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大相撲5月場所で新入幕濃厚の時疾風「地元・宮城県に恩返しを」書道の経験や教員免許取得の過去なども語る

飯塚さきスポーツライター/相撲ライター
朝稽古直後に取材に応じてくれた時疾風(写真:筆者撮影)

大相撲春場所、十両筆頭で見事勝ち越し、5月場所での新入幕昇進が濃厚とされる時津風部屋の時疾風。179センチ、132キロと角界では決して大きいとはいえない体格ながら、持ち前の運動神経と思い切りのよさに加えて、強さと安定感も増してきている。そんな時疾風に初めてインタビューし、強さの秘密とこれまでの半生、さらに出身地・宮城県への思いについて伺った。

安定感が増した要因は「入念な四股と鉄砲」

――十両筆頭で勝ち越しの大阪場所、おめでとうございます。振り返って、よかった部分はどんなところですか。

「もっと早く勝ち越せていればよかったんですけど、いままで勝ったことのなかった友風関に勝てたのがうれしく、自信にもなりました。あとは大翔鵬関との取組も、2回くらい負けたかと思いましたが、残れて盛り上がったのでよかったかなと。全体として、突き離されて一方的に負けなくなったというか、自分から前に攻めていけましたし、圧力が出てきたのかなとは感じました」

――その強さの要因はどんなことにあるとお考えですか。

「四股の形を決めて、一回一回しっかりと踏むようになったので、下半身の安定感が出てきたかなと思います。今日は特に多くて400~500回くらい踏みました。いつも師匠が稽古場で踏んでいる四股を見ているので。もちろん、基礎が大事なのは前からわかっていたんですけど、特に(関取に)上がってからさらに四股と鉄砲を意識するようになりました」

取材日は400~500回四股を踏んだという時疾風。入念な基礎がその強さを作っている(写真:筆者撮影)
取材日は400~500回四股を踏んだという時疾風。入念な基礎がその強さを作っている(写真:筆者撮影)

――理想としているのはどんな相撲ですか。

「自分の形が左四つ・右上手なので、組み止めて右から出し投げや上手投げを打つような相撲を取れたらなと思っています。同じ左四つの遠藤関や明生関の相撲はよく見ています。特に明生関は、よく出稽古に来てくれるんですが、立ち合いの鋭さやスピードが全然違います。見るようにはしていますが、真似はできないですね」

――聞くところによると、徐々に現在のような形に変わってきたとか。

「はい、昔は頭からかます相撲だったんですが、頭頂部にできものができて痛くなってしまったことで、胸から当たるようになりました。以前は右四つも試してみていたんですが、学校の先生に左四つの人が多かったこともあり、左四つがしっくりくるようになりました」

他競技や書道の経験も 大学卒業後に入門を決意

――相撲を始めたきっかけはなんでしたか。

「周りよりも少し体が大きかったんです。相撲を習っている友達のお母さんから声をかけてもらって、小学2年生のときに地元の少年団に入りました。ほかにも、サッカー、水泳、ソフトバレー、書道も習っていて、いろんなことをさせてもらっていたので、親に感謝です。でもやっぱり、勉強よりも体を動かすほうが好きでしたね(笑)」

――いろいろな競技をするなかで、相撲を選んだ理由は。

「相撲が一番成績を残せたし、最初に始めたスポーツが相撲だったので。地元の中学には相撲部がなかったんですが、市内の車で30分くらいの相撲部がある学校の先生に声をかけていただき、そちらに通いました。気づいたら相撲一本になりましたが、書道は中学卒業まで続けました。結構好きだったんですよ。いまも書道の先生にはいつも気にかけてもらっています」

――私も書道を習っていたのでよくわかります。関取も、いまでも(筆を)握れば書けますね。

「書けますよね。ただ、大人になって本当に握る機会が減ったので、あんまりかもしれないですけど」

にこやかにインタビューに応えていただいた時疾風(撮影:赤井麻衣子)
にこやかにインタビューに応えていただいた時疾風(撮影:赤井麻衣子)

――その後、高校を卒業して東京農業大学へ進学し、相撲を続けました。プロ入りを考えたのはいつ頃ですか。

「大学卒業間近ですね。高校生の頃から教員になろうと考えて大学に行ったんですが、大学時代に相撲であまりいい成績を残せず、不完全燃焼で終わってしまいました。先生には何歳でもなれるけど、プロ入りには年齢制限があるし、同学年(翠富士、錦富士ら)がプロで活躍しているのを見て、燃えたのもあります」

――ちなみに取得した教員免許というのは何の先生ですか。

「中学校の技術と理科、高校の理科と農業です。相撲部はみんな教員免許を取っていて、OBには教員が多いんです。自分の中高の先生も農大OBでした」

入門から5年での入幕は「長かった」

――あらためて、次は新入幕が濃厚ですが、春場所でも尊富士関戦、妙義龍関戦と、幕内力士との対戦がありました。初めての幕内の土俵はいかがでしたか。

「勝ちたかったですね。特別緊張はなかったので、負けて悔しかったです。優勝した力士とベテランの力士と2番取り、力の差を感じました。圧力も違うし、立ち合いの駆け引きがやっぱり上手いなと。あとはお客さんが多いので、十両の最後と比べても、幕内の土俵は歓声の大きさが違うなと感じました」

ぶつかり稽古をつける時疾風(写真右)。幕内の土俵にも意欲を見せる(写真:筆者撮影)
ぶつかり稽古をつける時疾風(写真右)。幕内の土俵にも意欲を見せる(写真:筆者撮影)

――2019年の初土俵からここまで、長かったと感じますか。

「丸5年なので、長かったですね。もっと早く上がりたかったです。あとはケガしないように、ですね」

――来場所への意気込みは。

「一番一番自分の相撲を取るだけですが、もちろん勝ち越しを目指して頑張りたいです。最近はあまり緊張しなくて、プレッシャーもいまは感じていません。場所前になったらわかりませんが、土俵入りとかのほうが緊張するかもしれませんね」

――これからも長い土俵人生。今後どんなことをしていきたいですか。

「地元・宮城県に恩返しをしたいです。震災もあったので、自分の相撲を見た人たちを勇気づけられたらいいなという思いがずっとあります。去年は宮城で合宿があり、小学生の子たちとも稽古をしました。相撲人口が減るなか、自分の相撲を見て相撲をやりたいと思ってくれる子が一人でも多くなればいいなと思っています」

スポーツライター/相撲ライター

1989(平成元)年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーのスポーツライター・相撲ライターとして『相撲』(同社)、『Number Web』(文藝春秋)などで執筆中。2019年ラグビーワールドカップでは、アメリカ代表チーム通訳として1カ月間帯同した。著書に『日本で力士になるということ 外国出身力士の魂』、構成・インタビューを担当した横綱・照ノ富士の著書『奈落の底から見上げた明日』。

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