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森友学園事件と安倍氏国葬

赤澤竜也作家 編集者
政府が公文書改ざんを認めると官邸前に抗議の群衆が殺到した(2018年3月16日)(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

なぜ真実は明らかにならなかったのか?

「とにかく真実が知りたい。ただそれだけです」

9月16日、多くの報道陣に対し、赤木雅子さんはこう話した。

この日、雅子さんや川内博史前衆議院議員、辻惠弁護士らは、佐川宣寿元国税庁長官ら3人を東京地検特捜部に刑事告発する。その後に行われた記者会見の席上でのことだった。

財務省に公文書改ざんを強要され、自死に追い込まれた近畿財務局職員・赤木俊夫さんは彼女の亡夫である。

「国に対する訴訟が認諾されてしまい、もう手立てはないのかと思っていたら、川内博史さんが声をかけてくれ、嬉しかった。特捜部は告発状を受理してちゃんと捜査をしてほしい」と語る赤木雅子さん(筆者撮影)
「国に対する訴訟が認諾されてしまい、もう手立てはないのかと思っていたら、川内博史さんが声をかけてくれ、嬉しかった。特捜部は告発状を受理してちゃんと捜査をしてほしい」と語る赤木雅子さん(筆者撮影)

「真実が知りたい」とは、真実がわかっていないからである。

では、なにがわかっていないのか。

赤木俊夫さんに改ざんの直接指示をしたのは財務省理財局国有財産審理室の杉田課長補佐であることはわかっている。現場の人間に指示をし、実際に改ざん行為を強要せしめた実行犯の元締めは、今回の告発されたなかにも名を連ねている財務省理財局の中村稔総務課長と田村嘉啓国有財産審理室長だったことも財務省は認めている。(以下、肩書きはすべて当時のものを使用)。

現場でやった人間はわかっているのだが、首謀者が誰なのかがわからない。

改ざん当時、理財局のトップだった佐川氏が結果的に辞めているものの、「私が首謀者です」とは認めていない。それどころか、公文書改ざん事件で刑事告発され、大阪地検特捜部の取り調べを受けた際には、「部下に指示はしていない」と答えているのである。(2019年3月29日、大阪第一検察審査会が審査申立人である上脇博之神戸学院大学教授に交付した議決要旨による)

いつ、どこで、改ざん行為の実行が決まったかもわかっていない。

財務省は2018年6月4日、「森友学園案件に係る決裁文書改ざん等に関する調査報告書」なる文書を公表した。ところが、どう読んでも、「誰が、いつ、どこで、どのようにして」改ざん行為を決めたのかまったく書かれていない。「なんとなーく、気づいたら改ざんしちゃってました」という内容の、まともに調べたとは思えないほど悪質極まりない「調査報告書」なのである。

東日本大震災発生後の2011年4月25日から29日まで、赤木俊夫さんは支援のため宮城県七ヶ浜町役場へ派遣された(右)。被災者の話を聞き、罹災証明発行のなどの業務を行う。(赤木雅子さん提供)
東日本大震災発生後の2011年4月25日から29日まで、赤木俊夫さんは支援のため宮城県七ヶ浜町役場へ派遣された(右)。被災者の話を聞き、罹災証明発行のなどの業務を行う。(赤木雅子さん提供)

赤木俊夫さんはワープロ書き7枚の手記を残していた。「財務省は前代未聞の虚偽を貫く」として改ざん行為の実態を細かく明記したうえ、「この事実を知り、抵抗したとはいえ関わった者としての責任をどう取るか、ずっと考えてきました。事実を、公的な場所でしっかりと説明することができません。今の健康状態と体力ではこの方法をとるしかありませんでした」と記し、命を絶った。

現場の人間が命をかけて抗議したにもかかわらず、財務省はなんら真相を明かさなかった。

赤木雅子さんは「夫がなぜ死を選ばざるを得なかったのか。なぜ財務省は公文書の改ざんという大それたことをしでかしたのか。どういう命令過程を経て、俊夫さんのところまで指示が届いたのかという死の全体像を知りたい」と言っているのである。

なぜ真実は解明できていないのか?

安倍晋三首相がみずからの政権下で起こった大スキャンダルの追及にフタをしたからである。彼は各方面からの再調査の要望をかたくなに黙殺し続けた。

今回の刑事告発はどのようなものなのか?

存在するにもかかわらず、ないとして「不開示」を決めた際の決裁文書。佐川宣寿理財局長、中村稔総務課長、田村嘉啓国有財産審理室長の判はつかれているが、主管課長の部分は空欄になっている(川内博史氏提供)
存在するにもかかわらず、ないとして「不開示」を決めた際の決裁文書。佐川宣寿理財局長、中村稔総務課長、田村嘉啓国有財産審理室長の判はつかれているが、主管課長の部分は空欄になっている(川内博史氏提供)

本題へ入る前に、今回の刑事告発について触れておきたい。

豊中の国有地の不当廉売疑惑が浮上したのは2017年2月初旬のことだった。払い下げを受けた森友学園の名誉校長がときの安倍首相の夫人である安倍昭恵氏だったこともあり、森友学園と財務省職員、近畿財務局職員との応接記録の開示を求める情報公開請求が数多くなされたのだが、財務省は不開示決定を連発しており、その理由として「開示請求のあった上記行政文書について、財務省において文書の保有が確認できなかったため」と記していた。

翌年3月2日、朝日新聞が「財務省による公文書改ざん」について報道すると、9日に佐川宣寿元国税庁長官が辞任、12日、財務省は改ざんの事実を認めるに至る。そして5月23日、ないとされていた応接録217件が開示された。

「文書の保有が確認できなかった」ため「不開示」と言っていたものがあったのだ。

今回の告発人である川内博史前衆議院議員は2021年12月28日、情報公開制度を使ってこれら開示請求に関する財務省理財局内部での決裁文書を落手。すると奇妙な事実が判明した。

本来、決裁しなければならない理財局国有財産業務課長である名瀬光司氏の出勤簿。上記の決裁文書の決裁日である3月30日も出勤していることがわかる(川内博史氏提供)
本来、決裁しなければならない理財局国有財産業務課長である名瀬光司氏の出勤簿。上記の決裁文書の決裁日である3月30日も出勤していることがわかる(川内博史氏提供)

開示されたすべての決裁文書において、文書管理者であり主管課長である明瀬光司・理財局国有財産業務課長の捺印がなされていなかったのである。では、明瀬氏は決裁日に欠勤していたのか? そうではなかった。これらの期間の決裁がなされていた日、明神氏は財務省に出て来ていたことが出勤簿から明らかなのである。

開示請求についての決裁文書に佐川宣寿理財局長、中村稔総務課長、田村嘉啓国有財産審理室長の決済印は押されている。のちに改ざん行為に重要な役割を担ったと認定されている3人が主管課長を押しのけて稟議を通したということは、応接録の隠蔽を意図的に行ったことの証左であり、この開示請求についての決裁文書の作成および同行使もまた、知っていながらウソの公文書を作成した意図的な行為であることは明白だ。

よって有印虚偽公文書作成・同行使罪で刑事告発したのである。

安倍晋三氏は森友学園事件とどう関わっていたのか?

2015年9月5日、塚本幼稚園の講堂で「瑞穂の國記念小學院を語る」というタイトルの講演を行う安倍昭恵氏。2014年4月25日、同年12月6日に続いて3度目の来園だった(関係者提供)
2015年9月5日、塚本幼稚園の講堂で「瑞穂の國記念小學院を語る」というタイトルの講演を行う安倍昭恵氏。2014年4月25日、同年12月6日に続いて3度目の来園だった(関係者提供)

森友学園事件は国有地の8億円値引きに関する疑惑と財務省の公文書改ざん問題のふたつにわけられる。

双方ともにいまのところ安倍晋三氏が直接関わった形跡はない。彼が8億円を引いて森友学園に廉売するよう指示したことを示す書類や証言はなく、公文書を改ざんしろと命じたという可能性も報道されたことはない。

では、なぜ森友学園事件が安倍氏の疑惑として語られるのか?

カギとなるのは安倍氏の夫人・安倍昭恵氏の存在である。2014年4月28日、森友学園の理事長だった籠池泰典氏は近畿事務局にて諄子夫人、安倍昭恵氏のスリーショット写真を担当者に提示。それまでけんもほろろな対応をされていたのが一転、学校建設が前に進み出すことになる。

事件報道が始まってからほぼ1週間後となる2017年2月17日。衆議院予算委員会において、福島伸亨議員の追及に対し、安倍氏は「私や妻がこの認可あるいは国有地払い下げに、もちろん事務所も含めて、一切かかわっていないということは明確にさせていただきたいと思います。もしかかわっていたのであれば、これはもう私は総理大臣をやめるということでありますから、それははっきりと申し上げたい」と発言し、森友学園事件の政治問題化に拍車がかかった。

豊中の国有地で撮られた籠池夫妻と昭恵夫人のスリーショット。撮影直後の2014年4月28日、籠池泰典氏が近畿財務局の統括国有財産管理官に示したことで、森友学園への土地の賃貸しが動き出した(関係者提供)
豊中の国有地で撮られた籠池夫妻と昭恵夫人のスリーショット。撮影直後の2014年4月28日、籠池泰典氏が近畿財務局の統括国有財産管理官に示したことで、森友学園への土地の賃貸しが動き出した(関係者提供)

「私が関わっていたら」ではない。「私や妻が関わっていたら」なのである。

応接録だけでなく決裁文書にまで安倍昭恵氏の名前がじゃんじゃん出ていることを知っている理財局の幹部はほどなく応接録破棄、決裁文書改ざんに手を染めることになる。赤木俊夫さんが初めて改ざんを命じられたのは2月26日のことだった。

2017年3月23日に行われた参議院の証人喚問の冒頭陳述で、籠池氏は「平成27年11月17日に内閣総理夫人付(秘書)の谷査恵子さんという方からいただいたファックスでは、大変恐縮ながら現状では希望に沿うことはできない、なお、本件は昭恵夫人にもすでに報告させていただいておりますというお言葉をいただきました」と述べ、財務省に対する土地の賃借料値引き交渉において、安倍昭恵氏が口利きをしていたことを明かす。

当初、国から借りて学校を建設する予定だったのだが、ほどなく払い下げられることになったわけで、私=安倍晋三氏は関わっていなかったが、妻=安倍昭恵氏はメッチャ関わっていた。安倍氏の2月17日の「私や妻が」発言が公文書改ざんの引き金になったことは間違いない。

文書改ざんは首相官邸の指示だったのか?

現時点で、安倍晋三氏が改ざんに直接関わったという形跡がないことはお伝えしたが、安倍官邸については深くかかわっていたのではないかとうかがわせる状況証拠がある。まず谷査恵子氏の所属は内閣総理大臣官邸で、出身母体は当時、官邸を仕切っていた今井尚哉秘書官と同じ経産省。つまり官邸は昭恵氏の動向をつねに把握しており、彼女が森友学園の小学校建設に深く関与していることを誰よりも早く知り得る立場だった。

谷氏の当時の名刺の肩書きは「内閣総理大臣夫人付」。第二次安倍政権になってから、それまで非常勤1人だった内閣総理大臣夫人付の秘書が、経産省出身の常勤2人、非常勤3人の合計5人に激増していた(関係者提供)
谷氏の当時の名刺の肩書きは「内閣総理大臣夫人付」。第二次安倍政権になってから、それまで非常勤1人だった内閣総理大臣夫人付の秘書が、経産省出身の常勤2人、非常勤3人の合計5人に激増していた(関係者提供)

また2017年2月22日、官邸で森友学園事件についての協議が行われた。参加者は菅義偉官房長官、財務省から佐川宣寿理財局長、中村稔総務課長ら、国交省の幹部2人、寺岡光博官房長官秘書官。夕刻に行われたのだが、よほど話し合わなければならないことが多かったのか、夜に再度、議員会館にある菅官房長官の事務所で協議は続いた。なにを話したのかはわからない。

しかし翌23日に安倍晋三事務所の初村秘書から籠池氏に対して「瑞穂の國記念小學院のHPから昭恵夫人の写真を外せ」とほぼ命令に近い電話があったこと、2月24日から佐川宣寿理財局長の国会での虚偽答弁が始まったこと、そして2月26日の日曜日から改ざんがスタートしたことなどを考えると、2月22日の官房長官会議で「なにかがあった」ことは確実だ。

財務省による改ざん調査報告書は2月17日に安倍晋三首相が「私や妻が」と言ってから改ざんが始まる2月26日の時系列をあえてぼかして書いている。2月22日に触れられたくないことだけは伝わってくる内容だった。

安倍晋三氏と森友学園事件との関わり合いとはなんだったのか考えてみると、つまるところ、彼と彼の妻が原因を作り、引き起こしてしまった事件だったのである。このふたりがいなければなにも起こっておらず、ひとが一人死ぬこともなかった。安倍夫妻は原点なのである。

そして側近の関与が何度も取り沙汰された。

だからこそトップとしての説明責任が問われたのだ。彼はそれを果たさぬまま逝ってしまった。

2022年9月8日、安倍元首相の国葬をめぐり国会の閉会中審査で質問に答える岸田文雄首相。野党側は旧統一教会と安倍氏との関係を調査するよう求めたが、岸田首相は「実態把握には限界がある」と受け付けなかった
2022年9月8日、安倍元首相の国葬をめぐり国会の閉会中審査で質問に答える岸田文雄首相。野党側は旧統一教会と安倍氏との関係を調査するよう求めたが、岸田首相は「実態把握には限界がある」と受け付けなかった写真:つのだよしお/アフロ

安倍晋三氏が壊したものはなんだったのか?

安倍政治とはなんだったのか。いろいろな切り口があると思うが、言葉を大切にしない政治であったことだけは断言できるだろう。

国家は言葉でできている。

憲法、法令、統計、決裁文書、国会での質疑といった公的な言葉に信頼感があるからこそ、国民は投票に行き、納税する。政治家や公務員、法曹関係者、マスコミといった公に近い人たちはそんな言葉を守るため日々戦っている。

しかし安倍晋三元首相は官邸主導の名のもと、官庁幹部を人事で支配する恐怖政治を行ったがため、「文書を改ざんする」「あったものを捨てる」というようなことが当たり前のようになされる国になってしまった。

森友学園事件だけでなく、加計学園事件、桜を見る会疑惑、アベノマスク配布事業、黒川弘務東京高検検事長の勤務延長問題、そのすべてにおいて、あるはずの書類が見当たらない。

安倍晋三氏はこの国の文書主義を壊してしまった。そして言葉で人を動かすのが仕事であるはずなのに、そのためのもっとも大切な国権の最高機関たる国会も開かなかった。

そんな安倍晋三氏の国葬を岸田文雄首相は「国会に諮ることなく」決めてしまった。長い在位期間のなかで功績も多々あったろう。ただ、強権的な手法を苦々しく思う人びとも少なくなかったため、国葬そのものが国民を分断する結果となってしまっている。

2021年10月、赤木雅子さんは岸田文雄首相に対し、公文書改ざん事件の再調査を求める手紙を送付した。衆議院本会議の代表質問でこの手紙について問われた岸田首相は、「民事訴訟で原告と被告の立場にあり、返事は慎重に対応したい。裁判の過程でまずは裁判所の訴訟指揮に従い、丁寧に対応するよう財務省に指示した」と語った。

2ヵ月後に国はこの訴訟を「認諾」したため、原告被告の立場ではなくなったのだが、この手紙に対する岸田首相からの返事はいまだに届いていない。

安倍政治をただ単に顕彰するだけでなく、公文書改ざん事件の再調査をはじめ、安倍政権からの積み残しとなっているさまざま未解決疑惑の解明に力を尽くすことこそ、独断で国葬を決めた男の責務である。

作家 編集者

大阪府出身。慶應義塾大学文学部卒業後、公益法人勤務、進学塾講師、信用金庫営業マン、飲食店経営、トラック運転手、週刊誌記者などに従事。著書としてノンフィクションに「国策不捜査『森友事件』の全貌」(文藝春秋・籠池泰典氏との共著)「銀行員だった父と偽装請負だった僕」(ダイヤモンド社)、「内川家。」(飛鳥新社)、「サッカー日本代表の少年時代」(PHP研究所・共著)、小説では「吹部!」「白球ガールズ」「まぁちんぐ! 吹部!#2」(KADOKAWA)など。編集者として山岸忍氏の「負けへんで! 東証一部上場企業社長VS地検特捜部」(文藝春秋)の企画・構成を担当。日本文藝家協会会員。

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