、逮捕の時点から再度の身柄拘束に至るまで、検証と反省を迫らなければなりません。ただ、マスメディアはこのような点については、ほとんど眼を向けません。マスメディアが報じないことを、こういうネットメディアで伝え、情報の欠落を補ったり、世の中の情報のバランスを整える努力をしていくことは、これからも必要でしょう。
この事件は、サイバー犯罪という新しい事象を裁く裁判から、片山祐輔という今を生きる1人の青年の心の問題を問う事件になりました。これが彼特有の問題なのか、そうでないのかも含めて、真相に近づいていくためには、ますます多様な視点が必要になっていると思います。私も自分なりの視点で今後もこの事件を見ていき、折々で、またご報告もしたいと思っています。