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張本勲氏の自己編集能力の欠如と反省の弁

田代真人編集執筆者
(写真:青木紘二/アフロスポーツ)

 野球解説者の張本勲氏が炎上している。発言したというニュース番組が自動録画されていたので改めて確認してみた。

 女子ボクシングの入江聖奈選手の金メダル獲得についてのニュースが流れたあと、MCの関口宏氏が「はい、ハリさんいかがでしょう?」と聞いて、張本氏は「女性でも殴り合い好きな人がいるんだね」、関口氏「いるんですよ」、かぶせるように張本氏「見てて、どうするのかな、嫁入り前の、えーっ、お嬢ちゃんが顔を殴り合ってね。こんな競技好きな人がいるんだ。それにしても金だから、アッパレあげてください」——。

 まぁ、はっきり言ってこの時代、どう考えてもNG発言だと言うことはすぐにわかる。普通、人はなにかを話すとき内容をよく考えて話すときと、なにも考えないで、つい口に出てしまうときがある。今回の張本氏の発言は、後者のような気もするが、前者のようにちゃんと考えて話したような気もする。

 後者であれば、普段心の根底に潜んでいる意識がつい口に出てしまったと考えられる。つまりは昨今話題のアンコンシャス・バイアスであろう。「女性たるものおしとやかで決して殴り合いなどしてはならない」といったような意識だ。これは「男たるもの泣いてはならぬ」と通底する考え方で、いわゆる“昭和脳”的なものだ。張本氏は歳も80を過ぎているということなので、このような意識にどっぷりと漬かって人生を謳歌してきたのであろう。

 しかしながらもし前者だとすれば、これは“確信犯”と言えよう。テレビ番組でスポーツニュース担当のコメンテーターであれば、この日、女子ボクシングの入江選手の話題が出てくるのも、コメントを求められることも当然わかっていたはず。それなのにこのような発言をしたということは、昨今の風潮に棹さすことに抗いたいのであろう。

 しかしながら、編集者として、ものごとを編集するという観点から言えば、それはテレビ・コメンテーターとしての資格を逸していると言わざるをえない。人間は人生においてさまざまな“編集”を経て、決断し、アウトプットしているものだ。“編集”とは「集めて編む」こと。なにを集めるのか? それはアウトプットするものによって異なるが、文章や言葉であれば、知識・歴史的事実、または知恵や自身の見聞などさまざまな情報を集めて、それをアタマの中で編んで、アウトプットするわけである。そのとき集めること以上に重要なのが「なにを捨てるか」である。捨てるということはアウトプットしないということである。それこそが“自己編集能力”とも言える編集力なのである。

 今回、張本氏は謝罪の言葉で「言葉足らずで反省しています」と述べたそうだ。「言葉足らず」ということは、捨てた言葉があるということにほかならない。では、その言葉はなんであろうか? 今回のテレビでの発言にどんな言葉を付け足せば炎上しなかったのであろうか。

 しかし——どう考えても付け足す言葉が思い浮かばないのだ。言葉を捨てた“編集”をおこなった形跡が見られないのである。となると、これは自己編集能力の欠如ではないだろうか。むしろ反省すべきは「言葉が過ぎた」ことだろう。「(普段思っていることをうっかり言ってしまって)言葉が過ぎて反省しています」というのが正しい反省の弁だと思うのだが……。

編集執筆者

1963年福岡県出身。86年九州大学工学部卒業後、朝日新聞社入社。その後、学習研究社にてファッション女性誌編集者、ダイヤモンド社にて初代Webマスター、雑誌編集長、書籍編集などを経て、2007年メディア・ナレッジ設立。代表に就任。出版&電子出版、Webプロデューサー、PRコンサルタントとして活動。現在は、駒沢女子大学教授、桜美林大学非常勤講師を務める。専門は「コミュニケーション」「編集論」。

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