ある日、夫が消えた。〜「弁護士を選ぶ権利を決して手放さなかった」
5年前の7月9日を境に、中国では人権派の弁護士や活動家が一斉拘束された。そのうち3年以上、裁判が開かれないまま勾留され、一時期は安否さえ不明だった弁護士が刑期を終えて出所した。なぜ、長期間勾留される異常事態となったのか?本人がそのワケを明かした。
3年以上裁判が開かれないまま勾留
人権派の弁護士、王全璋(44歳)は、今年4月5日、国家政権転覆罪で懲役4年6か月の刑期を終え、出所した。弁護士らの一斉拘束から丸5年となる今年7月9日、私は王全璋の自宅を訪ねた。
2015年の7月9日を境に中国では人権派の弁護士や活動家らが、一斉に拘束された。人権派と呼ばれる弁護士たちは、庶民の権利を守るために法的手段を駆使し、時に当局にとって不都合な事実さえ追及する。彼らへの一連の弾圧を、中国ではその契機となった日付から「709」と呼ぶ。「709」で標的にされた弁護士たちの多くは、拘束から1年ほど経った頃から、釈放され始めた。しかし、何故か王全璋だけは、家族や家族が依頼した弁護士さえ面会できず、事実上、安否さえ不明だった。裁判が開かれないまま3年以上勾留されるという異常な事態になった。
王全璋は、その理由について、自分が弁護士を選ぶ権利を手放さなかったからだと明かした。
「私本人も弁護士なので、当局側が弁護士を指定するのは絶対嫌だった。当局側は(自分を有罪とする裁判を)演出したかったけど、演じることができなかった。だから、相手は絶えず私を説得しようとしていた」
王全璋によれば、警察官、検察官、裁判官とも彼の拘束に関しては「問題があると明確に言っていた」という。捕まえてはみたものの、王全璋を罪に問うほどの材料がなかったというわけだ。実は、この点については、「709」で拘束され、後に釈放された弁護士たちも同様の発言をしている。
当局との妥協を「完全に断った」
「709」で最終的に起訴されたのは王全璋も含め15人。先に触れたように、多くは拘束から1年余りで釈放され始めた。実は、王全璋も「罪を認めなくても良い。手続きに協力すれば釈放してやる」などともちかけられたという。しかし彼はそれを「完全に断った」という。
「面子だけ立ててくれれば、お前の面子も立て釈放してやる、と。反省文を書けとも言われた。私はそれも断った。反省文を書くことを断ったし、謝罪の動画を撮影するのも断った」
王全璋は、吐き捨てるようにそう言った。そして嫌な思いを頭から叩き出すかのように首を振った。
拘束される前に王全璋を撮影した映像がある。彼は、その中で次のように話していた。
「中国の政治構造や法律制度は、公民の個人の権利を守ることに関してはひどく欠けていると思う。司法にも明確なプロセスがなく、公民は一旦国家の取締の標的になったら、いとも簡単に刑務所に収監されてしまう」
その上で、こうも述べていた。
「私は中国人の人権が永久に保障される制度ができるように努力していきたいと思う」
子供の留学で脅された弁護士も
王全璋と同じ弁護士事務所に所属していた王宇(49歳)も「709」で拘束された人権派弁護士の1人。拘束された7月9日は、息子がオーストラリアに留学を予定していた日だった。息子を空港に送った夫も拘束され、息子は出国を阻まれた。王宇は自宅から連行され拘束されたが、1年余りで釈放された。釈放から1年余り経った2017年12月、王宇の話が聞けた。
「1人の母として、より大切なのは息子です。『お前が捕まっている限り、子供は留学に行けない』と言われました」
彼女は自分の弁護活動は誤りであったとテレビで認めることに同意し、釈放された。国営テレビのニュースは、王宇がインタビューの中で反省の弁を述べる様子を放送した。
「弁護士として法律を遵守し、正しい方向をはっきりと認識し、他人に利用されることがないようにします」
テレビの中ではそう語っていたが、王宇は私との取材では、自らの弁護活動に違法な点はなかったと強調した。
「私の弁護の原則は当事者の合法的権利を守ることです。しかも、中国の法律に従い弁護をしていました。彼らが私を拘束した理由は、警察や検察の違法行為を暴露するからです。彼らは面子を潰されたと思うからです」
「709」で拘束された弁護士・李和平(49歳)は、釈放された時、元々の黒い髪が老人のように真っ白になっていた。謝燕益(45歳)は、釈放された時、顔が黒ずんでいた。勾留中に薬物を投与されたり、拷問されたりしたことを明らかにした。そうした事実は、王全璋の身を案ずる妻、李文足(35歳)を不安にさせた。
「あなたのために私はどんな困難も恐れません。だから、あなたは私のために、どうか生きていて下さい」
夫が失踪して3年経った時に、彼女がSNSにそう綴ったのは、心からの願いだった。夫の情報を求めて声を上げ、それ故に当局から嫌がらせや圧力を受け続けた李文足の闘いは壮絶を極めた。彼女は、取材する度に涙を流した。
同時に、1人で拷問に耐え、信念を貫いた王全璋の闘いも壮絶を極めた。王全璋は、当局に対し一切妥協しなかった。
「いま自分で決められることは2つあって、1つは罪を認めるかどうか、もう1つは弁護人を雇うかどうか、誰を雇うか。だから、自分が決められる部分をしっかり握っておく、と彼らには言った」