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世界バドミントンに全力注ぐ、高橋沙也加「五輪のような気持ちで、最低でもメダル」

平野貴也スポーツライター
8月に東京で開催される世界選手権は、高橋沙也加にとってキャリアの集大成の場となる(写真:ムツ・カワモリ/アフロ)

 2度のけがに苦しんだベテランが、自国開催の大舞台に燃えている。バドミントン日本代表、女子シングルスの高橋沙也加(BIPROGY)は「日本で開催されるというのが、特別。最低でもメダルを取れるように。世界選手権で結果を出すために、今までやってきている。(20年に患った)腰のヘルニアから復帰したのも、この大会があるからという思いだった」と8月に東京体育館で行われる世界バドミントン選手権にかける思いを語った。

 169センチの長身を生かして高い打点から打ち下ろす左の強打が武器。5月に行われた女子団体ユーバー杯では、2大会連続で主将を務めてチームの銅メダル獲得に貢献。最新の世界ランクは、13位(6月10日時点)と健在だが、7月に30歳の誕生日を迎える高橋は「まだ分からないけど、日本のファンの方に見てもらえるのは、最後になるかもしれない」と夏の大一番をキャリアの集大成の場と捉えている。

東京五輪に出場できず、現役引退も考えた

 これまでに様々な経験をしてきた。女子ダブルスで活躍する姉の礼華ととともに2016年リオデジャネイロ五輪の出場を目指していたが、前年の15年に右ひざじん帯を負傷して手術。出場権獲得レースを最後まで戦うことができなかった。

 リオ五輪で、姉は松友美佐紀とのペアで金メダルを獲得。姉が夢をつかんだ嬉しさと、自分が同じ舞台に立てなかった悔しさを感じ、2020年東京五輪を目標に復帰した。18年には全日本総合選手権で初めて4強入り。日本A代表に復帰し、国際舞台で活躍した。ただ、21年に延期された東京五輪は、出場権が獲得できる16位以内に入りながら、同国最大2枠の条件によって出場権を得られなかった。

 2歳上の姉は現役を退いたが、高橋は「出られるポジションにいるのに、上に2人いることで出られないのは一番悔しいところだった。東京五輪のレースが終わって(選手生活を)辞めようかなと思ったけど、東京で世界選手権があると聞いて、もう一度頑張りたいという気持ちになれた。五輪に出られなかった悔しい思いを全力で出して、やり切りたい」と現役続行を決断。2度の五輪挑戦に破れながらも、東京開催のビッグイベントを最大のモチベーションとして練習に取り組んできた。

東京五輪後、メダリストを連続撃破する活躍

 東京五輪後、少しずつ国際大会が再開する中、高橋は、まだコンディションが万全ではないと言いながらも、好成績を挙げている。昨年10月のフランスオープン(BWFワールドツアースーパー750)では、決勝に進出した。

 今年は3月のドイツオープン(スーパー300)で世界ランク1位で東京五輪銀メダルのタイ・ツーイン(台湾)に初めて勝利。続いて全英オープン(スーパー1000)でも、東京五輪銅メダリストのP.V.シンドゥ(インド)を破り、世界の一線級と互角に戦えることを証明した。5月の女子団体ユーバー杯は、銅メダル。「2大会連続で自分が主将を務めて金メダルを取れなかったのが悔しかった」と話したが、自身は2試合に出場して、どちらも勝利を挙げた。

6月後半は東南アジアで3連戦

長く日本代表で活躍してきた高橋【20年3月、筆者撮影】
長く日本代表で活躍してきた高橋【20年3月、筆者撮影】

 6月は11日に、インドネシアへ出発。14日開幕のインドネシアオープン(スーパー1000)からマレーシアオープン(スーパー750)マレーシアマスターズ(スーパー500)と3週連続で大会に出場し、7月11日の帰国後は世界選手権に向けた最終調整に入る。「プレーのスピードを落とさないことが大事だけど、全部が全力だと年齢的にもきつい。やるとき、休む時の切り替えが大事」と課題を挙げた。

 それぞれの大会で優勝を目指すのはもちろんだが、高橋は「次のインドネシア、マレーシアでも2、3回戦からシードの選手と当たるので、勝ち切れるように頑張りたい。世界選手権に向けて爪痕を残すというか、ちょっと(高橋との試合は)嫌だなというイメージを与えて、東京に臨みたい。世界選手権は、自分にとって五輪のような気持ちで戦えたらいいなと思う」と世界選手権でのメダル獲得を念頭に置いて戦う心づもりでいる。

「まだ分からないけど、見てもらえるのは最後かも」

6月上旬、所属するBIPROGYバドミントンチームで練習する高橋【筆者撮影】
6月上旬、所属するBIPROGYバドミントンチームで練習する高橋【筆者撮影】

 若い選手は、東京の世界選手権を飛躍のきっかけとして、24年パリ五輪を目標に見据える。しかし、バドミントンのワールドツアーは、年中休みなく国際大会を戦い続けなければならない。2年先への挑戦は、心身に相当な負荷がかかる。

 コンディション調整の難しさも知る高橋は「正直、今のところ、パリ五輪は考えていない。世界選手権や(翌週に大阪で行われる)ダイハツヨネックスジャパンオープンが終わってからのことは、まだ何も考えていない。ケガもあって、自分の中ではきつい部分もある」と現実を見ている。

 残された競技生活は、決して長くない。だから、世界選手権にかける思いは強い。2019年シーズンの国内リーグ(S/Jリーグ)以降、コロナ禍により日本ではトップ選手が出場する大会の無観客開催が続き、高橋はファンに試合を見てもらえない時期を長く過ごしている。

「まだ分からないけど(見てもらえるのは)最後かもしれない。世界選手権は、久しぶりに、いろいろな方に見てもらえる。東京でプレーできる機会を楽しみながら、悔いのないようにしっかり戦えればいいと思っている」

 度重なるけがから這い上がった理由が、今回の挑戦の背景にはある。世界の頂点を目指してきた積み重ねの証明を、メダルという形に結実させられるか。日本のファンの応援を感じながら、キャリアの集大成となる大勝負に挑む。

スポーツライター

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。サッカーを中心にバドミントン、バスケットボールなどスポーツ全般を取材。育成年代やマイナー大会の取材も多い。

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