サウジのシーア派指導者処刑で深まる中東危機
●「アラブの春」に呼応するデモ
サウジアラビアで2日にテロに関与したとしてシーア派の宗教指導者のニムル・ニムル師が処刑されたことが、サウジ国内の少数派のシーア派の反発を生み、さらにシーア派が政治を主導するイランやイラクから抗議が噴き出した。テヘランではサウジ大使館にニムル師処刑に抗議する数百人のデモ隊が押し入り、火炎ビンを投げて、火をつけるなどの騒ぎになった。サウジ政府はイランとの外交関係の断交を発表した。スンニ派とシーア派の対立の激化は、シリア内戦を終結させる和平協議やイラク情勢にも影響し、中東をさらに不安定にしかねない。
発端となったのは、サウジ内務省がテロリストとして処刑した47人の名前を公表した中に、数人のシーア派の民主化活動家が含まれ、その一人がニムル師だった。ニムル師はサウジ東部のシーア派の中心都市カティーフのアワミヤ地区のモスクのイマーム(宗教指導者)。2011年春にチュニジア革命やエジプト革命を発端としてアラブ世界に広がった民主化運動、いわゆる「アラブの春」で、カティーフでデモを呼びかけたという。ニムル師は2012年にサウジ当局に拘束され、14年に死刑判決を受けた。
●「暴力ではなく表現の自由を行使」
国際的人権組織アムネスティー・インターナショナルの報告によると、ニムル師の死刑は「支配者への不服従」「宗派抗争の扇動」「デモへの参加を主導」などが理由となっているという。「ニムル師の発言を検討した結果、師は表現の自由を行使したものであって、暴力を煽ったものではない」と結論づけ、釈放を求めた。さらにニムル師に死刑判決を出した裁判について「深刻な問題があり、証拠は師に不利益なものばかりで、法廷での目撃者の陳述はなく、さらに被告人としての法的に基本的な弁護の手段も否定された」などと裁判を否定している。
サウジアラビアでは死刑執行は通常は、金曜日の礼拝の後に斬首による公開で行われる。ニムル師の処刑の詳細は明らかになっていない、2日に発表されたことは1日の金曜日に執行された可能性が強い。2日の公表とともに、中東のシーア派世界では一斉に反発の声が上がった。
サウジ国内では2日、ニムル師の出身地でもあるカティーフではアワミヤからカティーフ中心部に向かってニムル師の肖像を掲げて、「サウジ体制打倒」の声を上げるデモ隊の映像がインターネットで掲示されている。スンニ派王政の下でシーア派が国民の多数を占めるバーレーンでもニムル師処刑に抗議する人々が抗議デモを行い、治安部隊との衝突が起こった。
●テヘランでは怒れる民衆がサウジ大使館を襲撃
ニムル師は若いころテヘランでシーア派教学を学んだ。同師の処刑について、イランの最高指導者ハメネイ師やロハニ大統領も「イスラムにも人間の道にも反する」と非難し、著名な宗教者か次々と非難の声明を挙げた。テヘランからの報道によると、宗教学生はテヘランのサウジアラビア大使館の前で抗議デモを行ったが、怒った民衆は大使館に突入し、火炎瓶を投げて、大使館に火をつけた。イランの治安部隊はデモ隊と衝突し、デモ隊の40人が逮捕されたという。テヘランでのサウジ大使館襲撃を受けて、サウジ政府は関係断絶を発表した。
シーア派勢力が政権を主導するイラクでも、ニムル師の処刑に対する非難が噴き出した。アバディ首相は「処刑は地域の治安に影響を与える」と警告した。バグダッドでは1990年にイラクがクウェートに侵攻して以来、閉鎖されていたサウジ大使館が1日に再開したばかりだが、シーア派政治組織の指導者からは「外交関係を断絶すべきだ」との声も上がっているという。
中東でのスンニ派とシーア派の宗派抗争は、2006年にイラクで広がり、サウジを含む湾岸地域にも緊張がたかまった過去がある。今回はサウジを震源として、宗派対立を抱えるバーレーンなどの湾岸、さらにはイラク、シリアに広がりかねない。サウジが国境と接するイエメンでシーア派武装組織「フーシ派」が首都サヌアを陥落させて、さらに勢力を拡大し、2015年3月にはサウジと湾岸諸国による空爆が始まるなど、状況は悪化している。サウジのカティーフのニムル師の家族や宗教指導者は、シーア派民衆に平静を呼びかけており、混乱が広がることは考えにくい。しかし、宗派抗争は民衆の間の疑心暗鬼によって起こり、広がることから、一触即発の状況は続くだろう。
●シリア和平協議に影響
今回のサウジとイランの関係悪化で直接影響を受けるのは、1月にも始まる予定のシリア内戦を終結させるための和平協議である。昨年11月にウィーンで開かれたシリア支援国外相会合で和平の枠組みが基本合意され、それが12月の安保理のシリア和平決議につながった。この会議の重要性は、イランがシリア和平関連の国際会議に初めて参加し、サウジとともに地域主要国としてシリア和平に参画する態勢ができたことだ。しかし、両国の外交関係断絶によって、シリア和平もまた混迷に陥らざるを得ない。
●なぜ。この時期にシーア派宗教者を処刑?
なぜ、いまサウジ政府は、このタイミングで反発が起こることが分かっているシーア派宗教者を処刑したのだろうか。背景にある最大の要因は、サウジでのISへの脅威である。
ISのテロは昨年5月に、カティーフや隣接するダンマンのシーア派モスクで起こった。6月にはサウジの若者がクウェートのシーア派のモスクで自爆テロを起こした。いずれもサウジ国内に拠点を持つISが犯行声明を出した。
ISがシーア派をテロの標的とするのは、シリア内戦でイランやレバノンのヒズボラがアサド政権の軍事支援に入り、サウジ国内や湾岸のスンニ派の間に「対シーア派聖戦」を訴える声が強まっているためだ。アラブ世界ではアサド政軍による反体制派の民衆の殺戮を非難する声が広がっており、ISの対シーア派テロは、そのような民衆感情を引きつけようとする狙いであろう。
一方のサウジ政府は2014年9月に米国主導の有志連合がISを空爆した時に、サウジも空爆支援国家として名前を連ねた。ISはシーア派だけでなく、シーア派との戦争に対抗できないサウジ王政も批判している。昨年5月のカティーフでのテロの犯行声明ではサウド王家について、「シーア派に対抗して国民を守ることができない」「イスラム法をないがしろにしている」と批判している。治安部隊の車両を襲撃するなどのテロも起き、8月にはイエメン国境に近いサウジ南部のアブハで治安部隊のモスクで自爆テロがあり、15人が死んだ。
●ISだけではない反シーア派感情の広がり
サウジでシーア派やイランへの反発を強めるのは、ISだけではない。シリアやイラクにいるスンニ派部族の多くが、サウジの部族と同根であり、シリア内戦でのスンニ派部族の悲劇や、イラクのシーア派主導政権の下でのスンニ派部族への抑圧に、サウジの部族の間にも怒りの感情があり、その背後でイランが動いていることへの反感が働いている。
このような背景を考えれば、サウジ政府は、ISとの戦いだけではなく、シーア派にも強い姿勢を示すために、アルカイダ系メンバーの処刑とともに、ニムル師を処刑したということだろう。もちろん、サウジ政府にとっては、ISこそが、真正の脅威である。今後、シリア、イラク情勢の悪化と並行して、サウジや湾岸でのISによるテロが激化する可能性は強く、サウジはその対応に追われることになるだろう。
この文脈で見る限り、サウジ政府によるニムル師処刑は、ISとの戦いを進めるうえでの国内対策ということである。ただし、サウジが対シーア派・対イラン強硬姿勢をとるという政治的なメッセージの表明でもあり、シリア和平などサウジとイランの協力が必要な分野での進展はほとんど望めないだけでなく、中東全体でスンニ派・シーア派の抗争を激化させるリスクを伴うものである。