【ビールの歴史】ファラオも飲んでいた!古代の人はどのようなビールを飲んでいたの?
それは遥か遠い昔、文明という火がまだ小さく揺れていた頃。
野に生きる部族が穀物を育て、収穫することを学び、そしてそれを口にしたとき、ふと「甘い香り」と「ほのかな苦み」に包まれた液体に出会ったといいます。
この液体こそ、後にビールと呼ばれるものの原型でした。
イランのザグロス山脈、その山間の村で発見された古代の陶器片には、不思議な石の痕跡が残されていました。
これは「ビアストーン」と呼ばれる、発酵プロセスの副産物です。
この陶器は紀元前5400年のものであり、その中で行われた発酵は、単なる偶然の産物であったかもしれません。
ある日、水に浸された穀物がそのまま放置され、空気中の野生酵母が働き、発酵を引き起こしました。
これこそ、人類と酵母の出会いだったのです。
古代の人々は、初めてその液体を口にしたとき、驚き、そして歓喜したに違いありません。
「これは神の恵みではないか!」と。
彼らは粥を作るために水を沸かし、熱しました。
これにより病原菌は死に、発酵に適した環境が整います。
時間が経つと、自然界の酵母が穀物の糖分を分解し、アルコールと炭酸ガスが生まれるのです。
結果として得られた液体は、人々の心を和ませ、体を温めました。
この液体を生んだ偶然は、人類の歴史を形作る幸運のひとつだったのです。
一方、東の国々では、別の物語が紡がれていました。
中国では紀元前7000年頃の村落で、独自の発酵飲料が作られていたことが考古学的に証明されています。
こうした飲み物は、古代メソポタミアやエジプトのビールに通じるものがありました。
古代のエジプトでは、ビールはファラオの食卓を彩り、労働者には毎日の糧として与えられたのです。
ピラミッド建設に励む労働者たちが口にしたのは、大麦から作られた栄養豊富な液体でした。
さらに興味深いのは、ラケフェト洞窟で発見された約13,000年前の遺跡です。
この洞窟には、半遊牧生活を送っていたナトゥーフ人が儀式用のビールを醸造していた痕跡が見つかっています。
彼らは粥状の混合物を発酵させ、粘り気のある飲料を作っていたのです。
さて、古代メソポタミアではどうだったのでしょうか。
粘土板に刻まれたシュメールの詩は、ビールを神々の贈り物として称えています。
「ニンカシ、あなたが注ぐビール、それは川のように流れ出る」という賛美歌は、醸造の女神ニンカシに捧げられたものです。
この地では、大麦パンを二度焼きして「バピール」と呼ばれる材料を作り、それを発酵の要として用いました。
この方法は、信頼性の高い醸造を可能にし、後の醸造文化の基盤となったのです。
また、古代エジプトでは、パンとビールは密接に結びついていました。
エジプト第11王朝時代の墓から発見された模型には、パン屋と醸造所が並んで描かれています。
ビールは宗教儀式にも欠かせない存在であり、人々の日常に深く根付いていたのです。
こうしたビール文化は、ローマ帝国やゲルマン民族、そしてケルト人にも受け継がれました。
しかしながら、ローマ人にとっての嗜好飲料の主役はワインであり、ビールはやや影を潜めることになります。
とはいえ、古代ローマの兵士たちはビールを楽しみ、一部の粘土板には「守備隊にビールを送ってほしい」との記録が残されているのです。
中世に至ると、ヨーロッパの修道院がビール醸造の中心地となりました。
修道士たちは、巡礼者や旅人に提供する飲み物としてビールを作り、その技術を高めていったのです。
ビールは当時の栄養源としても重宝され、発酵飲料を通じて清潔な水分を得る手段でもありました。
こうして、偶然の発見から始まったビールの物語は、時を超え、国を越えて広がり続けたのです。
ビールとは、酵母という目には見えぬ生物と人類が紡いだ絆そのものであるといえます。
そして、その絆は今なお、私たちの生活を豊かに彩り続けているのです。