【富田林市】牛滝さん信仰とは?富田林の西北境付近にある牛滝信仰にまつわる大木を富田林側から眺めてみた
富田林市で最も西北の境界線まで行くと、そこには狭山池からの東除川(ひがしよけがわ)が流れており、大阪狭山市との市境にあたります。その北側には五軒家橋がかかっています。
藤沢台が住宅地として造成される前は羽曳野丘陵の雑木林と考えられるので、この五軒家橋を渡って五軒家地区に入っていたと考えられますね。
ところでこの五軒家橋の近く、狭山との境界線に来た理由ですが、それが五軒家の牛滝さん信仰の記念碑を見たからでした。
きっかけは先日五軒家神社に行った時のこと、神社のある山のふもとで見つけた石碑です。牛滝さん記念碑とあります。
気になったので調べると、牛滝さんとは農耕に使用した牛に対する信仰で、五軒家を含めた富田林の各地では、昭和30年ごろまで牛が農耕に活躍していたそうです。
そんな生活に欠かせない牛を大切にするための信仰の祠があったそうですが、それを2018(平成30)年4月に記念碑に変えたそうで、裏には次のようなことが書かれていました。
このなかに「牛に楠木を廻らせ」とあります。情報では近くに楠の木があるとのことですが、周りにはそれらしい木が見当たらず、この石碑にかいてあるものがどの木なのかわかりません。改めて調べてみると、五軒家橋の近くに楠の大木があるようなのです。
ということで市の境界線に来ました。厳密には五軒家橋そのものは大阪狭山市側に入り込んでいますが、すぐ近くまでくるともう富田林市内になります。
大阪狭山市側に来ました。この画像に東除川が流れていますが、対岸はもう富田林市市内になります。
さて大きな楠木が見えてきました。
この大木が怪しいですね。木にしめ縄が飾られ、説明版があります。
ただこれを見るとあくまで東池尻での牛滝祭りのものとして使われたように書かれています。となれば五軒家で見た牛滝さんの信仰とは違うのかもしれません。
五軒家橋のすぐ近くにあったのでそのように解釈してしまいましたが、当時の東池尻地域と五軒家地域との関係が調べてみてもよくわからないので、何とも言えません。
ただ、もしこの木と違ったとしても、五軒家の記念碑の近くでは同じような信仰が行われていたことだけは確かなようです。
富田林市側に戻り、改めて楠木を眺めました。五軒家や東池尻だけでなく、この地域に広く信仰されていた牛滝さん信仰が行われていたという歴史の証である石碑と、その信仰が行われた名残として残っている楠の大木。
その横に流れる東除川と共に、当時の農作業の風景と感謝のお祭りに思いをはせても良いかもしれません。
牛滝さん記念碑と富田林側から見える牛滝さん信仰の大木
住所:大阪府富田林市五軒家
アクセス:アクセス:近鉄富田林駅、南海金剛駅からバス 藤沢台2丁目バス停から徒歩10~15分
※記事へのご感想等ございましたら、「奥河内から情報発信」ページのプロフィール欄にSNSへのリンクがありますので、そちらからお願いします。