祝・タモリさん誕生日 ブラタモリで訪問した「ご本人」ゆかりの地を一挙紹介~福岡・日田から沼田まで
宿泊経験500泊。関東圏の穴場ずらし旅の愛好家、とらべるじゃーな!です。
先日(8月22日)タモリさんが、79回目の誕生日を迎えられました。おめでとうございます。
そこで今回は、「最終回」の指宿編まで263回(特集を除く)放映されたブラタモリ(第4シリーズ)のなかで、タモリさんご本人にちなむ回をご紹介します。
ブラタモリ博多・福岡編(#17,18)では、タモリさんが故郷を訪ねた
福岡市(中心駅は博多駅)には、福岡・博多の両方の町があります。タモリさんは武家の町だった「福岡」生まれ。
ブラタモリでは、博多駅の西2キロの場所にある、西鉄薬院駅前を訪ねています。
ここを訪ねたのは、かつて全国でも珍しい電車の平面交差が行われていたから。電車と路面電車(現在の高架をくぐる向き)が踏切で交差していました。昭和50年に路面電車が廃止、その後踏切もなくなり、高架化されています。
タモリさんが鉄道好きになった、原点の場所と紹介されました。鉄道に関する話題は、ブラタモリはもちろん、タモリ倶楽部(テレビ朝日系)でも何度も登場しています。
ブラタモリ宮崎編(#100)では、大学時代のジャズバンド旅行で交通事故に遭った場所を訪ねた
ブラタモリ宮崎編では、タモリさんが早稲田大学のモダンジャズ研究会時代のエピソードが紹介されました。初めて「タモリ」と呼ばれるようになった時期です。
景勝地・堀切峠を訪ねたとき、タモリさんはジャズバンドの旅行で同行車がこの場所で自損事故を起こしたことを思い出しました。幸いバンド仲間は無事で、翌日の演奏に支障はありませんでした。
この時期、タモリさんはバンド旅行で全国を回りました。全国に展開したブラタモリ(第4シリーズ)の原点が形づくられた時期だったのかも知れません。
ブラタモリ進撃の日田編(#176)では、20代にサラリーマンとして住んでいた場所を訪ねた
大分県日田市。『進撃の巨人』の筆者が生まれ、その構想が生まれた特異な地形でも知られていますが、実はタモリさんが20代に、ボーリング場の支配人を務め住んでいたことがある場所です。
大学を除籍になったタモリさんは、保険会社の営業マンを経て、日田観光会館に勤め、傘下のボーリング場の支配人などを務めていました。
ブラタモリでは、三隅川公園を訪ねています。
写真の展望所の背後にボーリング場がありましたが、ホームプラザナフコ日田店となっていました。3つに分かれる川を望む展望所までは徒歩5分ほど。タモリさんも見に来ていたかも知れません。
写真の引用元 日田盆地
この頃(1972年)、タモリさんは福岡のホテルで著名ジャズピアニストに見初められ(※)、1975年の上京と赤塚不二夫さんとの出会い、そして芸能人としての大ブレイクへとつながってゆきます。
※ふらりと立ち寄ったホテルの1室で外国語模写の辣腕ぶりを発揮した「伝説の一夜」
ブラタモリ沼田編(#31)では上京したタモリさんが真っ先に訪ねた群馬の河岸段丘が紹介された
ブラタモリ沼田編では、地学好きのタモリさんが、上京して真っ先に駆けつけた河岸段丘が紹介されました。
河岸段丘とは、土地の隆起や海面の低下により誕生した、川沿いに横たわる連続した崖(高台)のことです。
沼田駅前にある段丘崖は、高さ70m以上! 900mの急坂を上ると、ビルにして20階建ての高さの市街地に到着します。
ブラタモリでは飲食店を訪ねることはめったにありませんが、沼田編では、河岸段丘の絶景が見られるとんかつトミタを訪ねています。
2面のガラス窓から河岸段丘を望む特等席が、タモリさんが座った席です。
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