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奈良教育大附属小の教育実践を「不適切」とすれば、全国の前向きな教員や学校を萎縮させることになる

前屋毅フリージャーナリスト
附属小の実践記録『みんなのねがいでつくる学校』     撮影:筆者

「不適切な指導」があったとして「健全化」の取り組みを公表して注目されているのが、奈良教育大学附属小学校(以下、附属小)である。そうした動きに対し、附属小の創造的な実践を潰すものだとして批判の声も起きている。

|教員の出向に反対の署名運動も

 さらに奈良教育大学は、「不適切な指導」をしていた教員の責任を追及し、出向させようとしている。附属小の実践を全否定するつもりのようで、出向方針の撤回を求める署名運動も開始されている。

 附属小の教育実践は、ほんとうに「不適切」なのだろうか。附属小の教員たちが授業実践を記録した『みんなのねがいでつくる学校』(クリエイツかもがわ)で「解説」を書いている、神戸大学大学院人間発達環境学研究科准教授の川地亜弥子氏に附属小の教育実践について聞いた。

|子ども中心の教育課程

―― 附属小では、どのような教育が行われているのでしょうか。

川地 「子どもの実感」をとても大事にしている授業です。子どもの「わかり方」とか「感じ方」を、しっかりつかんで指導されています。それができているからこそ、子どもたちを中心にして教育課程の工夫ができています。

 子どもたちの実感を先生方がつかむ努力だけでなく、自分の実感を言語化するように子どもたちを励ます指導をされています。それによって子どもたちは、自分の意見を述べ、話し合うことで、理解を深め、納得できています。

 たとえば物語を読む授業では、子どもたちの考えを先生がよく聞いて、うなずき、拾いあげながら授業はすすんでいきます。自分の意見がきちんととりあげられることで子どもたちは集中し、友だちの意見にも真剣に耳を傾けています。子どもたちにとって、自分の「居場所」のある授業です。

 いわゆる「一斉授業」でありがちな、先生が一方的にしゃべるだけで子どもの意見を聞かないスタイルでは、子どもたちが自分の居場所を感じられるとはおもえません。附属小の授業は、そうした時数ありきの、内容を「こなす」授業とは対極にあります。

―― 新学習指導要領では「主体的・対話的で深い学び」を謳っていますが、一方的な一斉授業が多くなっています。子どもたちの「居場所のない授業」になっている気がします。

川地 この単元は何時間で終わらせなさいという参考時数が、学習指導要領に基づいてつくられている教科書を指導するための先生向けの本(指導書)にあり、それを優先していると、急ぐあまり、一方的な授業になってしまいがちです。日本の先生方は子どもに寄り添う気持ちが強いとはおもいますが、時数の縛りばかりを優先すれば、子どもの声をじゅうぶんに聞くことができない授業になってしまいます。

 そのため、理解できていない子がいても「どうにもしてあげられなくて、ごめんね」としかならないし、子どもは「わからない自分がダメなんだ」と自分自身を責めることになります。先生も子どもも一生懸命やっているのに、どっちにも辛い状況が起きているとおもいます。

―― 附属小では、先生も子どもたちも辛くならない授業が行われているわけですか。具体例で説明していただけるでしょうか。

川地 『みんなのねがいでつくる学校』にも収録されていますが、2年生の「鉄棒運動」の授業がわかりやすいとおもいます。

 鉄棒の授業でうまくできない子がいるときに、「こうしたらできるよ」と先生がすぐ教えてしまいがちです。それとは違って附属小の授業では、子どもたちに「どういうところに気をつけているか」という自分の経験を語らせ、さらに文章にさせて、それを読み合い、そのなかから気づいたことをやってみる授業をやっていました。

 ここで子どもたちが得るものは、実感です。言語化し、話し合い、実践してみて、初めて得られるものです。それは、ただ教えられたからといって得られるものではありません。それだけ深い学びになっているし、深い理解につながります。

 ほんとうに納得するには、実感がともなわないと難しいとおもいます。実感がともなっていれば、子どもたちは生きいきと学べるし、主体的に取り組めます。それこそ、子どもたちが主人公です。附属小における取り組みは、まさに子どもが主体の学びの実践です。

―― 子どもたちが主人公になる授業づくりに、附属小の教員は取り組んでいるということですね。

川地 そうです。附属小の取り組みを「不適切」とする報告書(「奈良教育大附属小学校における教育課程の実施等の事案に係る報告書」<奈良教育大学>)のなかで、「履修年次が違う」という指摘もありました。たとえば学習指導要領で4年生で履修すべきとされていることを別の学年でやっていた、といったことですね。

 子どもたちが関心をもって、実感をともなって理解することを大事にすれば、これは4年生ではなくても別の学年でやったほうがいいという判断も、当然あるはずです。子どもたちの状況を間近でみているからこそ、そういう判断がでてくるとおもいます。

―― 学習指導要領ばかり気にしすぎると、子どもたちの実態を無視し、子どもたちの実感を無視することになりかねませんね。その結果、子どもたちの学びのチャンスを逃すことにもなります。そうならないために、履修年次を適切に選ぶことも必要ですよね。

川地 子どものために必要だとおもいます。とくに附属小は実験的・先進的な教育を行うという役割もありますから、子どもたちの実感をつかんで履修年次を見直していく試みは、むしろ、重要です。その実践が、次の学習指導要領や、全国の学校での授業改善にも役立っていくはずです。

 しかも教育課程の編成は、学習指導要領に基づいて、それぞれの学校が主体としてやることになっています。つまり、附属小が根拠をもって履修年次を変えている場合、法律違反と断言することはできないとおもいます。「法律違反」という報道もあるようですが、教育法等の観点からきちんと検討しないでそこまで言えるのか、私はかなりの疑問をもっています。

|履修年次の工夫はあっていい

―― 教育課程の編成権が学校にあるのなら、附属小だけでなく、ほかの学校でも履修年次の工夫はやってもいいわけですよね。

川地 子どもたちが興味をもっているから、ここで教えようという先生の判断はあっていいとおもいます。そのように子どもたちの現状をみて判断されている先生は、いらっしゃるとおもいます。2017年に改訂された新学習指導要領に「カリキュラム・マネジメント」のような新しい語がはいったことは、学校が主体の教育課程の編成と改善、実施を励ますメッセージだと考えています。

 このように、効果的な指導とか教科横断的な指導が新学習指導要領でも要求されているなかで、履修年次の工夫も必要なことだとおもいます。にもかかわらず、先進的な教育をする役割をもち、その工夫を実践している附属小の実践が問題視されるのは、とても不思議です。

 子どもたちが何に困っていて、何を知りたいとおもっているかという実感に根ざした指導をするために、いろいろ工夫している先生は全国にいらっしゃいます。今回の附属小の実践を「不適切」とする動きは、そうした前向きな先生や学校を萎縮させることになるのではないかと、とても心配しています。

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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