【オウム裁判】結審。今後の評議のポイントは……
オウム真理教の元信者平田信被告の裁判は、2月27日に検察側の論告求刑、弁護側の最終弁論、そして本人の最終意見陳述が行われて結審した。
厳しく論難する論告
検察側は、検察官席の前にオーケストラの指揮者が使うようながっしりした譜面台を置き、裁判員たちに向き合うようにして、男性検察官が論告の書面を読み上げた。
その中で検察側は、仮谷さん拉致事件については中村昇元幹部(無期懲役刑で服役中)の証言を、爆弾と火炎瓶を使った2件の自作自演事件については井上嘉浩元幹部(死刑囚)証言を中心に、平田被告はあらかじめ拉致を承知のうえで犯行に加わった、と断定。假谷さん事件と爆弾事件は事前に説明を受けていないとする平田被告の主張を「全く信用できない」と批判した。裁判になって捜査段階から供述が一部変わったことなどについては、「つじつま合わせ」「嘘に嘘を重ねて支離滅裂な供述になっている」とし、法廷で繰り返した謝罪も「自己弁護、自己憐憫」と口を極めて非難した。
いずれの事件も、平田被告は車の運転や見張りなど補助的な役割だった。しかし検察側は、「組織犯罪では各自が自己の役割を果たすことで実現する」とし、被告人の関与の程度は軽くないと主張。長期間の逃走で社会への不安を与えたとし、自ら出頭したことについても「有利に考慮するのには限度がある」と述べて、懲役12年を求刑した。
井上証言は不合理、と弁護側
一方の弁護側は、女性弁護士が証言台の所に立って、よく通る声で1)假谷事件は平田被告に対し詳細な計画を知らせていない方が自然 2)中村証言と井上証言は現場での指示など事実に関する説明が食い違う 3)井上証言は他の人の役割を大きく述べることで自分の役割は小さく見せようとしている―などと指摘。「検察官の主張はつごうのいい部分をつまみ食いしている」と反論した。
平田被告と同じ3つの事件に関わり、関与の程度も大きかったI元信者が懲役6年の刑が確定したことを挙げ、「Iさんより重い刑は不公平」と述べた。爆弾事件は無罪を主張し、自ら出頭したことや、共犯者より賠償をしていることなどを強調して、懲役4年が相当と主張した。
「死にものぐるいで」と誓う被告人
その後の最終意見陳述で、平田被告はまず假谷さん事件について謝罪。立ち上がって、被害者の長男・假谷実さんに向かって深々と頭を下げた。そして、「実様のご証言で、加害者の私に対してさえも、1人の人間としての言葉をかけていただき…」と述べたところで、言葉が詰まった。下を向き、こみ上げてくるものをじっとこらえているかのような様子で、沈黙が1分以上続いた。
裁判長が「大丈夫か。最後だからしっかり話して」と声をかけると、平田被告は「はい」と答えて気持ちを整え、続きを話し始めた。
「1人の人間としての言葉をいただき、そのお気持ちを決して裏切らないことを誓います。賠償金だけでなく、様々な謝罪を続けたいと思います。いえ、思っているだけでなく、続けさせていただきます」
「誓います」「続けさせていただきます」という言葉に、平田被告は力を込めた。
その後、教団による様々な事件の被害者、社会、同居女性やその関係者、自分の親族に対して、一つひとつ謝罪の言葉を述べていった。
「社会に出ることを許されたら、罪滅ぼしと恩返し…待ってくれる人もいますので、死にものぐるいで働いてお詫びしたい」
最後に再度謝罪を述べ、最終意見陳述を終えた。
この様子をじっと見ていた假谷実さんは、閉廷後、次のように語った。
「私からのメッセージを受け止めてくれたと思う。これからしっかり償いをやってもらいたい。社会復帰した後は、しっかり社会貢献して下さい、と言いたい」
假谷事件の事前の認識は…
これから裁判官と裁判員の評議が行われるが、事件から19年も経った今、事実を見極めるというのはきわめて困難。ほとんど不可能と言ってもいいだろう。関係者の記憶は薄れているだけでなく、その後に捜査員や報道などを通して与えられた情報と混じり合ったり、自分の思い込みや願望も入り交じった状態で固定化している。意図的に嘘は言っていなくても、関係者それぞれが異なる事実認識でいることはありうる。
なので、結局は誰が言っていることが本当そうか、というレベルで事実を認定し、判断をすることになる。
假谷事件では、弁護人が言うように、現場での中村、井上両証言は食い違う。だが、最初に平田被告に指示をした場面は、両証言の内容はほぼ整合している。この点は、裁判官や裁判員にかなり影響を与えるように思う。平田被告がどう受け止めたのかは別にして、2人の元幹部が拉致の計画を全く語っていないとは認定しにくいだろう。それを考えると「正犯ではなく幇助犯」という弁護側の主張が受け入れられるのは厳しいのではないか。
無罪主張の爆弾事件は…
一方、爆弾事件では、検察の主張に大きな弱点がある。それは、平田被告とほぼ同様の認識で一緒に行動していた林泰男元幹部(死刑囚)を、検察はこの事件で起訴していないのだ。平田被告は、井上から「ちょっとつきあって」と言われ、「また、いつものようにコンビニかファミレスに行くのかな」と思って杉並アジトを出たら、林幹部が「こっちこっち」と呼ぶので、その車に乗り込み、井上が乗っている車の後を追った。そのままあるマンションに到着。しばらくしたら爆発が起こり、びっくりした、と述べている。林元幹部もそれに添う証言をした。
林元幹部は、1996年12月に逃亡先の沖縄県石垣市で逮捕された。その時には、捜査機関は爆弾事件で彼が現場にいることを承知していた。なのに、この事件では立件されなかった。林元幹部も、平田被告と同じように井上元幹部からは何も告げられていない、と述べている。爆発物取締罰則は最高刑が死刑であり、いくら地下鉄サリン事件で死刑となることが見込まれるからといって、落としてよい微罪ではない。現に、井上元幹部は、地下鉄サリン事件でも爆弾事件でも起訴されている。にも関わらず、林元幹部については不起訴だった。彼はその時に「関与が小さいから」と理由を説明されたという。検察は、罪に問うようなことはない、と判断したのだ。
同じ認識で同じ行動をした一方のみを罪に問うというのは、公正さを欠く。しかも、平田被告に説明したと証言する井上元幹部は、他の事件でも自分の役割を小さく語るだけでなく、検察側に迎合的になりやすい傾向があり、それだけを全面的に信用するのはどうか。
この井上証言の問題点に裁判官や裁判員たちが気づけば、有罪認定には慎重になるだろう。
共犯者に比べて重い求刑
また、共犯者との刑のバランスというものもある。
元信者Iは、仮谷事件では被害者を車に押し込み、その後同じ車に同乗。假谷さんが亡くなったとは知らされないまま、その首を絞め、遺体の焼却にも関わった。2つの自作自演事件では井上元幹部が乗る車の運転を行った。関与の度合いは平田被告より強い。それで求刑が懲役10年で判決は同6年。假谷事件の拉致に使った車の運転などを行った元信者Mの判決は懲役4年、爆弾・火炎瓶の両事件に関わり、火炎瓶を投げるなどした元在家信者Sが同5年だった。
これについて、検察側は「教団内のステージが、Iらは格下なので、上位者にはいいように使われた側面は否定できない」と主張。被告人は彼らよりステージが上であり、車両省次官という立場であって、事件を起こすことに消極的態度も見られないとして、その責任はステージが低い実行犯らとは「比べ物にならない」と述べた。
もっとも検察は、Iらを裁く裁判では、弁護人のそのような主張をしても全く認めず、厳しく彼らを論難しており、この言い方はご都合主義の感じが否めない。しかも、平田被告よりステージも地位も上で、假谷事件では逮捕監禁致死罪(平田被告は逮捕監禁罪)に問われ、他の事件にも関わった女性幹部I子でも、懲役8年の求刑、同6年6月の判決にとどまっている。
それを考えると、検察側の懲役12年の求刑は、いささかバランスを欠いているのではないか、というくらい重い。裁判員裁判になって量刑が重くなっているとも言われるが、その現れだろうか。
事実認定に加え、こうした事情を裁判員たちがどう判断するか…。
判決は、3月7日午後に言い渡される。