日本ツアーの大会主催者が谷原秀人に「出ないでほしい」!?その通達と意思表示の是非を考える
リブゴルフに積極的に参加している谷原秀人が、日本ゴルフツアー機構(JGTO)の大会「HEIWA・PGM CHAMPIONSHIP」の主催者から大会への欠場を促され、谷原が出場エントリーを取り消していたことが、10月31日にGDOによって報じられた。
同大会の主催者であるパシフィックゴルフマネージメント(PGM)の幹部から谷原に対して「出場しないでほしい」という電話連絡があり、谷原がエントリーを取り下げたとのこと。
「主催者による独自の“出場拒否”は異例」であり、大会を主管するJGTOは「試合に出る、出ないは、あくまで(資格を持つ)選手に決める権利がある。強要はあってはいけない、今後そういうことはやめてくださいと主催者さんにはお話をした」ことも、同記事に記されていた。
PGMが谷原に「出場しないでほしい」と伝えた背景には、日本の選手会長として求められる責務を果たさずしてリブゴルフ出場を優先した谷原に対する不快感や不信感があり、だからこそ「出場を遠慮してもらいたい気持ちである」と通達したとのこと。
そして、「PGMは主催者が選手の出場を拒む拘束力がないことを理解していた」そうである。
察するところ、PGMはそれを理解していながらも、谷原に対して「出場を遠慮してもらいたい」という一言を言わずにはいられなかったのではないだろうか。
強制や強要ではなく、「こちらは、そういう気持ちなんですよ」という意思表示である。
日本のゴルフ界において、リブゴルフに関わる事柄に対する意思表示は、これまでほとんど見られなかった。
リブゴルフに出場した谷原など4名の日本人選手は今年10月のZOZOチャンピオンシップに出場できないことをPGAツアーから通達・確認された際、JGTOが背景や経緯を説明したことはあったが、あのとき取り沙汰されたのはPGAツアーへの出場資格であって、リブゴルフに参加した選手に対する心情的な部分は、あのとき、どこからも、誰からも示されなかった。
しかし、ツアーや大会を主催する側、運営する側、スポンサードする側、そしてプレーする選手たち、そのすべては「人」によって構成されており、人々の想いや心によってツアーや大会は成り立っているのだから、そうである以上、そこに関わる人々の心情的な部分は、きわめて重要である。
だからこそ、たとえ強制力や拘束力がないとしても、想いを込めて大会を開催・運営するためには、意思表示は適宜、行なうべきだと私は思う。
太平洋の向こう側に目をやれば、今年12月に米フロリダ州で開催されるQBEシュートアウトというPGAツアーの大会は、1989年にグレッグ・ノーマンがチャリティ目的で創設した「ノーマンの大会」で、以前は「シャーク・シュートアウト」という大会名で親しまれていた。
だが、そんな「ノーマンの大会」が、今年は大会創設者のノーマンに対し、「来ないでほしい」「出ないでほしい」「今後はチャリティだけに貢献してほしい」と、きっちり意思表示をして、ご遠慮願ったそうだ。
ノーマンは1990年の第1回大会から一度も欠かすことなく同大会に参加してきた。すでにリブゴルフ創設の噂が広がっていた昨年でさえ、ノーマンは同大会に出場した。
しかし、リブゴルフが実際に創設され、PGAツアーとの対立が激化し、その対立がゴルフ界全体を大揺れさせている今年は、「ノーマンが試合会場に姿を現わせば、さまざまな喧騒が起こり、主目的であるチャリティ活動が阻害される」という理由で、PGAツアー、あるいはタイトル・スポンサーであるQBEがノーマンに「来ないでほしい」と伝え、ノーマンは不快感を露わにしたものの、結局、出場を遠慮することを決意した。
「来ないでほしい」の一言に法的パワーがあったわけではない。だが、意思表示をすることで初めて動くコトもある。
リブゴルフに絡む様々な事柄に対して、日本のゴルフ界に関わる人々は、意思なり意見なりを、もっと声を出して示していくべきではないだろうか。