【河内長野市】全国的に珍しい埋葬品も出土し、さらに古墳使い回しの痕跡も!中片添の三日市遺跡の10号墳
南河内では、羽曳野の古市古墳群が世界遺産に登録されるほど、大小の古墳が密集していますね。その南隣の富田林にも多くの古墳群がありますが、河内長野まで南下するとあまり古墳がありません。それでもいくつか残っているのですが、そのなかのひとつ、三日市町の近くに三日市遺跡の古墳が残っており、すぐ近くまで行けます。
その古墳は、三日市10号墳です。三日市町駅から見て南東の位置にあり、住所は中片添町です。
三日市町駅から地図のある方向に歩くと、古墳らしきものが見えてきました。場所は住宅地の狭間の緑地帯です。
三日市10号墳は、4世紀から7世紀前半にかけて築かれた三日市古墳群のひとつです。古墳の横に説明版があります。以下全文を引用しましょう。
説明版によると18基からなる三日市古墳群のひとつで、別の場所から移築したとのこと。説明版の文章の右斜め下には30分の1サイズの石室実測図があります。
しかし、移築されて保存されている古墳は、実測図の中央部分の玄室だけのようです。ちなみに玄室とは埋葬者の棺を納める場所で古墳で最も重要なところです。
移築していることもあるため、すぐ近くまで行けます。資料によると三日市遺跡の10号墳そのものは、古墳時代後期(6世紀後半)頃に築かれたとのこと。
説明によると、木で作られたと思われる棺はすでに朽ちていたそうですが、副葬品についてはは玄室と周囲の溝から数多く出土したとのこと。具体的には次の通りです。
- 玄室
→土師器の壺や鉢など10点、須恵器が高杯や杯など22点、鉄器として金銅・銀張装飾の大刀や鉄製大刀、鉄鏃(てつぞく)、鐙(あぶみ)などの武器や馬具が73点、金銅製耳環2点、ガラス玉3点などの装飾品。 - 周溝(玄室の周り)
→土師器5点、須恵器30点、鉄器3点
なお、鉄鏃とは鉄製の鏃(やじり:矢の先のとがった部分)のことで、鐙とは馬の鞍の両脇に下げて足を踏みかけるもののことです。
さらに説明版では全国的に珍しいものとして「圭頭柄頭大刀(けいとうつかがしらたち)という金銅・鉄張装飾の大刀も出土したとのこと。圭頭柄頭大刀は、同じく三日市遺跡で出土した円頭柄頭大刀(三日市遺跡13号古墳)とともに市指定文化財(外部リンク)としてふるさと歴史学習館に寄託しています。
そして副葬品の状態でわかったこととして、溝からの出土品が6世紀中頃、玄室のものが6世紀末頃と判明したことから、埋葬は最低2回行われたとのこと。2回目の埋葬の際に最初の埋葬の副葬品を石室の外に出して片づけたことが判明しました。
追葬と呼ばれる一度埋葬で利用した古墳を再利用(古墳使い回し)したようなニュアンスなので、なかなか興味深いと思いました。三日市10号古墳はすぐそばまで行けるので、興味のある方はぜひ訪れてみてはいかがでしょう。
三日市遺跡10号墳
住所:大阪府河内長野市中片添町17
アクセス:南海三日市町駅から徒歩14分
---------------------------------
奥河内から情報発信のおすすめ記事がLINEに届きます!
奥河内地域に住んでいる人たちに役立つ情報を毎週水曜日の10:00にお届けします。
ぜひご登録ください!
<友だち追加の方法>
■下記URLをクリックして友だち登録してください
LINEアカウントメディア(外部リンク)
※本リンクはYahoo!ニュース エキスパートとの取り組みで特別に設置しています
---------------------------------
※記事へのご感想等ございましたら、プロフィール欄にSNSへのリンクがありますのでそちらからお願いします。